としまとしお

いま面白いと思うことを書いております。 気ままに読んでください。

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  • 雑談

    とりとめのない談話。よもやまの話。

  • 私の論語教室

    孔子と論語の魅力をお伝えします。

  • 島崎藤村「夜明け前」について

    小説「夜明け前」についての感想

  • 恋と学問

    もののあはれとは何か?本居宣長「紫文要領」から読み解く、源氏物語の魅力と本質。

  • 宇治十帖のゆかりを歩く

    2022年12月30日から翌2023年1月2日まで。宇治十帖のゆかりを歩きながら思ったこと

最近の記事

映画「オッペンハイマー」について。(ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ)

昨夜はすることがなかった。ふと友人が、現在公開中の映画「オッペンハイマー」を勧めていたのを思い出して、亀有の映画館へ車を走らせる。上映開始は20時45分だった。 今どき流行らない3時間の大作で、観終わって車に乗り込んだ頃には日付が代わっていた。私は退屈しなかった。クリトファー・ノーラン監督の作品を他に見たことがないので早計かも知れないが、きっとこの人は音の響かせ方に秀でた映画監督だと思う。 友人が的確にして充分な感想を書いているので(リンク)、作品について私が付け加えるべ

    • 孤児・寡婦・異邦人

      人は誰しも決定的な影響を受けた人がいる。私の場合、20世紀フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナス(1907-1996)が、それにあたる。 影響を受けた範囲が広すぎて、その全容は語ろうにも語れない。それはあたかも、恋する人の好きな所を言い表せないことに似ている。どんなに言葉を尽くしたとしても、あの人の魅力を語り漏らしている気がして、上手い具合にまとまらないのだ。 このような対象について語るには、ほんの一言の解釈に留めておくのが妥当である。今日は、次の印象的なフレーズについ

      • 私の論語教室 1.文なるかな。

        八佾第三、第十四章、「文なるかな」を読み解きます。 【原文】 子曰、 周監於二代、 郁郁乎文哉、 吾従周矣。 【書き下し文】 子いわく、 周は二代に監(み)て、 郁郁乎(いくいくこ)として文なるかな、 吾は周に従わん、と。 【現代語訳】 ある時孔子が言った、 周は先行する二代の王朝を参考にして、 華やかな文化を築き上げた、 私は周に従うよ、と。 孔子の言葉は、世間話をするかのような口ぶりで、さらりと無限の含蓄を伝えます。よく耳を澄まさないと、重大なことを聞き逃す。その

        • 私の論語教室 総論、孔子について。

          今日の話は、この先、繰り返し立ち戻るであろう大事な話です。お聞き漏らしのないよう、切にお願い申し上げます。 実際に孔子の言葉に触れる前に持っておくべき、いくつかの前提知識について話します。古代と現代の隔たりは、私たちが想像するより大きいからです。この隔たりを無視して、「同じ人間だから」は通用しません。なかには、「前回序章で述べていたことと違うじゃないか。素直に読むのだったら前提知識など持たずに読もうではないか」という意見もあるかもしれません。 その考えは間違いです。前提知

        映画「オッペンハイマー」について。(ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ)

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        記事

          私の論語教室 序章、堀川をたずねて。

          ささいな風景についての印象から始めます。 2023年の大晦日は、ひとりで京都で過ごしました。母校同志社大学の構内にある教会で、無性に祈りたくなったからです。寒空の下、固く閉ざされた母校の門に立ち尽くし、ふと思い付いた私の足は、江戸時代の儒学者伊藤仁斎が300年ほど前に開いた、堀川の塾に向かって歩き始めていました。 大学から歩いて30分とかからない、ずっと気になっていた学舎は、思ったよりだいぶ小さく、ここで行われた学問の大きさとの不釣り合いについて、その場でしばらく考え込ん

          私の論語教室 序章、堀川をたずねて。

          恋と学問 あとがき、一冊の本を読むということ。

          最後までお付き合いくださった方へ、改めてお礼申し上げます。 今から200年以上も前に世を去った、江戸時代の学者である本居宣長(1730-1801)が、33才の年に完成させた源氏物語研究「紫文要領」についての、少しばかり長大な読書感想文、それがこの「恋と学問」です。今年で33才を迎える筆者としては、浅からぬ因縁を感じます。 2021年8月27日に筆を起こし、2023年12月23日に筆を置いたのですが、執筆の前に「紫文要領」を読む経験があったのは当然のことでして、それを含める

          恋と学問 あとがき、一冊の本を読むということ。

          恋と学問 第31夜、哀れの花は咲かすに任せよ。

          こんばんは。 「恋と学問」と題して続けてきた私の一人語りも、今夜で最終回になります。本居宣長の著作「紫文要領」の結論部分に当たる、「歌人此の物語を見る心ばへの事」の結末を、今から見届けることにしましょう。 まず、これまでの流れをかんたんに振り返ります。結論は「この本の主題は実は歌道論であった」という、衝撃的な宣言で幕を開けました。源氏物語論も、物の哀れの思想も結局、「歌の道」に回収されるのだと言われて、私たちは途方に暮れたわけですが、これは歌が告白を意味し、告白は必ず物の

          恋と学問 第31夜、哀れの花は咲かすに任せよ。

          革の話。

          今夜は「革」について雑談をしてみたくなった。ご興味があれば最後まで聞いてくださると良いし、途中で聞くのをやめてくださっても良い。暇つぶしの選択肢に如何だろうと思って話すので、そのつもりで。 私は赤羽という町にかれこれ5年住んでいる。東京の人間ならみんなたいがい知っているだろうが、都外の人間なら知る人と知らない人に分かれるかもしれぬ。この赤羽、英語で言えば、レッドウィング。アメリカの老舗ワークブーツ(作業靴)ブランドの名前と同じである。 この冬、思いきって、この「赤羽作業靴

