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科学と政治と戦争と平和

いきなりですが、タイトルとの共通事項は”A と B と C と D”構文
と言う事のみです。

ちなみに『部屋とワイシャツと私』は”A と B と C ”構文

第一部   STC


前々回のドンマイG.W. PartⅢから
前回のレッドミラージュ#9 ”2022年SFの旅”の公開まで、
ずいぶんと期間が空いてしまったのですが、
その間、試験勉強をしていました。

その試験とはSTCSecurity Trading Control)。
安全保障輸出管理の実務能力認定試験というやつで、
7月末にやっと試験が終わり、
それからそそくさとレッドミラージュ#9を書いていたわけです。

しかしこの歳になって試験を受けるハメになろうとは!
(;´д`)トホホ

安全保障輸出管理というのは日本から輸出する高度な技術
その技術で作られた品物大量破壊兵器製造やテロ行為に
用いられないように、輸出に制限をかける法律に従って
輸出品の規制内容判定したり、
場合によっては関係省庁許可を得るなどの管理をすることです。

かつて、東西世界の冷戦時代にはココム規制というのがあったのを
ご存じでしょうか?
あんなものというか、
安全保障貿易管理の一部分はまんま“新ココム”と呼ばれることもあります。

トトムでもココモではなくココムです。

重要な法令なのですが、とにかくややこしい
法律政令省令通達告示のうち、第何条が書いているのかを、神経衰弱のように覚えたり、
輸出品の種類輸出先国によって決まる規制の内容が、
輸出手続きの種別ごとに微妙に違うところを間違い探しのように
見つけたりしなければならない。

当然試験はテキストは見れないので、間違い探し神経衰弱である。

新種目 間違い探し神経衰弱

50代になっても理路整然としたことは理解記憶も問題ないのですが、
丸暗記をすることについては愕然とするくらい能力低下していることを
思い知らされました。

いや~大変でした

人間というのは不便を進んで受け入れる習性があるのではないだろうか?

個人民族国家の間に少しの違いを見つけてを感じると、
その壁を取り除くのではなく、本来不便な筈の壁を維持したり、
あまつさえどんどん高くすることに血道をあげるのである。

かくして受験生を悩ませる複雑怪奇で、
何か輸出をしようとするたびにビクビクもの禁止令
出来上がったのである。

あっれもタブー、こっれもタブー


この試験を受けて、一番言いたいこと。
『世界の皆さん、どうか仲良くしてください。』
そうすればこんなややこしい法律も無用で、
こんな試験を受けなくて済むのです。
 

同じ我慢をするのであれば、
お互いの違いを認めるために、少しの我慢をするほうが
よっぽどなのではないだろうか?

ちなみにこの法律の最も重要な目的は大量破壊兵器に係る
技術品物(ここでは以後”科学技術”と呼ぶ)の輸出を
制限することであると書きましたが、
大量破壊兵器というのは以下のようなものです。
 ・核兵器生物化学兵器を開発・製造するための科学技術
  核兵器、生物・化学兵器を散布する装置
 ・それらを運搬するロケット無人航空機
 ・もしくは国防をつかさどる行政機関が実施したり、
  委託する宇宙に関する研究

確かに武器を輸出して商売をするのは“死の商人”といわれ、
世間の目も厳しくて当然なのですが、
規制されるものには兵器のみでなく、デュアルユースという
兵器製造にも応用できる民生用科学技術も含まれます。

特に規制されるデュアルユース品は高度な科学分野に関するもので、
医療やエネルギー・通信などの基幹インフラに欠かせないものなのですが、根底にある理屈はとどのつまり、
俺たち(いわゆるホワイト国と言われる日本を含む先進国の一団)は
正義だからどんなに強力な兵器を持っても良いことにしか使わないが、
お前たちはどうせ悪いことをする奴らだから、
武器どころか武器に使える科学技術を手にすることはまかりならぬ。
という、いささか子供の喧嘩のようなものです。

