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[全文無料: 小さなお話 0.07] ハート泥棒にご用心♡

[約2,000文字、3 - 4分で読めます]

その怪盗の名はKYというのだが、空気が読めないというわけではない。むしろ空気を読むのがうまいのだ。しかもこの怪盗は、そうやって読み取った空気を盗んで生計を立てている節すらある。

時代の空気を読むのがうまい怪盗は、ハート泥棒となって巨万の富を稼ごうと考えた。だが、結婚詐欺の同類だろうと思って、軽く見てもらっては困る。なにしろ巨万の富と言っても、それは世俗の富の話ではないのだから。

現代社会というものは実に忙しいものだ。誰もが端末を握りしめて、液晶の画面をなでたり、叩いたりしながら、人の心をつかもうとしている。

こうして起きたのがハートのインフレだ。

本当に人の心をつかもうと思ったら、相手の心を読まなければならない。けれども忙しい現代人に、相手の心を一々読んでいる時間などあるはずがない。仕方がないので多くの人間は撒き餌を使うことを覚えた。

相手から暖かいハートをいただこうと思ったら、まずこちらから差し出すのが順番というものだ。

かくしてハートの大安売りセールが始まった。

アメリカかどこかの頭のいい学生が、ハートをばらまくシステムをネット上に実現したのがきっかけになって、世界中の金鉱掘りが一攫千金を狙ってネット中のハート鉱脈の盗掘を始めた。

各国政府の規制もままならないインターネット開拓地での話だから、たちまちハートの供給量は津波のように増大し、価格の方は雪崩れを打って暴落した。

今や躍起になってハートを配りまくっても、紙くず同然で焼け石に水。

世界中の中央銀行は、ハートの流通量を何とか抑制しようとしたが、バイラルなハートの増殖の前に功を奏す手は見つからなかった。

日本の伝統的な気配りの精神はどうなったのかと、復古主義者も騒ぎ出した。

そこに現れたのが怪盗KYである。この怪盗は時代の空気を読むことに心底たけていた。人々が本当にほしがっているのは薄っぺらなハートマークではないことなど分かりきった上で、まずはハートマークを集めるところからやつは始めたのだ。

なにしろ人間というのは、単純なものだ。ハートがいっぱい集まるところには何かがあるはずだと、勝手に簡単に思い込む。これでは怪盗の思う壺だ。人に何かがあると思わせてしまえばこっちのもの。もともとは二束三文のプラスチックバッグだって、みんながほしいと思えばこそ、高価なブランド品として崇められるのが人間社会なのだから。

しかもこの怪盗、実に恐ろしいことに、世間的な価値などにはこれっぽっちも興味はない。

やつのお目当ては人間の心、ただそれだけなのだ。

人間の心がどうして巨万の富になるのかって? それはさっきも言った通り、人間の心こそがすべての価値の源泉なんですからね。

まあとにかく、ハートを集めることなど、やつにとっては朝飯前なのだから、集めたハートを目も艶やかなアレンジをほどこして豪華な花束に作り、それをまた本命であるあなたの眼前にさりげなくちらつかせて、その心を釘付けにすることなど、ほんの序の口の仕事。

娘さん、ハート泥棒にだけは、ほんとうに気をつけなきゃいけませんぜ。

いったんハートを持って行かれたら、そのあとは何を持って行かれるか分かったもんじゃありませんからな。

おまけにこの男、女の心だけじゃなく、男心までも持って行っちまうらしいから、だんな、あんたも人ごとじゃあないってこと。

この怪盗KYの類まれな手さばきにうつつを抜かしているうちに、平凡で波風も多いけれど、それでも小さな幸せでいっぱいだったはずの自分の人生が、なんだか味気ないものに見えてきたとしたら、そいつはまったく危ない症状だ。

そうなっちまったら、ハートマークのインフレですっかり擦り切れかけちまったあなたの心が、怪盗KYの手口にまんまとはまって、すっかり心を持っていかれるのも、もう秒読み段階ってことですぜ。

さあ、お嬢さん、だんなさん、あぶない芸は見ておくだけにしておきなさい。ああ見えても怪盗KYには、まこと慈悲深い義賊の血が流れているんでさ。

あなたがたが小市民としての生活を愛していらっしゃるんなら、そこから無理に魂を引っこ抜こうとか、そういう手荒な仕事をする輩じゃあ、ありゃしません。

やつに心を奪われるのは、もとからその気があるはぐれ者ばかりでさぁ。

あなたがたは平凡な暮らしを大切にしたほうがいい。はぐれ者のおれが言うんだから間違いない。

さあさあ、怪盗KYの大道芸が始まるよ、みんな見ていっておくれよ。お代は投げ銭、気持ちのある方だけお願いだよーっ。

-- キリヱさん、Kさんに捧ぐ

Kさんの言葉のアクロバットはこちら。
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[2018.11.27 西インド、プシュカルにて]

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