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「こうじゃなかったかもしれないのに」でできている。

どこにでもあるこの景色が、僕には特別。
その不思議をじんわり思っている。

山と田んぼと川ばかりのこの場所を25年ぶりに訪れた。
年に一度は行っていた習慣が、祖母の家を片付けて変わったのだった。今の町から3時間ほどと知り、行ける内にと電車に乗った。

あらためて、山と田んぼと川ばかりだ。隣町も隣の県も似た眺めだろう。
ありふれた景色で、もう知り合いもいない。なのに今なお自分には特別である。
それが不思議で心を引いた。
人生の、色々のことが似ている気もした。

お願い事があり大学の先輩に手紙を出した。仲の良い従姉のような姉のような人。
「あの頃から今日に至るまで、ずっと私に尊い役割を与えてくれてありがとう」
返事の一文に嬉しくなる。この人を好きになって良かったと思う。

出会わなくてもおかしくないし、こんな関係が育たなくてもおかしくなかった。

人生の色々が同じことだ。
出会った人、経験したこと、目にした景色、考えたこと。過去や偶然もろもろ思い通りにならない一切が自分の中にたまっている。

出会いも経験も感情すらも、偶然で思い通りじゃない。こうじゃなくてもおかしくなかった。
なのに、なぜだか、だからこそ。それらが合わさりこうなっている。

思い通りにならないものもので、ありふれたものが特別になる。
何か違ってもおかしくないのに、こうなったし、こうでしかありえなかった。

特別にならなかったあれらがあって、これらは特別になったことの不思議。

焦っているような気もする。
干支も気付けば3周して、過ぎた時間に比して何をしたか。
何も無いような気持ちになると、ありもしない天国や「自分の形」「特別な自分」というインスタントを求めたくなる。

こうじゃなくてもおかしくなかった。そう思い直せば落ち着く。
妄想が描く可能性はいくつもあれど、なのに、なぜだか、だからこそ、自分はやはりこの自分だった。

どこにも良しと悪しがあり、天国なんて存在しない。
それに飛びついてこの自分から目を逸らす安易をえらぶことはない。

僕は僕の人生をもっている。

生きるとは歳を重ねること。
それだけ経験や考えや人生の皺を深くすること。
ただ生き延びるのではもったいない。

寿命は延び、世界は便利になった。
その実際は機械の操作。家事は代行か機械化で、食事も家にまで届く。

世界は複雑になり、暮らしは単調になった。
長くなった人生が、ただ生き延びるばかりになりかねない。
生まれた時間にそそぐ適切な欲を育てられなければ、暇つぶしに奪われる。

良い歳の取り方をしたい。
こうじゃなかったかもしれないこの人生を、味わって、良く善く生きたいと思う。

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