STCは世界に必要とされる科学技術を、政治制約している一例ですね。

ところで、テキストでテスト勉強をしても
あまり詳しくは載っていませんでしたが、
宇宙に関する軍の研究大量破壊兵器になるのです。

第二部   SF


宇宙開発大量破壊兵器への利用とはなんぞや?
安全保障輸出管理の勉強をしたところでよくわからなかったので、
インターネットで調べて見ました。

地球上のあらゆる地域の観測通信測位などをおこない、
敵軍事施設などを偵察したり、弾道ミサイルなどの発射を感知する
人工衛星の技術
あるいは、そのような人工衛星を破壊するための対衛星兵器
開発のことのようです。

要は自国の大量破壊兵器に対して相手防衛する手段
あるいは他国の大量破壊兵器から自国防衛する手段を無力化する手段
としての宇宙研究を大量破壊兵器と位置付けているわけです。

どうやら宇宙から地上の大都市に強力なレーザーを照射したり、
強力な電磁波で地震を引き起こしたりするのは、
まだSFの中だけの話のようでちょっとだけ安心。

無限に広い宇宙開発目的が、あくまで地球の覇権を巡って
地球周回軌道にとどまるものだとは、なんとも皮肉なものですが、
かつて1950年代後半から1970年代前半にかけての宇宙開発
まったく違うものでした。

米ソ 2大超大国が国家の威信をかけて行った宇宙開発の目的は
有人宇宙飛行の実現とそれにより人類がどれだけ長く宇宙に滞在し、
どれだけ遠くへ行けるかでした。

そんな時代の真っ只中、1968年に作られた映画『2001年宇宙の旅』
のストーリーの中心は木星への有人探査船ディスカバリー号です

しかしながら現実では、現在に至るまで木星に人類が到達した
ということはありません。
それどころか1969年に初めて人類がに到達して以降、
それより遠くには行っていないのです。

では2001年宇宙の旅で木星への有人宇宙航行を描いたのは
荒唐無稽な夢物語だったのでしょうか?
興味本位で考察してみましょう。

我々にとって2001年はもうずいぶん昔のことですが、
『2001年宇宙の旅』が作られた1968年からすると
33年も先未来の話。(しかも新世紀)

2017年に『ブレードランナー2049』が公開されたのは
記憶に新しいのですが、32年後の未来を描いているその映画のように、
『2001年宇宙の旅』での木星への旅は、
根拠のない著しい科学の発展を30余年という年月に
”ツケていた”のでしょうか?

2049年の世界!スピナーが前作の2019年から進歩していない。

実は無人探査機であれば、1972年に打ち上げられたパイオニア10号が
1973年には木星に到達しており、
1968年の映画としてはなかなかタイムリーな設定と言えます。

パイオニア10号


問題は乗組員生命維持が必要な有人宇宙船が木星に行けるかということ。

映画では冷凍睡眠とコンピュータHAL9000による宇宙船の管理(HAL君の反乱によって乗組員はボーマン船長以外は抹殺されてしまいましたが)
によって長距離長時間の宇宙航行を実現していましたが、
冷凍睡眠が実用化されているという話は聞かないので
これは考察の条件から除きます。

条件は次の通り

理論物理学は楽し


地球と木星の距離 8億8600万 ㎞
木星までの到達期間 
 期間を長くすると食料や水の積載量が増え、
 期間を短くするために航行速度を早くするには燃料や推進剤の
 積載量を増やさなくてはならないことから、
 最適な航行時間を設定するのは悩ましいが、
 ミッションの成立性ということで2年間と設定。

以上より自動的に平均速度は5万571㎞/hとなる。

ただし惑星間航行用の宇宙船を地球から打ち上げるのは不可能なので
地球軌道上で国際宇宙ステーションのように組み立てられ、
完成後に木星に向かって、速度0から等加速度運動で中間点まで飛び、
最高速度に達した後、今度はマイナスの等加速度で減速して
木星軌道上静止するとすると、
地球から4億4300万 km中間点で最高速度10万1142㎞/hとなるので、
単位をSI単位に変換してちょこちょこっと計算すると
加速度は0.000891m/s2である。(意外と小さい

宇宙船の質量は国際宇宙ステーションを参考に400tonとします。
国際宇宙ステーションはサイズが108.5m×72.8mで420tonであり、
ディスカバリー号の全長100mという設定と同規模なのです。
やはり乗組員が長期間暮らすにはこのくらいのサイズは必要です。

こんな蚊トンボが420トンもあるなんて!

