空想日記


義経公が平泉に落ち延びたルートは

西行法師が、文治二年(1186年)東大寺再建のために

平泉の藤原秀衡公の元を訪れた際の

その一行に紛れ込んで落ち延びたと言うのは果たして考えられないだろうか?

そうだとすると、途中鎌倉にも立ち寄っている

文治二年(1186年)8月15日 西行法師は鎌倉で頼朝公にあっているようだ

一方、文治二年(1186年)3月1日から9月16日まで

静御前が母の磯禅師とともに鎌倉におられる

これは果たして偶然なのだろうか?

そこで義経公と静御前との再会はあったのだろうか?

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