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子供を教えるという仕事。

ニュージーランドの教育現場で学んだのは「子供を教える」というのはジレンマトラップじゃ。ということ。

基本的に人は学びたいと思わなければ、何も学ばない生き物だ。だから教師という”人に教える”という仕事は、その人が”教わりたい”と思っていなければ本当の成果は得られない。でも、他人、特に子供たちが毎日そんなに都合よく私の教えたいことを教わりたいと思ってくれている確率はかなり低い。ので、当然のごとく授業計画とか立ててそれ通りに教えようとしても、最初っから、その計画が教える全員の子供にヒットする確率など、半分以下、いや本当は1割にも満たない、という現実がある。
教師の仕事は、とても根本的なところでものすごく大きなジレンマが発生する。

日本の教育で受動態で学ぶ姿勢を身につけた私。記憶力はそれなりだったので、それなりに学校教育をやり過ごしたが、テスト用に覚えたことのほとんどは忘れてしまった。本当に今でも覚えていることは、自分たちで作り上げたお楽しみ会の出店だったり、自分たちで作ったお化け屋敷だったりする。キーは、姿勢が能動態であること、選ぶ自由があること、そして解決したい課題があればなおさらいい。これらの条件が揃うと学ぶことは「やらなきゃいけない」より「夢中になってやる」にシフトする。

日本で教職を取りたい、と思ったことは一度もない。学校のシステムが嫌いだったし、先生たちも時代が過ぎれば過ぎるほど窮屈そうな感じが増した。ニュージーで教職をとったのは、ハンターの前夫の収入だけでは生活が厳しかったこと、ニュージーの田舎で仕事を探すのは大変だけれど小学校はどこにでもあり、非常勤の仕事は結構もらえること。ニュージーの教職資格は、オーストラリアやイギリスでも通用することから、まあどこへ言っても職が見つかりやすいだろう、という考えからだ。

最初にとったのは小学校教員資格。ニュージーランドカリキュラムは先生たちが子供たちのニーズに合わせて自由に授業をデザインできるように組まれている。ので、決まった教科書などはない。ので、ある意味、教える側としては、かなりクリエイティブになれる。実際、理科や社会科のコンセプトをプロセスドラマといった演劇ベースで教えたり、歌に組み込んでみたりできる。そういうった部分では、かなり楽しい。でも、楽しい授業をデザインするのは、ものすごく労力がかかる。教習生だった時は、本当に朝の1時まで学校に残って次の日の準備をしたものだ。

教職がやっととれてしばらくした頃にシングルマザーになり、まだ幼かった長女を1人で育てるのに、フルタイムでクラス担任をすることはあまり現実的ではなかった。そこで、パートタイムで養護教師の仕事を始め、自閉症や脳性麻痺の子供たちと一緒に学んだ。同時に、ある私立の小学校で、パーマカルチャーをベースに菜園作りを始め、そこからエコロジカルリテラシーを教えるプログラムを始めた。たくさんのネイチャーゲーム、歌やドラマを使って自然のこと、環境のことを教えようと努めた3年間は、教師としては本当にいい勉強になった。

その間に幼児教育のものすごい重要性に気がつき、保育園で3−5歳児を教えるフルタイムの仕事を始めた。ニュージーランドにはEnviroschoolという学校全体で環境教育をやっていこうという取り組みプログラムがある。勤め先がこのEnviroschoolの一つだったのはものすごくラッキーだった。自然のことを学んだり、環境のことを考えたり、果樹園や菜園を作ったり、という私がワクワクして仕方のないことが、仕事場でいくらでも推奨された。

下のビデオはEnviroschoolプログラムの一部でやったミツバチプロジェクト。子供たちとミツバチの大切さを学んだのをビデオにして環境教育ビデオコンテストに出したら一等賞をいただいた。

そんなこんなで4年間遊びながら子供たちと学んでいるうちに、Enviroschoolの最高賞であるGreen Goldをもらうことができた。幼児教育者資格も取り、こんなに楽しい仕事はない。という時に次女を妊娠した。

今の旦那の元に引っ越し、そのタイミングでForest Schoolというイギリスの自然教育アプローチについて学ぶコースを始め、それと同時に友人が始めたBush Farm Schoolを手伝うことに。自然の中でいろんなことを学ぶ「学校」だ。Toroaが生まれた今も定期的に子連れで手伝っている。それと同時に、長女の通う学校の低学年のクラスを自然に連れ出すプログラムも今季から始めた。

こうやって子供たちと学ぶ経験の中で、どんどん明確になっていくのは、私が「これを教えたい。」と思っても、それが子供の側と一致していなければ、私の望む「子供たちが夢中になって学ぶ」という状況を作ることは全く不可能だということ。だから、どうしたって、子供の興味のあることをフォローしていく、というあり方になる。子供の興味をそそることはできる。そこから、学びにつなげていくことはいくらでもできる。でも、基本は子供が能動的に学ぼうとする姿勢を保持させる必要がある。だから、先生と生徒は教える側と教えられる側という一方通行ではなく、どちらかというとお互いが影響しあって学びの方向性を一緒に発見していく、というのがベストの形であるように思う。でも、それを普通の小学校のクラスでやるのは大変だ。1人の先生が親密に教えられるグループ人数は限られている。私は1人だったら5人以上の子供をこのように教えようとすると手一杯になってしまう。現実は1人の先生に対して15−25人のクラスが普通だ。
だから、またジレンマ。子供の発達に寄り添った教育にシステムがついていけてない。

なんだ、なんだか愚痴になってしまった。でも、私は今のところ5人以上の子供を相手にする必要はなく、楽しくやっているので、ただただラッキーだ、というところで、今日は終わりにしておこうと思う。


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