あとは400tonの大質量のものを、ゆっくりとはいえ加速させるのに
必要な推力ですが、さてどうなるか?

答えは簡単に求めることができます。
ニュートンの第2法則 ma=Fを用いればよいのです。
ここも単位に注意して計算すると必要な推力はなんと!356Nです。

…(しーん)

356Nです!

あっ!はニュートンと読む力の単位です。
身近な単位に換算すると36kgf(んん?これって滅茶苦茶小さい!)

どのくらい小さいかというと、我らがF/A-18Eに搭載された
ゼネラルエレクトリック社製F414-GE-400ターボファンエンジン
1基あたりの通常推力(アフターバーナーなし)で62.3 kN、
つまり約6トンもの推力を発揮するのであることと比べると一目瞭然。
F/A-18Eのドライウエイトが14tonでF414エンジンを2基搭載するので
推力は12トンである。

それに比べて400トンもの巨大な宇宙船でも、36kgfとひと一人でも
出せるような小さな力をずっと掛け続けると
2年後には木星までついてしまうとは!
(正確には1年間木星の方向に押し続け、
その後1年間は木星と反対方向にブレーキを掛け続ける。)

試しに体重計を壁に押し当てて、思い切り押すと36㎏を示しました。
(汗かいた💦)

壁に向かって押してます。地球がちょっとズレたかも知らん!


みなさんも勢い暴れて、地球が変なところへ行ってしまわないよう
静かに動きましょう。

ただこの356Nという推力を出すのが意外と大変。
ロケットのエンジンは燃料消費量当たりの推力の大きい(要は燃費の良い)イオンエンジンが主流ですが、
このイオンエンジンの推力が極めて小さいのです。

JAXAの開発している最新で最も大型のμ20でも、
その推力はたったの30mN(ミリニュートン)である。
200㎜の直径のビーム口径で、なんと推力はたったの3g
まさに小指一つ分の力ですね。

356Nの推力を得るには11867基ものμ20エンジンが必要です。
いいでしょう付けましょう。余裕を付けて12000基ほど。
200㎜の円を縦60列、横200列でならべれば良いのですから。

かくして妄想宇宙船ディスカバリー号が出来上がりました。

これでイオンエンジン 1416基。まだまだかぁ!

SF映画界の金字塔『2001年宇宙の旅』はSFではありながら
技術的には実現可能な設定だったのですね。

しかし現在に至るまで人類が木星に到達していないのは、
ひとえに第二部の最初に調べたように、
人類の宇宙開発に関する関心外惑星への到達競争ではなく、
地球近傍での勢力争いにに変わったからにほかなりません。

これは科学的には可能であっても、
政治の面から必要とされなくなったということです。

第三部   SDGs

 
宇宙に関する最近の話題は、
2018年、はやぶさ2小惑星リュウグウに着地したというので、
世間は大騒ぎしてましたが、
H3ロケットの打ち上げについてはそれほど盛り上がりません。

