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手のひらの中の煌めき

こんにちは、そしてこんばんは。
鳥海 花です。

6回目は鉱物と化石について。

幼少期から、なぜか石に惹かれていました。
綺麗な石を拾っては大切に集めている子でした。

それを知っていた祖父は、たまに瑪瑙や翡翠、タイガーアイなどの道端で拾うことのできない鉱物をプレゼントしてくれ、その綺麗な模様と滑らかな肌触りに感動していました。きっと高価なものだろうから大事にしなきゃと、心のどこかで感じていたのも覚えています。

小学校低学年の頃、図書館で読んだ子ども用科学雑誌で、石は長い年月をかけて今目の前に存在することを知り、思ってもみなかったその圧倒的なスケールに思いを馳せていました。

やがて、昔の生き物や植物が石になって存在すること、それを化石と呼ぶことを知って、小学生のある誕生日に父にアンモナイトの化石をねだったり、ラブラドライトの研磨体験が出来ると聞いて地域のこども科学教室に入ったりしました。

あまり女のコらしい趣味ではなかったけれど、何故か植物よりも生き物みを鉱物に感じていて、両親も美術に関わる仕事をしていたからか、鉱物が好きなことに何も口出しはされませんでした。

パワーストーンショップでたくさんの鉱物が手に入ることを知り、スピリチュアルな云々はさておき、自分が美しいと思う子をお年玉で買うのがすごく嬉しくて、こどもながらに大人になった気分を味わっていました。

鉱物の収集は高校生になるとやらなくなりましたが、今でも化石や鉱物を見ると心がわくわくします。

私にとって知り得ない過去の地球からの贈り物だと感じるから。
過去の地球ではあるけれど、宇宙の星雲だったり星の煌めきもどことなく彷彿とさせて、より一層人智を超えた圧倒的な存在に思えてきます。

大樹や地層もそうではあるけれど、手のひらに美しく収まる鉱物が愛おしくてたまらない。
それを美しいと思うのが人間だけだと考えると、とても不思議で不思議で。

手のひらに収まりきらない化石、特に恐竜や絶滅した動物は、誰も見たことがないのに、人間の知恵と想像力とたゆまぬ検証で、その存在が明らかになり、日々の研究の成果でその実像が変容していくところも非常に面白いし心動かされます。研究者の皆さんに深い敬意を抱いています。

化石を掘るのは一度でいいからやってみたい。
掘り当てられなくても、その大変さや大地と向き合う経験をいつか味わってみたいです。

夢が叶ったら、またnoteに書けるといいな。


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