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飛鳥まぼろし散歩(上)

山が美しいと思った時、私は其処に健全な古代人を見附けただけだ。それだけである。ある種の記憶を持った一人の男が生きて行く音調を聞いただけである
(小林秀雄「モオツァルト・無常という事」所収「蘇我馬子の墓」新潮文庫、2006年改版、164頁)

5月3日の朝、私は涼しい青空の下を歩き出した。東京駅から東海道新幹線に乗り、古代のまぼろしを求めて飛鳥を目指す。

直前まで目的地は定まらなかった。関西に行くことは決めていたが、わずかな休暇に出来ることは限られている。どうしたものか。そんな時、冒頭に引用した「蘇我馬子の墓」のことが思い出されたのだった。

いま私は古事記を読もうとしている。「古代人の心」という、やっかいなものについて考えようとしている。「蘇我馬子の墓」は難解だが、それでも、古事記や本居宣長の「古事記伝」などと比べるならば、親切な道先案内人くらいのものだ。

はるか昔に読んだかどうか。思い出せなかったが、覚えていないならば読んでいないのと同じことだから、本棚から出して読んでみた。とたんに旅の目的地が定まった。それが旅の前日のことである。われながら何と無計画なのだろう。

橿原神宮前駅に降り立つ。かつて天武・持統の都だった藤原京の、あとかたもない跡地である。私は、奈良の「あとかたもなさ」が好きだ。ということは、京都には劣るがそれなりに残っているし、残す努力もしている奈良駅周辺よりかは、このあたりを愛するという次第になる。

藤原京は万葉集の主な舞台だ。万葉歌人がくりかえし歌にした、畝傍山の男性的な凛々しい姿形、対照的に女性的な香具山の優しい稜線。このニ山を東西の境界とすることによって、あとかたもないはずの藤原京は、私たち旅人に、都の大まかな範囲を教えてくれる。

まっすぐ東にすすむ。正面には香具山。背後には畝傍山。そして、左手には北の境界になる耳成山が林に遮られながら時々ひょっこり顔を出す。赤子のようで可愛らしい。

小治田橋で飛鳥川を渡れば明日香村である。藤原京よりさらに古代へと、時空をさかのぼったことになるが、もちろん目印などない。古代都市のあとかたなどない。私は、音ひとつしない道をひたすらに進んだ。

手始めに、挨拶は礼儀と思って飛鳥坐神社(アスカニイマスジンジャ)に詣でた。当社は明日香村の村社であるから。すると、思いがけない挨拶が返ってきたので、私はひとり可笑しくなってしまった。

本殿に向かう道の途中に、「むすひの神石」とご丁寧な案内付きで、なじみ深い形をした石が置かれている。

男根である。男根のオブジェは世界中の至るところで見られる古代の信仰の痕跡であるから、それ自体には驚かないが、さらに進んで目にした光景には、さすがに呆れた。「いちど説明したのだから不要」と言わんばかりに、案内板もなしに「男根群」が待ち受けていたのである。

ムスビは、古事記の巻頭から登場する重要な言葉で、宣長も古事記伝のなかで注意を促している。

【原文】
天地初めて發けし時、高天の原に成れる神の名は、天之御中主神。次に高御産巣日神。次に神産巣日神。この三柱の神は、みな独神と成りまして、身を隠したまひき
(倉野憲司校注「古事記」岩波文庫、2007年改版、19頁)

【宣長による註釈の抜粋】
産巣日(むすび)は、字は皆仮字にて、産巣(むす)は生(むす)なり。其は男子女子(むすこむすめ)、又苔の牟須(むす)など云牟須(むす)にて、物の成出るを云。日(び)は、書紀に産霊(むすび)と書れたる、霊字よく当れり。凡て物の霊異なるを比(ひ)と云。高天原に坐々天照大御神を、此地より見望け奉りて、日と申すも、天地間に比類もなく、最も霊異に坐が故の御名なり。比古比賣(ひこひめ)などの比も、霊異なるよしの美称なり。されば産霊(むすび)とは、凡て物を生成すことの霊異なる神霊を申すなり
(大野晋編「本居宣長全集第九巻」筑摩書房、1968年、129頁)

ムスは生むということだ。ビは人智を越えた、神秘的な力ということである。だから、この二つの単語の合成語としてのムスビは、「神秘的な生成力」を指すことになる。古代人は、男根の持つ生殖能力に、ムスビの最も単純で明らかな象徴を見いだした。

飛鳥坐神社の年中行事「おんだ祭り」は、みうらじゅんの「とんまつりJAPAN」に紹介されるほどの奇祭である。「とんまつり」とは「とんまな祭り」を略した造語だそうだ。