むしろ今世の中が最も関心を持っている、
あるいは関心を持っているように振る舞うほうが得策と思わせているのが
SDGsというものです。

SDGsというとサステナブル
サステナブルというと地球温暖化防止二酸化炭素排出削減の話を
まず思い浮かべる人がほとんどかと思います。

もちろんそれもありますが、
カーボンニュートラルネットゼロ・エミッションではなく
SDGsの内容を語るのであれば、偏りなく確認しなくてはなりません。

SDGs17の目標のうち気候変動に直接的に関係するものは2つのみ。
それ以外は気候変動以外環境保全に関わるもの3つ
産業経済の構造に関わるものが4つ

残りの8つの項目発展途上国貧困教育の改善に関するものです。

17の目標の下には、169の達成基準があるのですが、
ざっと見て科学技術が関与する項目は48と全体の1/3にも届きません。

169の達成基準をひとつひとつ読んでいきますと、実現出来る気がしません。(あっさり言ってしまい、SDGsに熱心に取り組まれている方には、
申し訳ないですが、一つ一つの活動の是非ではなく、
その個々の活動の結果で本当に目標が達成されるかという観点です。)

なぜか? 
SDGs達成のための条件というか、SDGsに取り組むための資格を
今の社会が満たしていないし、
敢えてSDGsがその事実から目を背けているように見えるからです。

その資格とは以下の2点です。
差別のない社会
戦争のない社会

重ねて言うとこの二つは目標ではなく、
最低限これがなければSDGsなど達成はおろか、取り組むことができない
というスタート地点につく条件に過ぎないといことです。

差別があれば教育を受けたり、自ら職業を選ぶことができず、
貧困が無くなることはありませんし、
ましては戦争下の状況で、誰が今日生き延びる事よりも、
自分に訪れるかどうかすらわからない未来のための選択など
できるでしょうか!?

しかしSDGsの中には『差別のない』という言葉は、
非常に限定的な意味でしか使われていませんし、
戦争のない』という言葉は皆無です。

差別については、SDGsには、
女性に対する差別差別的法律差別のない貿易
という言葉が幾つかの小項目に対してあるのですが、
差別というのは民族間男女間のみではなく、
あらゆるところに存在するものであり、
更には差別の根本的な原因法律制度の問題ではないのです。

人を妬んだり、あるいは人を蔑むことで自分が優位であると思いたい、
という気持ちが差別に他ならないので、
突き詰めれば、いじめをしたり、人を理解しようとしない態度
その根源です。

ただ、人は聖人とは程遠く、
誰もが釈迦キリストのようになれるわけではありません。
それで良いと思います。

一番大事なのは、自分の中に負の感情が生まれた時には
少し我慢して、落ち着いてから相手の立場も考えてみるというとです。

戦争についてはSDGs自体が、
紛争解決のための手段として軍隊を持ち、武力行使することを認めている
国連が採択したものなので、非常に位置づけが微妙なのですが、
SDGsの16番目の目標である、
平和と公正を全ての人に』にもそれは現れていて、
“あらゆる場所で、あらゆる形の暴力と、暴力による死を大きく減らす。”
とは謳われていますが、
最大の暴力である戦争軍隊の保有にはここでは触れられていません。

いくら青いスカーフを纏うとも、撃てば流れるのは赤い血



武力については
法律に反する資金や武器取り引きを大きく減らし』
『あらゆる形の組織的な犯罪をなくす』という記載があるのですが
裏返して見れば、一部の資格ある国
法律に基づく犯罪的ではない武力の保有は認められる、
ともいえるのですからSTCに通じる考え方が見て取れます。
国連といっても各国の都合を反映させる場ですから
未来について理想達成のために、どんなに困難な挑戦が必要となる
ような事でも目標を掲げることは出来ても
現在の自分自身を否定する事はできなかったのでしょう。

次に1/3に満たないのですが、科学技術SDGsの関係を考えます。
やはり科学的な根拠は大切です。

まずは用語の定義があいまいであったり、
誤解を招くようなものがあるのが気になります。

Sustainable Developmentとは”持続可能な開発”と訳されますが、
特に”開発”という言葉に違和感を覚えます。
Development開発、あるいは発展と訳されますが、
169の達成基準を見る限りは開発というよりも発展を充てるほうが
しっくりときます。

Development Goals(目標)と続けると、
発展目標よりも、開発目標のほうが
言葉として使いやすいのかもしれませんし、
あるいは開発も発展も特に区別していないだけなのかもしれませんが、
発展というと文化や制度など精神的なものも含めて成長するイメージ
に比べて、開発というと物質的なものに感じることが違和感の原因です。

発展途上国を敢えて開発途上国と表記しているのも同様です。

また持続可能とはどう言う事でしょう?
宇宙に永遠のものなどはないという前提において、
どのくらいの間持続させ、どのように発展させようとするのか?

