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私が早稲田MBAに行こうと思った理由

おひさしぶりのnoteとなってしましました。

この度、2023年4月から早稲田大学ビジネススクール(Waseda Business School,通称WBS)に通うことになりました。コースは夜間主総合という平日夜と土曜日に講義を受けながらMBAの取得を目指すパートタイムのプログラムです。

そこでこのnoteではなぜ私がMBAへ進学しようと思ったのかについて備忘を兼ねてまとめていこうと思いますので、良かったら読んで感想やコメントをいただけると嬉しいです。



バックグラウンド

私は愛知県出身で、大学進学を機に京都へ引っ越しました。大学在学中は、毎日のように友達と朝までゲームしたり、純喫茶でマスターとしてバイトしたり、お決まりの定食屋に入り浸ったり、夏休みとか春休みじゃないのに、海外旅行に行ったりと、あまり真面目なタイプの大学生ではありませんでした。

(大学1回生のときに初めて行ったヨーロッパ / ローマのパンテオン)

ただ一方でNewsPicksのようなビジネスメディアを好きで見ていたり、最新テクノロジーとかメガトレンドみたいなものに興味があって、いろいろ情報を漁ったり、身銭を切って株式投資・仮想通貨みたいなもの挑戦したりするなど、少しずつビジネスの世界に片足をつっこみ始めて時期でもありました。

そして大学3回生ぐらいの頃に、(時間だけは死ぬほどあったので)、勢いで、EC向けファッションブランドを立ち上げてしまいました。

最初ECサイトを公開するまでは本当に大変で、いろんな壁に毎日のようにぶち当たりながらもなんとかブランドのリリースまで漕ぎ着けたときは本当にワクワクしました。その後のブランド運営も当然、そう簡単にいくわけもなく、四苦八苦しながらトライアンドエラーを繰り返していましたが、毎月の売上を何とか上げていき、最終的には事業を手放すところまで一通り経験できたのは、私のビジネスマンとしての原点だったのかもしれません。とくに人生の早い段階でドーパミンがドバドバ出るような一種の中毒性のあるビジネスの楽しさを体感できたのは、大きな財産となりました。

(深夜まで営業していた喫茶店 / 大学時代に頻繁に通って作業してました)

そして大学卒業後は、アクセンチュアというコンサルティング会社に新卒で入社しました。

就職活動の際は、自分のビジネスに関する好奇心を満たしつつ、あまりひとつの会社に長く勤めるイメージが湧かなかったので、ビジネス戦闘力を総合的に高められそうな企業を中心にいくつか選考を受けていて、今の会社に縁があって入社を決めたのですが、

そもそもコンサルティング業界はプロジェクト単位で仕事するため、同じ上司、メンバーとずっと一緒に仕事することはあまり無いのですが、入社して1年後に会社の組織体制がグローバル全体で大幅に入れ替わったり、コロナ禍になってリモートワーク中心のスタイルへ移行したりとかなり環境の変化が激しい日々を過ごしました。

ただ一緒に働くメンバーにも恵まれ、特に大きな不満を抱くこと無く仕事できていたので、そういった機会を用意してくれていた会社には本当に感謝です。

(アクセンチュア麻布オフィス)

そんなコンサルタントとしてのキャリアを歩んでいた自分ですが、私の父親は地元(愛知県/岐阜県)の方で、ファミリービジネスという形で明治創業の繊維系の会社を営んでいます。

(工場1)
(工場2)
(工場3)
(工場4)
(工場5)

もともと私は継ぐことを全く考えていなかったのですが、自らも社会人として仕事をする中で明治から続く歴史の重みを徐々に感じるようになり、今はその後継者として将来的に事業承継する方向で考えています

抱えていたモヤモヤ

そんな人とはちょっと違うバックグラウンドがある私ですが、ぼんやりと承継先の産業について調べているとかなりヤバい状況なんだということがだんだん分かってきました。

例えば、アパレル製品の輸入率

富岡製糸場が現役バリバリの頃は輸入浸透率(数量ベース)は0%に近い状態で、ほとんどが国内生産でしたが、徐々に海外との価格競争に押されて、1990年には50%ほどになり、現在はなんと99%近くにまで上昇してしまっております。つまり現在はほとんどのアパレル製品が海外生産です。

