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「どこでも生きていける人」ではないけれど「どこでも生きていられる自分」にはなってきた

「どこでも生きていける人を目指す」とはよく聞く。生き延びる可能性を高めるためにも合理的だと思う。

それって①他国の言葉が使えて(だからそこで仕事ができて)、②そこで人間関係をつくれる、ということだ。

ただ自分は、その国の言葉を本当に獲得するのはもうほぼ不可能だと思っている。以前も書いたように。
そりゃ何年か苦しめば何とかなるのだけれど、どうしても不透明な分からなさはずっとずっと残り続けるだろう。

他国の言葉を知れば知るほど、僕がいちばん伝え合いたいと願うところは日本の感性に根差していて、日本語ゆえのものなんだと気づく。

関係が深まるほどに、同時にその分だけ、伝わるにはあまりに遠いことも感じとる。

だから僕が望む人間関係は築ける気がしなくて、自分は「どこでも生きていける人」とは縁遠いなと思えてくる。

そうじゃなくて、「どこでも生きていられる自分」と言い換えてみたらどうだろう。
僕にはそれが良い気がするし、僕にはそれが似合う気がする。
「似合う」ということがとても大事なのだろう、と近ごろ考えている。

だって僕が今ここデンマークでやっていることって、大切にしていることって、日本と変わらないのです。

・ノートやスケッチブックに考えを書いて、思考が走り出してワクワクする。
・良い空を見て、季節を愛おしむ。seasoningという言葉のとおり季節は時間の味つけ、彩り。
・食事の前後に掌を合わせる。世界と自分を分けない。混ざり合ったものとして感じとる。そんな日本の感性で暮らす。
・時間をともにする人と、静かにいっしょに考える。答えがないから対等にいられる問い。世界や宇宙や人生への興味。
・ゆっくりすごす。走るより歩く。拙速しない。
・手洗いをしたり掃除をしたり、身体をつかう。マッサージ。ストレッチ。
・夜でも灯りはほぼつけず、外といっしょに暗い部屋。
・そのとき惹かれた本を読む。今の気持ちに合う音を鳴らす。
・誠実に、自然にいること。
・記録をつける。読み返す。その時々の真実を見つける。
・自分の言葉で話す。どこかで借りた言葉を自分のものとして飛びつかない。
・グループに入らなくたっていい。心地よさに飛びついて自分の本当を歪ませない。マジョリティに入らないからといってマイノリティも作らない。独りでいる。
・自分の大切を守る。そうし合える人と一緒にいる。リスペクトとは「あなたのその言動にはgood reasonがあるはず」と知ること。
・したいことがないなら何もしない。それが一番、時間を自分を大切にしている。

ここに来て分かったことがあるとすれば
僕はどこでも自分でいられる。良い状態の自分をつくれるということ。

デンマークに来て新しい自分を見つけたわけじゃない。
日本でもやっていた「良い自分」をただここでもやっている。
それは日本以外の場所でもできて、やっぱり良い自分で、その自分を好きだと思える。

これでいいんだな。やっぱりこれだな。そう確認するだけの留学で十分だったのです。

その時々で自分はちゃんと、確かなもの、良いものを見つけている。

よく言う「根拠のない自信」なんて全然ありません。
むしろ自分はこうして確かなものをちゃんと見つけて重ねてきたのだから、という「根拠のある自信=自身」。

自分は、自分の過去=歴史に支えられている。

これからも確かなものを見つけ、重ねながら変わっていく。
そうして変わっていく中でも「その時々で確かなものを見つけ、重ねていく」ことは続いていく。それが自分。セーブポイントのように。

「どこでも生きていられる自分」があるから、変わったって大丈夫、変えたって大丈夫な部分も出てくる。
(これは次のテーマなのかも)

日本人の「空気を読む」は「その場に合わせて自分のモードを変える」こと。
だから好きだと感じるし、これからも堂々とやったらいい。

どこでも生きていられる自分は、どこに行ったって自分の中にいるから。

こんな風に考えるなんて思いもしていなかったから、やっぱり留学してよかったのでしょう。

こうして今思う確かなものをここに書いて、また明日の僕が重なっていくのです。

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