オレが今回見に行ってきた祭りは、奈良の明日香(飛鳥)の゛おんだ祭り゛。尻振り祭りのように名前こそインパクトはないが、「天狗とお多福のリアルな夫婦和合の゛種つけ゛。使用した紙は゛フクの神゛で子宝に恵まれる」(『日本全国お祭りさがし』さの昭・著より)とある。お・・・・おいっ!どーかしてるよこの祭り!
(みうらじゅん「とんまつりJAPAN」集英社、2000年、52頁)

アソコを拭く紙を福神とかける。くだらぬダジャレと言ってしまえばそれまでだが、こうまでくだらないと、シャレとシャレようとした対象との落差に戸惑うほかはない。子宝を授かりたいという、あまりに厳粛で、あまりに真剣な祈りだから、シャレのほうでも過剰にしなければ釣り合わぬ。祭りの考案者である古代人たちは、そのように考えたのだろうか?

いや、もっと重大なことが隠されているのではないか?行為が済んでから紙を陰部にあてて、漏れてくる液体を拭き取り、それを投げて、子宝に恵まれずに悩む若妻たちが競って拾うという構図を、いったん冷静になって考えてみるが良い。これはすなわち、「他人の子を産む」ことを暗示している。・・・・

古事記と同じくらい古い書物に「常陸国風土記」がある。現在の茨城県のあたりの古代を今に伝える貴重な本だが、そのなかに、聖なる山筑波山で行われた行事「歌垣」についての記述がある。

坂より已東の諸国の男女、春は花の開ける時、秋は葉の黄づる節、たづさひつらなり、飲食をもたらし、騎に歩にのぼり、あそびいこへり。その唱に曰はく、筑波嶺に/会はむと/云ひし子は/誰が言聞けばか/み寝会はずけむ。筑波嶺に/廬りて/妻無しに/我が寝む夜ろは/早明けぬかも。詠へる歌甚だ多くして、載するにたへず。俗の諺に云はく、筑波嶺の会(つどひ)につまどひの財(たから)を得ざれば、児女(むすめ)とせずといへり
(秋本吉徳全訳注「常陸国風土記」講談社学術文庫、2001年、31頁)

年にニ回、春と秋に、近隣に住む男女が筑波山に登り、歌い、遊ぶ。ここでは夫(妻)以外の男(女)との交渉が許されていた。万葉集に見える高橋虫麻呂の歌に、あからさまに詠まれている。

【原文】
鷲(わし)の住む/筑波の山の/裳羽服津(もはきつ)の/その津の上(うえ)に/率(あども)ひて/娘子(おとめ)壮士(おとこ)の/行き集ひ/かがふ嬥歌(かがい)に/人妻に/我(わ)も交はらむ/我(わ)が妻に/人も言問(ことと)へ/この山を/うしはく神の/昔より/禁(いさ)めぬ行事(わざ)ぞ/今日のみは/めぐしもな見そ/事も咎(とが)むな

【私なりの翻訳】
鷲が住む筑波山の、裳羽服津の上に、誘いあう若い男女が集まってくる。歌垣がはじまる。さあ人妻に交わろう。みんなも私の妻に声をかけれくれ。この山を治める神が昔から、歌垣の日に限り、そうすることを禁止されていないのだから。だから今日だけは、私の行為を責めないでおくれよ

後世の私たちは、こうした習俗に、現代で言うところの「乱交」を見て顔をそむけるが、まったくもってお門ちがいであると思う。

飛鳥坐神社の「拭く神」(福神)も、筑波山の「歌垣」も、この世にそれがあることだけでも奇跡であるような「むすび」(神秘的な生成力)を、古代人がどれだけ大切に扱ったかを示している。不幸にも「むすび」にあやかれていない者が、年に一度か二度しか訪れない特別な機会に「むすび」のチカラを得ようとして、どれだけ痛切に願ったかを想像できない者の眼には、なるほど、これらの神事は「とんま」なものにしか映らないだろう。

シャレは物事の本質を隠す。いじわるをしているのではない。直視したら失明するほどに強い光を、本質が放っているから。シャレの奥には本質があると知りつつ笑う者が、本当に「シャレの分かる人」である。シャレのバカバカしさに笑っているだけの者こそが「とんま」なのである。

現代の価値観から一歩も出ることなく、古代を眺めたって何のかいもないではないか。くりかえし自分に言い聞かせ、礼拝を済ませ、私は神社をあとにした。

≪つづく≫


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