          夢日記_15/11/2023

          砂漠にいて、隣には女がいた。同じ方角を黙って見ていた。 単調な、黄色一色の風景に、白い物体が小刻みに動くのに気づいた。近づいてみる。 ・・・・ウサギだ。 ウサギは砂を掻き出して穴を作り、2匹の子ウサギを埋めて、走り去った。 女がおもむろに砂を掻き出すと、子ウサギの亡骸が出てきた。ポケットから出した透明なビニール袋に入れようとして、亡骸をつまむと、後ろ足が2本ともポロリと落ちた。 「ビニールに入れたら土に還らないよ」 私は女をたしなめた。女は何も言わない。 私はポ

          夢日記_15/11/2023

          恋と学問 番外編その4、創造的読解のすすめ。

          宇野弘蔵(1897-1977)という人について、今夜はお話してみたく思います。日本のマルクス経済学を代表する人物です。ねらいは、彼の学説と業績をお伝えすることではありません。そんなことなら、他に適任者がいくらもいます。 私が宇野を面白いと思ったのは、彼がマルクスについて行った「創造的読解」というのが、本居宣長が源氏物語について行ったそれと、絶妙な具合で重なるからです。どういう意味か?ここのところを掘り下げて考えてみたい。 はじめに断っておきたいのですが、マルクスの学問がど

          恋と学問 番外編その4、創造的読解のすすめ。

          恋と学問 第30夜、感情のリハビリテーション。

          本居宣長の著作「紫文要領」の結論部分を読み解く、全3回の2回目です。今夜は引用から始めます。 宣長は言います。歌の理想は三代集である、だからあなたが詠む歌も三代集を模倣すべきである、と。この主張自体は藤原定家以来、誰もが言ったことで、宣長の独創ではありません。しかし、印象派の絵筆にかかれば、何でもないリンゴが異様な存在感を放つように、この月並みな主張も、「紫文要領」の結論部分に置かれることで、特殊な意味を帯びてきます。 前回を思い出してください。歌は内面の暴露、心の奥底に

          恋と学問 第30夜、感情のリハビリテーション。

          夢日記_06/08/2023

          私と、母と兄と祖母、合わせて四人はインドに飛んだ。インドで何する予定もなかった。 ニューデリーの空港でレンタカーを借りることを思いつき、運転は発案者の私がした。空港からニューデリー市街へ。高速道路を利用した。 車内で母が言う。 ギャランティを私は知らなかったが、ニューデリー市街でギャランティを見つけるという、旅の目的を得たことに安心した。 市街地の適当な所で車を降りると、目の前にギャランティがいた。ヨボヨボの痩せ気味のお爺さんだった。母は落胆していた。 私が提案する

          夢日記_06/08/2023

          衣食住の話~服の巻~

          衣食住という言葉をインターネットの辞書で引くと、次のように定義されている。 1の定義は「生活を可能にする条件」ということで、2の定義は「生活それ自体」ということである。この文章では基本的に1の意味で用いる。 つねづね不思議に思うのは、衣服と食物と住居が生活の「三大基礎」であることには、なんら異論がないのだけども、「どうしてこの順番なのか」という点である。とくに、衣服が最初に来る理由が気になる。 前回の「家の巻」では、実家を売らなければならない状況(父の死)から、生活再建

          衣食住の話~服の巻~

          衣食住の話~家の巻~

          衣食住への関心が、私の中で年々高まっている。人間だれしも一度は、このテーマに関心を持つのではないかと思うが、私の場合、七年前(二〇一六年)にそれは起こった。 はっきりとしたきっかけがある。父が亡くなった。遺された家族の生活再建のために、生まれ育った家を離れる必要が生じた。まず私は一年がかりで遺産を処分し分割し、私以外の「構成員」が住む場所の選定と、不動産業者との交渉を手がけた。それが終わると己の家を建てる番になった。 生まれ育った家を離れることと、新たに家を建てることが、

          衣食住の話~家の巻~

          宮台真司のこと。

          東京都立大学教授で、社会学者の宮台真司(1959年生まれ。以下、宮台さんという)について、思うところを思いつくままに書いてみたくなった。まとまった話になるかは分からない。 1.きっかけは西部邁宮台さんは、私の記憶史に、西部邁(1939-2018)の論争相手として登場する。 西部邁は私に大きな影響を与えた人だ。学問的には社会経済学、すなわち、経済学に社会学の知見を導入して、この学問を大学という無菌室から社会の荒野に解き放った人、とされている。私個人にとっては、社会や人生の味

          宮台真司のこと。

          恋と学問 第29夜、告白は歌にのせて。

          今夜から、本居宣長33才の作、「紫文要領」(西暦1763年成立)の、結論部分(岩波文庫版、162-184頁)の読み解きを始めます。私たちの旅は予定された目的地を持ちません。読み解いた先に、どんな景色が待っているのか?すべては宣長の筆と、それを読んだ時の私たちの想像力にかかっています。 手始めに結論部分のタイトルについて触れておきましょう。いわく、「歌人此の物語を見る心ばへの事」。 ・・・え? 本文の流れをていねいに追ってきた私たちには、驚くべきタイトルです。歌人が、源氏

          恋と学問 第29夜、告白は歌にのせて。