「日本のアパレル:市場と輸入品概況」より加工再編

なので近い将来、日本で衣服を作れなくなってしまっても全然おかしくありません。そして衣服を作れないということは日本の衣服文化を失ってしまうということにつながってしまいます。

また事業所数も大幅に減少しており、ここ15年で同業企業の半分以上が姿を消しました。

経済産業省「工業統計調査(産業編)」より抜粋


他にも世界第2位の環境汚染産業。少子高齢化による日本市場の頭打ち。コロナ禍による収益減などなど。暗い情報ばかりでてきました。

(ファッション業界は世界第2位の環境汚染産業)

多くの人は華やかなアパレル産業の裏にこんな生々しい現実が繰り広げられていることを知る由もないでしょう。

私は繊維産業に飛び込む身として、上記に挙げたような現実にしっかりを目を向けながら、覚悟と使命感をもってイノベーションの創出に取り組んでいかないといけないと思っていますが、どうすれば完全なる斜陽産業となった日本の繊維・アパレル業界の中で、(自らも楽しみながら)承継先を存続、発展させることができるのだろうかと、答えの無い方程式を永遠と解いているような”モヤモヤ”とした感覚に1年ほど陥っていました。

そして、こうすべきなんじゃないかという大まかな方向性を”机上の空論”としてなんとなくは考えられても、自分のなかで腑に落ちる具体的な中長期的な成長戦略を描けずにいました。

暗いトンネルの先に見えた小さな光

そんな時にたまたま、、早稲田大学ビジネススクール教授の入山章栄先生に出会いました。

<継ぐ気のなかった子供こそがイノベーションを起こす>

少し極論に聞こえるかもしれませんが、事業承継がうまくいくのは、お継ぎになる息子さんや娘さんが元々、継ぐ気がないパターンだと考えています。
~~中略~~
新しい知を探し出す「知の探索」と新しい知を徹底的に深堀し、収益化する「知の深化」とを両方使える「両利きの経営」が大切なのですが、特に必要なのは「知の探索」です。
~~中略~~
人間は所詮、目の前のものとしか組み合わせないのです。それではイノベーションは生まれません。事業承継に悩んでいる会社には長い歴史があり、ずっと同じ業界で仕事をしている。同じ場所にいると、目の前にある知と知ばかりの組み合わせをやっているわけです。そういう会社ではイノベーションの組み合わせは尽きているので、イノベーションは生まれない。自分から離れたところにあるものをいっぱい見ないといけないのです。
~~中略~~
ところが家業とは異なる経験をした承継者が出てくると、新しい組み合わせが試されます。そこに第2創業、イノベーションのチャンスが生まれるのです。

私はこの言葉を聞いた時、自分の答えのないモヤモヤとした感覚を打破するためには、直感的に、今の環境を飛び出して”知の探索”を繰り返すしかないと思いました。

そして入山先生が早稲田大学のビジネススクールの教授ということもあり、”知の探索”として多様なバックグラウンドをもつ学生/教授陣が一堂に会するMBAへ進学するという選択肢がピースのようにピッタリとハマっていきました。

(暗いトンネルの先に小さな光が見えたような感覚になりました)

もちろんコンサルティングキャリアでも”知の探索”を全く出来ていないわけではなかったと思います。ただ繊維・アパレル業界は中小企業の集合体で、サプライチェーンは緻密な分業体制で成り立っていることもあり、いち企業の成長・衰退は、産業全体や産地全体の動向と密接に関連するため、MBAにおけるアカデミックな視点と実務的な視点の両輪で研究していくことはとても意義のあることなんじゃないかなと考えました。

こうして私はMBAを受験することを決めたのです。

そして自分の中で完全に納得した、腑に落ちた「中長期的な成長戦略を生々しく描くこと」をMBA入学後のゴールに設定しました。

(筆記試験のときに初めて訪れた早稲田のキャンパス)
(筆記試験のときは少し早めに到着、ベンチで瞑想)
(教室は3つに分かれてました)
(筆記試験のときは余裕がなく見逃してましたw 写真は面接時に撮影)


以上が私が早稲田ビジネススクールに行こうと思った理由になります。

もしこの記事を読んでいるWBS生やWBSへの進学に興味がある人がいたらお気軽にご連絡ください〜

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