歴史的に見て国家であっても、また身近な社会組織であっても
同じ形態持続しているものを私は知りません。
必ず黎明期発展(成長)期成熟期衰退期という変化を辿ります。
しかしその後、滅びるものもあれば、
別の形態に移行するものもあるので、全ては終焉に向かっているというほど
悲観的な考えをしているわけではないのですが、
持続可能な開発(発展)というのが、
SDGsで設定された2030年の状態その先の未来への助走として
どのくらいの時間スパンで人類はどのようになろうとしているのか
大まかにでも、それが示されなくては行動が一致するはずもありません。

再生可能エネルギー
熱力学から言うと、再生可能なエネルギーというものは存在しません。
エネルギーが文字通りに再生可能であったとしたら、
それは永久機関であり、熱力学の第二法則に反します。

すべての形態のエネルギーは最終的にはに変わり、
それ以上の低熱源がなければもはや利用できないという性質があるのです。

再生可能エネルギーという言葉はSDGsよりも以前に出来た言葉なので
その定義と用語の不一致
SGDsの責任はないのですが、
再生可能というよりも
太陽光風力などのエネルギー密度が低いエネルギーのことで、
地球が太陽光線を受け続ける限りは利用できるもの、
すなわち再生可能ではなく持続的に利用可能なものであり、
SDGsとの親和性は高いといえます。

一方で再生が可能ではないとされる、石炭石油天然ガスなどの
化石燃料は、もともとはやはり太陽光のエネルギーであり、
光合成で空気中の二酸化炭素を体内で固定化した植物の死骸が石炭
その植物を摂取した動物の死骸が石油のもとです。
すなわち結局は太陽エネルギーなのですが、
長い間かけて蓄積されエネルギーの密度が高い分、
使いやすいというわけです。

要は自分が働きながら、収入に合った生活をしているのか、
あるいは親の遺産で豪遊しているのかという違いなので、
当然大多数の人が前者の方が正しいというでしょう。

確かにそうなのですが、
自分に合った仕事を見つけるということはなかなか大変ですし、
これまで世の中に存在する仕事の中に自分に合うものがないとすると、
何かを作るにしても、何かのサービスをするにしても
自分が担当する範囲だけではなく、
源流工程から顧客のライフスタイルまでのすべてのサプライチェーン
新たに作り出すということであり、それはそれで大変な労力が必要。

しかもSDGsでは身の丈に合った生活をすると言っているのではなく、
そのような日々の収入で、親の遺産でしていたような生活基準維持し、
さらにレベルを上げていくというのですから容易な話ではありません

言い方を変えれば、科学的なアプローチで達成すべき目標に対しても
明確な科学的根拠がないのです。

”科学的根拠がない”というが、例えば太陽光発電をすべての家の屋根に
取り付ければよいのでは?と考えるでしょう。

しかしながら再生可能エネルギーは、前述のようにエネルギーの密度が低いので同じ電力を取り出すにしても非常に規模の大きな設備が必要です。
その製造設備導入や発電設備の製造運搬建設に使うエネルギー(それに伴う二酸化炭素の排出)やその他環境への影響が、
再生可能エネルギーを使った発電で生み出せる電力に比べて
本当に割に合うものなのか?
これが定量的に評価できないことが”科学的根拠がない”という理由です。

太陽光発電用の光起電力効果を生む電子素子は製造には一般に
大きなエネルギーを使い、また生産効率の良い方式の素子では
鉛、セレン、カドミウムなどの有害物質を使うものがありますので、
なかなか都合の良い話はありません。

