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意味がある。

親にしてもらったことは自分の子供にしてあげられる。親にやられたことは自分の子供にしてしまう、と教育心理の専門家が言っていたのを観た。
その言葉を思えば思うほど、子育てとは、なんと業の深いものだと重苦しい気持ちになる。
親にして欲しかったのに、してもらえなかったことを自分の子供にしてあげるには、自分の内を見つめ、傷を発見し、癒して、意識的に子供にそれを投影しない、という多大な精神的努力がいる。そして、親にやられて嫌だったことを、意識的に、自分の子供にやらないためには、また同じ努力が必要だ。

私はいい両親を持っているし、安定した家庭で愛されて育った、と自分にも他人にも断言できる。が、それでも子供の頃の傷はある。日本の文化、社会状況、鍵っ子であるのが普通である世の中、他人に迷惑をかけるな、と言われて育つのが普通の社会。その中で、それなりに守られて育っても傷がつき、人生半ばの今になって、いい親になるために一生懸命それを癒そうと結構な努力を積んでいる。

私がこんなでは、虐待にあった人たちなどは、どれほどの努力を要するのか。想像するだけで気が遠くなる。虐待や、自分の所為ではないのに子供の頃に社会や大人から傷つけられて、その傷を次の世代に移さないように頑張っているすべてのお父さんとお母さんたちに、心から頭を下げたい。

私たちがやっていることは意味がある。子供の頃の傷を乗り越えることには意味がある。だって、そこからしか次の幸せな世代は生まれてこれない。負の連鎖は、意識して一つ一つ治していかなければ、ずっとずっと自分の子供たち、そしてその子供たちへと受け継がれていく。だから、毎日、昔の傷を見るのが痛くても、今の自分を見つめるのが痛くても、それでも頑張ってやるしかない。

この痛みには意味があるんだ。

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