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豊穣の命、あるいは生きてるだけで大丈夫│独白小説

北インドの小さな聖地ハリドワルの道端で、二人の日本人がチャイを飲んでいる。

ごま塩の仙人ひげを伸ばした歳かさの男が、こざっぱりとした身なりの若い男にしきりと話かけている。

* * *

だいぶ前に精神福祉の作業所でバイトをしててね。

そこで知り合ったメンバーの人が、カドウさんっていうんだけど、文学好きで小説書く人で、作業所の所長さんも巻き込んで同人誌を作って遊んでたことがあるんだ。

カドウさんちにもよく遊びに行ってたんだけど、あるとき三島由紀夫の「暁の寺」が目に止まってね。その頃ぼくはタイによく行ってたから「そうか、三島はタイの暁の寺(ワット・アルン)について書いてたんだな」と思って、貸してもらうことにしたんだ。三島は何にも読んだことがなかったし、まったくといっていいほど、関心もはかったんだけど、まあ、気まぐれというもんで。

タイは敬虔な上座部の仏教国で、バンコクに暁の寺(ワット・アルン)っていうのがあって、なかなかいい寺なんだな。チャオプラヤーの川をポンポン船みたいなので渡っていくのも風情があってさ。

寺といっても日本の木造の仏教寺とはまったく違って、カンボジアの影響を受けた造形として、石やレンガを積んで造った仏塔が、タイ独自の焼き物のタイルで装飾されていて、これは一度近くに寄って自分の目で確かめないと、その美しさが分からないってわけで。

今ネットで検索してたら、「純白の壁に花柄タイルの装飾がとても綺麗‼?!」なんていう女子旅な記事が出てきて笑っちゃいますが、遠くから見るとただ白っぽく見える仏塔が、近づいていくと細やかな造形と模様に彩られてるのが分かるのがミソで、朝日が当たる頃には釉薬が煌めくのも見どころ……てなわけですよ。

で、三島の「暁の寺」では、ワット・アルンも緻密に重厚に描写されてるし、それからタイの王女さまが重要な登場人物として出てくるもんで、ぼくとしてはそういう「暁の寺」だけ読めばいいと思ったんだけど、三島の大ファンであるカドウさんが「あれは『豊穣の海・四部作』の一冊ですから、やっぱり全部通して読まないと」っていうんで、結局みんな借りて読んだんだ。

そしたら、これの一作目の「春の雪」ってのが大傑作でね。

かなわぬ恋を無理やりかなえようとする青年の、けれどやはりかなうことのない悲恋の物語で、最後にはその青年は非業の病死を遂げる。三島のそういう破滅的な美学が、貴族的な日本的情緒の世界を明治から大正に渡る時代を背景として、万華鏡のように写し出す筆致がまったく見事としか言いようがなくて、こんなの読ませられたら、自分のような素人が何書いても意味ないなって、そんなふうに思っちゃいましたよ。

「豊穣の海・四部作」としては、非業の死を遂げた青年が三度の生まれ変わりを繰り返す中でさまざまな人生模様が描き出される様子をその青年の友だちが見守って、最終的には昭和の現代の物語として、日本の歴史自体を三島の自分の人生と重ね合わせて、所詮この世のすべては一夜の夢まぼろしにほかならないという、仏教的世界観で締めくくられるものだなと、そんなふうに感じました。

この日本の近代史を総括するような夢物語に、三島はどうして「豊穣の海」という名前を与えたんだろうと思ってて、あるときふと気がついたのは、「豊かの海」ってのが月にあるんだよね。海っていっても水があるわけじゃなくて、隕石がぶつかって凹んだクレータが少し暗く陰になってるのを海に見立てた名前なんだけど。
ラテン語だと Mare Foecunditatis っていうのを子どもの頃に「豊かの海」って聞いたけど、「豊穣の海」とも言ったんだな。

アポロが月に着陸して、アメリカの人が初めて、地球に比べたら随分小さなその大地に、人類としての大きな一歩を印した直後に、真空の宇宙にぽっかり浮かび、なみなみと虚空を湛える月の海の豊穣性に、日本と自分の歴史をたとえた上で腹を掻っ捌いたんだから、三島もなかなか役者じゃないか。