また大規模な太陽光発電設備大型の風車を設置することによる
接地場所への環境影響も無視できません。

水力発電も再生可能エネルギーの一種ですが、
水量発電所建設のために故郷の村がダムの底に沈むという
昔からあるお話の現代版ともいえますね、

環境面での損得勘定からいうと、従来の設備で発電のために年間で消費するエネルギーの3倍のエネルギーをつかって出来た太陽光発電設備が、太陽光だけで従来の設備と同じ電力を発生する能力があるとすれば、3年間で元が取れる計算になるのですが(本当は3年かけて排出する二酸化炭素を先払いで排出しているので、それでも損をしているといえる。)、再生可能エネルギーは日照などの事前条件で設備利用率が低下しますので実用上は電気をつくることができるのは高くても設備能力の20%くらいです。
そうなると投入したエネルギーの元をとるには15年間使用しないといけない計算になります。その間に設備を維持するのにエネルギーがかかりますし、元を取る前に設備が寿命になれば結局投入したエネルギーを回収できずしまいです。
これは非常に悲観的な見方ですが、問題は初期の設備導入金額は計算できても、そこでエネルギーが使われることで排出する二酸化炭素の量を把握するすべは現在はまだ確立されていないということです。
 長い目で見て本当に二酸化炭素低減効果があるかどうかわからないけど、すくなくとも発電中は二酸化炭素を出さないというイメージ先行で
どんどん導入されているのが再生可能エネルギーというわけです。
 自動車でいえばEV(電気自動車)が環境に良いというイメージですが、大型のバッテリーを搭載していることから、製造時のエネルギー投入量が大きく、一説には自動車の耐用年数を考えると、トータルの二酸化炭素排出量はむしろ燃費の良いガソリンエンジンの小型車のほうがすぐれているという試算もあります。(ましてはデザインの好みで車を買い替えるのであればさらに効果は減少します)

以上は私見ではありますが、再生可能エネルギー
唯一の正しい解決方法であると明確に説明できるものもないのが実情

少なくとも、新しいもののイメージが良いからと言って、
これまでに有る古いものを全部捨てて
新しいものバンバン作るというのは間違いだと思います。
物を大切にし、少しは我慢して節約することも必要ではないでしょうか?

SDGsの中でも地球環境に関することは、物理現象を誤魔化して
人間の都合で勝手に決めても必ずいつか綻びが出ますので、
第一部のSTCや第二部のSFのように、政治左右されたり、
経済の都合で利用する(新しい商品を売るためにSDGsのことをあまり深く考えず、イメージ戦略に用いる)ことがあってはなりません。

SDGsでは
科学技術をどう使うかは、科学技術自らの見地で判断すべきなのです。

人類のこれまでの文明の発展は、
無限に広い地球上”で、”無尽蔵の資源が使える”という前提の元
便利さ快適さを競うようなものでした。

それらは一部の偉大な人発明恩恵という側面が強いものです。

しかし、これからは
地球は人類にとってもはや狭く”、”資源に限りある”中での
発展を考えるべきということなのです。

これは一部の人の偉業だけに頼るわけにはいかない、
何故ならどんな素晴らしい発明もエネルギーのバランスで考えると
急激な変化は、太陽光発電で例を挙げたようなロスが伴うものだからです。
本当に必要なのは地球に住む全員が少しずつ変わる事。

SDGsのロゴが中が空虚なドーナッツ型なのは、現在の人類にはSDG sに取り組む資格がないことを表しているように思えてならない。

結言
SDGsとともにSDSs(Sustainable  Development Starts)を決める

まずスタートラインを見定めて、
我々にSDGsへ取り組む資格があるのか自問自答すべきです。

SDGsは Sukoshi Dakeno Gaman wo shiyouである
SDGsへの取り組みで、どのようなことをするにしても、
都合の良いことばかりはないのですから、
人類が真の叡智を勝ち取るまでは少しだけの我慢が必要です。




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