今、我々は試されている


昨晩の 報道ステーション を観て愕然としてしまった。

冒頭から30分間 京都アニメーション の火災の報道である。

大体さ、これを事細かく詳細に知ることによって何を学習しろというのだろう?

俺にとっては、このニュースから得るものは全くない。

本来ならば、悼みを抱いて、そっと報道すべきだと思う。




その後で選挙の報道ということだが、憲法に関するもので

概略を物凄くおおざっぱに述べるとこんな感じである

与党『改憲についての議論すら、野党のせいでできないでいる』

野党『国民投票法改正案で、CMを禁止にしないと資金力により結果が左右される、まずはそれを決めなければならない』



うーん、確かに重要なことではあるが

そんなことは、当に知っている人は知っているし

知らない人は、多分、聞かされてもあまり関心はないだろう。



言わせてもらうと、何故、今なんだ? 選挙直前の今なんだ?

肝心の選挙直前の今の状況については、全く知ることができなかった。

結局は、今の選挙情勢については極力報道したくないんだろう。

勿論、れいわ新選組の街頭演説やツイッターやyoutubeが物凄い人気であることなども含めて

多分、何らかの圧力がかかっているのではないだろうか。

だから、火災のニュースに渡りに舟とばかりに飛びついて、30分も報道してお茶を濁す。

これが、あの報道ステーションかというような無様な有様である。




何で動くのか?

何を求めて生きているのか?

結局はそこなんじゃないのか?

今、我々は試されているんだよ。

困難な時にこそ、本当の 価値 が解るんだ



内閣人事局によって、官僚がどうなったのか?

政権と企業の圧力によって、報道がどうなったのか?

。。。。。

それよりも前に

暴力と、権力と、富と、快楽と、恐怖と、憎悪と、小さな閉鎖的な愛と、

科学と ・・・・・

それらを巧妙にリンクさせた、とても永く、鍛え上げられた、奴らの手口によって

人々がどうなったのか?

家畜を放牧しながら、自在に操るかのように。

そう、それは日本由来ではない、白き人々の手口。




だが、戦前と同じようにそれに不慣れなもの達を操って、あまりにも、性急に露骨にやったために

人々はそれに気付き始めている。

そして、勇気を出して何らかの行動に移そうとしている。

奴らも、それを察知して、必死の抵抗をしている。

それが、 今 だと思う。



そして、この一番重要な時に 報道 は 奴らにすり寄って

報道すべきことを、報道せず。

どうでもいいことばかりを、垂れ流している。

今こそ 報道が 何を 報道しているのか それを 皆で 注意深く

観察して 留めて 伝えて いく必要がある。



同じもの達の

同じ手口による

同じ大いなる過ちを

二度と繰り返させないために










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