三島の国粋主義的でマッチョな横顔にはぼくは今でも興味はないけれど、この世界の、そして自分自身の人生の、空虚感と向き合おうとして失敗した彼の真摯な試みには大いに共感するね。

みっともない悪あがきの姿は極力見せることなく、「春の雪」という美しい物語を残して死んだ一人の作家として、ぼくは三島を尊敬するよ。残虐な人間との戦いには破れたとしても、素晴らしい皮をその命の証(あかし)として残して死んだ、野性の虎を尊敬するようにね。

さてそれで、死んでも虎の皮すら残せない、ぼくら凡人はどうしたらいいかというと、これは実は簡単な話なんだ。

だって別にどうもしなくていいんだから。

ていうか、そもそも三島のような大天才だって、「何かをなさねば」なんていうことを考えるから隘路に首を突っ込んじゃうわけでさ。

「何かをなすべし」なんていう近代の呪文を放り投げちまえば、きみのそのちっぽけな命も、豊穣そのものなんだよ、今ここで、この瞬間にね。

「あんたのような人間にそんな偉そうなことを言われたくない」って思うかもしれないけど、俺のようなサイテーの人間だからこそ、真実がケシ粒ほどは混じった寝言うわ言をこの世の裏側から垂れ流せるってこともあるわけでね。

毎日まいにち朝から晩までが、昨日の繰り返しで、そいつが明日も繰り返す。

そういう悪夢の大波がやってきたときには、「生きてるだけで大丈夫」なんだってことを、まずは思い出してみることさ。

これを乗り越えなくちゃとか、その上で何とかしなくちゃとか、思うのをやめるだけで、案外道は開けるもんだし、もっと言っちまえば、ホントにどうしようもなくつらいんなら、別に死んだってかまわないんだからよ。

誰かが本気で死ぬしかないと思ったときには、そんなの止められるはずないし、死んしまえばアホウと呼ばれようが何と呼ばれようが、そんなことぁどうでもいい話だからな。

まあ、大抵の人間は「いつでも死ねる」と思っていりゃあ、何とか生きられるってもんだ。

そしてあんたが本当に死を選ぶんなら、よくも悪くもそこまでの人生が、あんたの残した虎の皮ってことだ。

俺がこの世に残せるのは、腐ったバナナの皮みたいなこういう世迷い言ばかりだから、滑って転んで脳挫傷受賞とかならないように、せいぜい気をつけることだな。

ああ、だいぶ長話をしちまった。つき合わせて悪かったな。縁があったらまた会おう。じゃあな。

* * *

ごま塩ひげの男が立ち上がり、二人分の会計を済ませてふらふらと歩き出した。

ツーストロークの三輪オートがエンジン音を響かせながら行き来する道を、背中から夕日に照らされてだんだんと小さくなっていくヒッピー風の男の姿を、若者は何も言わずに見つめ続けていた。

☆今回紹介した作品
三島由紀夫「春の雪(豊穣の海・四部作・第一作)」
https://amzn.to/3AUhW5N

☆あとがき・その1

「豊穣の命、あるいは生きてるだけで大丈夫」という題名を思いついたときは、エッセイ風に書こうと思ったんですが、いざ書き出したらまた一人ごと形式になってしまいました。語り魔に取り憑かれてます。

今回は三島について書きましたが、三島と太宰の似てるところと違うところについて考えていて、するとこの二人は、印画紙の写し出すごとく、影と光が逆転したような好一対にも思えてきております。

三島や太宰をお好きな方がおられましたら、何でも気軽にコメントいただけたら幸いです。

#小さなお話 #随想詩 #短編小説 #エッセイ #コラム #茫洋流浪

[みなさまの暖かいスキ・シェア・サポートが、巡りめぐって世界を豊かにしてゆくことを、いつも願っております]

※有料部にあとがき・その2を起きます。気が向いたら投げ銭がてらどうぞ。

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