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いのちの健やかな肯定と、俳句への信頼。句集『すみれそよぐ/神野紗希』鑑賞。

細胞の全部が私さくら咲く
牡蠣グラタンほぼマカロニや三十歳
パジャマかつめがね日曜しかも春
すみれそよぐ生後0日目の寝息
消えてゆく二歳の記憶風光る

『すみれそよぐ』神野紗希

【キーワード】
#健やか #かろやか #誠実 #俳句愛
#アラサー #恋愛 #結婚 #妊娠出産 #育児
#口語体 #新かな使い

1984年生まれの神野紗希さんは、若手俳人の中でも最も活躍されている方のうちのお一人です。口語体で、ひと世代前の俳句では(少なくとも主流派の中では)あまり使われてこなかった、カタカナの言葉、現代的な言葉を気軽に取り入れつつ、まっすぐで素直な作風で、瑞々しい詩情あふれる世界観を編み出しています。

神野紗希さんの句は多くのアラサー前後の女性にとって、共感しやすい題材や世界を詠んでいて、かつ、口語体で季語も身近なものが多いので、俳句を普段読んでいない方にも、初めての俳句鑑賞として入りやすいのではないかと思います。私も育児中の友人(小説書き)に、どうしても読んで欲しくて、この句集を贈ったことがあります。

出版社の作品紹介ページでは以下のように紹介されています。

「どうか、生きよ。」
躍動する30代の実感と、小さな命への祈りを込めた最新句集!
若手俳人のトップランナーとして句作・評論に輝く著者の8年ぶりの第三句集。結婚、妊娠・出産・子育てという女性として最も変化に富む時期を切り取った作品は、躍動感あふれる一方で、寂寥感をも垣間見せ、一層趣き深い。

◆帯文より
すみれそよぐ生後0日目の寝息 

時代を案じながら命を見つめる怒濤の日々のただなか、
俳句は今を生きる言葉だと、つくづく思う。
どうか、生きよ。
子に、蟻に、燕に、私に、呼びかけながら句を作る。(神野紗希)

朔出版 作品紹介ページより
https://saku-pub.com/books/sumire.html


この記事の冒頭に引用した五句は、私が特に好きな句です。これを鑑賞してみようと思います。

余談ですが、俳人がブログや記事などで句集を鑑賞する時は、こうして特に自分にピンときた句、好きな句を数句引用することが多いです。(そして、人によってこの選も違うので、それを読むのもとても楽しい)

細胞の全部が私さくら咲く

全身の細胞が目覚めていくと同時に、目の前の桜が全てぶわーっと咲いていく姿を想起させる高揚感があります。春の喜びの中心から生じる、大きな自己肯定であり、己への賛歌です。春は新しい門出の季節。未来は喜びだけではなくて、不安も大きい。だけどそれを全て受け入れて、強く肯定することの美しさを感じます。


牡蠣グラタンほぼマカロニや三十歳

以前「詩客」で「食俳句鑑賞」を書いた時にも引かせていただいた句です。私はこの句のあっけなさが大好き。私が若い頃は、女が三十代になることの恐怖みたいな感覚が呪いとして存在していました。とはいえ、私自身はかなりさっくりとした気持ちで三十歳になりましたが、その時に思ったのは「マジ、何も変わらんな」と言うこと。この牡蠣グラタンも、ほぼマカロニだけど、ちっちゃな身が2〜3個は入ってる。三十歳にとって、大人要素もそれくらいかもしれません。


パジャマかつめがね日曜しかも春

「これ、私です、私」と共感する人も多いでしょう。私もです。おおらかな春が全てを許してくれます。少し寝坊した日曜の気の抜けた空気に、ふわっと春のあたたかさが加わります。このような句の「しかも」のゴリ押しに、さりげなく春という大きな季語を持ってくるのは流石だなと思いました。


すみれそよぐ生後0日目の寝息

句集のタイトルにもなったこちらの句は、出産したばかりのタイミングで、分娩台の上で詠まれた句です。妊娠検査薬で陽性が出て、妊娠6週目に心拍が確認され、妊娠5ヶ月目からは小さなぽこぽこという胎動が始まり、そして臨月にもなれば痛いほど毎日ぐいぐいどんどこ内側から押すわ蹴るわの大騒ぎ。お腹の中でも子は確かに生きていた。それでも、この世に生まれ出た瞬間に、そのか弱い呼吸はすみれを揺らす。母以外の世界を揺らす。この世界にようこそ、と、祈ると同時に、その世界全てを慈しむような句だと思います。


消えてゆく二歳の記憶風光る

「風光る」は春の季語。風も、二歳児の全てが新しい発見に満ちた記憶もキラキラと光っています。大人の立場からは、それらが消えていくのがわかっていても、その一瞬一瞬のきらめきが我が子の命を作っていくのだと思うと愛おしい。せめて、大人は覚えていようと思います。いつかはすべて、私ごと消えてしまうとしても。

ちなみに我が子が自覚する「最初の記憶」は、小田原のわんぱく公園でこども鉄道の汽車が走ってくるのを見た、二歳の時のもの。両親にとっては、ついこの前のことように感じますが、今七歳の我が子にとってはそれは遥か遠くに輝く懐かしい記憶になっています。写真を見ながらこの時の話をするたびに、この句を思い出します。


他にも好きな句はたくさんあります!

まずは食えそれからだ凍蝶のことは
目覚めれば今朝も妊婦で木瓜に雪
鏡中に子を抱くわたし銀木犀
西瓜切る少年兵のいない国
檸檬切る記憶の輪郭はひかり

『すみれそよぐ』神野紗希

前向きなことも、そうでないことも、些細なことも、大きなことも、自分といういのちの目の前に起きること、そして、心の中で生じるありとあらゆる機微を、選り好みせず一つ一つ向き合いながら俳句に詠む。この句集を通して読むと、きらきらとした句ばかりではなくて、ままならなさや悔しさや戸惑いの句もたくさんあります。それでも一つ一つに同じ重さで向き合って句にしていく、俳句という詩に対する誠実な姿勢に、光を感じるのです。

同時に、神野さんの句には、俳句に対する覚悟のようなものを感じます。これは、なんというか"俳句界を背負っていく覚悟"……ではなくて、"誰が何と言おうと俳句をこれからもずっと愛していく"……そんな覚悟なのかもしれません。それが彼女の句がもつ健やかさの源泉であるように思っています。



『すみれそよぐ』はAmazonでは売り切れているようですが(マーケットプレイスはあります)、出版社のページには購入できそうなフォームがありましたので、そちらのリンクを貼らせていただきます。

『すみれそよぐ』の中の一句がタイトルになっているエッセイもあります。日常のエッセイと、それぞれに俳句が添えられています。こちらもおすすめです。まずはエッセイの方が入りやすい、と言う方はこちらをぜひ。

もう一つ。来年から俳句の日めくりカレンダーの監修が神野紗希さんになりました。毎年愛用していますが、去年まで監修されていた宇多喜代子さんの頃より、幅広い俳人の方の魅力的な句が多数採用されていました。色んな人の俳句を、まずは気軽に読んでみたいという方に、この日めくりカレンダーとってもおすすめです。

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