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当事者性とのジレンマ

2023年の最後に答えが1つ出て、少しまとまった気持ちになったお話。


「当事者性とのジレンマ、いろんなことトラウマ的に思い出して、苦しくなるかもね」
と言われて、確かにそうだよなあと思ったのが
たしか2023年の夏の頃。



そこからずっと「当事者性とのジレンマ」という言葉がテーマとして頭にあった。


「生徒指導・進路指導」という授業でいじめとか不登校も話題として出てくるから、先生から
「苦しくなる人は気をつけてね、でもそういう話は教育現場出たら避けて通れないから、大学生のうちになんとかしておいてね」
みたいな話があって、たぶんこの先生のこの話ってとても現実的なことで、やっぱりなんとかしておかないといけないんだなあと思った。



私は、今の精神的な苦しさや一生付き合うのかなという聴覚過敏も含めて

「こんな自分だから、自分にしかできないことがある」
って信じてきたし、信じている。


2023年の11月に教育実習に5日間だけではあるが、行ってきて、いろんな学びがあって、
いろんなことを思って感じた。

聴覚過敏や、私が持つ(精神的な)弱さのせいで苦しくなったり、起き上がれなかったり、自分の体調としては、学校という場所は苦しくて合わないなと思った。現実を突きつけられた。

良くも悪くも「これが現実」だった。


しかし、この「こんな自分だから、自分にしかできないことがある」という思いはちゃんと変わってなくて、
最終日にも実習担当の先生に「どうでした?」って聞かれて、偉そうにこの考えも話して、
「その考え大好きです」とか言われた(笑)

この気持ちをこのまま持っていていいのかなと思えた。




最近尊敬している、子どもの支援について、
よく語り合う先輩に、
「当事者性を忘れない在り方」から「支援者として寄り添える優しさ」を感じるって言われて、
とっても救われた。

こんな私でも支援者になっていいんだと思った。


ずっと思っているが、傷の上に成り立つ優しさって悲しいけれどあると思っていて、そしてそれがないと社会や世界が回ってこなかった部分があって、

私もあの子のあの人の繊細さや傷つきや、
その上での優しさに救われて今がある。きっと。



私のそういう部分を生かしていかないと
私はきっとやりきれなかったりするのだと思う。 
こんなに苦しい思いをしてきて、それを何かに生かさなきゃ、過去の自分が報われないと思う

尊敬している大学の教授に
「これからの援助職、支援者は、”ライダー””サバイバー”(当事者)中心になっていくと思う

「そういう意味ではあなたもいっぱいライダーでサバイバーだから、ね」

と言われて、これもまた救われたし、そうやって見てるんだと驚いた。


私は、そうやってジレンマを抱えて、トラウマ的に思い出してしまって、苦しくなることもあるだろうし、苦しい思いをすることが多い、乗り越えなければいけない壁が多いとわかっているから、そういう経験を糧にして、そういう道に進むことってどうなのだろうと思っていて、

むしろもっと違う道に進んでくれた方が安心するのだけれど、(誰目線)



ある程度、経験した人にしかわからない領域とか、起こせないパワー・エネルギー(怒り)があるとやっぱり思っている。
そういうエネルギーって凄まじくて、社会を変えてしまうと思う。

人は究極的にはわからない。分かり合えない。
どんなにわかってあげよう、わかりたいと思っても、わからない。だからこそ、「わかろうとし続けること」が大事だと思う。

でも、やっぱり、経験があるから寄り添えることってあるのかなと思って、そう信じていきたいし
もっと考えていきたい、ここらへん。




あと大事なこと、さんざん「当事者」って言葉使ってきたけど、全員、何かの当事者!

結局みんな何か抱えてるし、どこかで区切るのも、括るのも違うよね。と思う。


傷ついていいわけじゃない。

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