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「違法だったが過失はなかった」とのたまう権力暴走を許す日本人の低論理性の問題~表現の自由の混乱に寄せて

こんばんは、エンジニア、元東京大学非常勤講師のとつげき東北です。
本日のTweetに対して、クソリプ(引用RT等、各種「反応」を含む)がたくさんついたので、急ぎ、解説しておきます。
表現の自由の問題とも関連します。今回の問題は、「実害がない表現でも規制したい『キャンセルカルチャー』の精神性」に非常に近いからです。
全文無料で、有料部分には、寄せられて無視している「あまりにも稚拙なメッセージ」の一部を掲載し、一言コメントを入れました!


発端は「令和の虎」

平成の時代にテレビで流行った「マネーの虎」という番組に次ぐ、「令和の虎」というネット番組。
新しいビジネスモデルを引っ提げて目標額の投資や融資を求める「志願者」が、既にビジネスで大成功していて社会的地位も高い「虎(=出資者)」たちと討論して、見事目標額に達すれば「虎」たちから投融資を受けられる、といった人気番組だ。見どころは、志願者の甘い見積もりや夢見がちな意見に対する、一流ビジネスマンとしての虎からの鋭いツッコミや、それに対する志願者の対応の姿にハラハラするところだろうか。けっこう好きな番組だ。
ここではまあ、番組内容は置いておくとして、「虎」の関係者の一部同士が賭けポーカーをしていた容疑で書類送検されたというニュースが、本日6月1日に流れた。

『朝日新聞DIGITAL』6/1(水)記事より

そこで私は同日中に、次のようにTweetした。

「バレていなければ被害者のいない犯罪」とは、
「外部にバレてしまうと犯罪行為に認定されるものの、仮に、そうでないとすれば、被害者がいない犯罪」
を指す。

例えば20歳の男性(女性)と18歳の女性(男性)が真摯に付き合っていたとして、合意のもとHをした場合、基本的に都道府県条例違反で犯罪となる。「被害者」はいない。
あるいは道端に落ちていた1円玉を拾ったとして、本来は持ち帰ると拾得物横領罪になる。これも「被害者」となって困る人などほとんどいない。
表現の自由との関係も同じだ。
いわゆる「オタクなマンガ」や、もっと言えば幼児型ラブドールを個人的に自宅で楽しむ分には、誰にも損害を与えないが、これらはしばしば意味不明なバッシングを受ける。

表現の自由の関係で付言する。
格闘ゲームのプロライセンスを保有していた「たぬかな」選手が、配信中に「身長170cm以下の男には人権なし」といった旨の発言をした結果、炎上してライセンス契約を失った事例が思い出される。
一部の非現実的な人々が「人権侵害だ!」と騒ぐのは理解可能だが、端的に誤っている。
もし私の身長が165cmだとして、たぬかな選手が「人権なし!」と広く一般に(たとえ冗談ではなく本気で)主張したところで、私の人権はまったく、一つも侵害されることはない。
この件で人権侵害されたのは誰か。
実際に1つの人権侵害を起こしてもいないたぬかな選手と、そのファンの方々が、「表現の自由(表現する権利、表現を享受する権利)」という基本的人権を侵害されたのだ。
「多様性が大切だ」などと口を滑らせている連中が、人権を奪うのだ。

「犯罪は犯罪なのだ」
で思考停止して良い問題では、断じてない。

自動車の制限速度を法定速度どおりにきっちり守って運転している人がどれくらいいるのか。時速30kmで走る原動機付自転車は「危険な運転」としか言えず、超迷惑である。
時速40kmで走る原チャ運転手を次々と「道路交通法違反だから、犯罪だ」という「正論」に基づいて逮捕する社会の到来がそれほど望ましいのだろうか。

このように「外部に対して無害(実質無害も含む)」な個人的な幸福追求を「法令違反だ!」などと厳格に取り締まるような世界になると、息苦しいし、「犯罪者を作り出すための法令があるせいで、犯罪者が増える」という厳しくも哀れな世界が到来する。
これらを鑑みるに、社会的地位があってお金も十分に持っている「虎」たちが、閉じられた「内部」空間で賭けポーカーをやっていたとしても、それは「実際の被害者」がいる「痴漢など」よりも全然マシだと感じる、というのが私の思想だ。

先日私は以下のニュースにも触れていたのだが、これと、「外部にバレない限り被害者のいない犯罪」と、悪質性はどちらが高いと感じるだろうか。

『読売新聞オンライン』2022/05/16記事より

感染症対策だからと「時短営業を要請」していたが、守らなかったために
「20時までの時短営業にしろ」
と東京都が企業に命令し、罰則まで設けたことに対して、東京都地方裁判所が、
「(そのような命令は)違法だが過失はなかった
と判決を下したのだ。
過失だろうが。
「要請」を守らなければ「罰則を与える」など、財産権の侵害そのものだ。

営利企業が「時短営業を要請された」としても、いやいやウチはそれではやっていられないので、と、要請に従わない権利は当然あるべきだ。
しかし、認められなかった。
実際に財産権を奪われただけで敗訴した形となった飲食店経営者や従業員は、被害者となったわけだ。
このような権力の横暴には明確な被害者が存在する
失業により廃業した飲食店や、自殺した方も数多くいる。
それでも「違法だけど別にいいよね」と裁判結果が出る日本に生きるわれわれが、「1円玉を拾って帰った人間」をわざわざ見つけてきて警察に突き出して「違法行為だ!!」と責め立てるとしたら、バランス感覚としていったいどうなっているのだろう
もっと言えば、刑罰における非対称性について、論理的な首尾一貫性を保っているのだと、どうして言えるだろう。
これが、私が今回(及び先回)の発言でそれとなく提起した問題点であった。

「道徳(倫理)やマナー」を信じないための根拠

私が「道徳やマナー」を「あんまり信じていない」と書いたのには、当然自然科学的な根拠が存在する。
当たり前だ。
科学的根拠がないのに何かを信じることは、学問を学んだ人間にはかなり困難な作業だ。
詳細は著書にも記載したが、一部を拙著から引用して貼り付けよう。

ざっくりといえば、「道徳(倫理)」に「正しい」という根拠を与えるものは、特定の道徳(倫理)が正しいとするための権力(武力、国家権力、暴力)だということだ。最終的に「どの道徳が正しいか」という勝負で争いや戦争等が行われた場合、必ず、戦争に勝った側が自らに正当性を付与可能であるという歴史的事実、ニーチェやフーコーらを出すまでもない道徳哲学的な基礎教養だ。




頭がぼんやりした倫理学者が、コンピュータ科学分野の「繰り返し囚人のジレンマ問題」における、かつての最適解と思われた「しっぺ返し戦略(TFT)」を根拠に引きながら
「助け合うことこそが科学的にも正しい道徳だ」
と息巻いていたころには、既に、最先端においてそれを超える戦略が導かれており――皮肉にもその戦略は「主人が奴隷から搾取しまくる」Master-Slave戦略だったことを思い出す程度で良い。
倫理学者の「論理」が正しいのだと仮定するなら、
「一部の権力者が弱者から搾り取ることこそ、科学的にも正しい道徳」
であると結論づけられる
のである。
適度に知性的な生活を送るうえでは、最低限の勉強はした方がよろしかろう。

クソリプはやめてもいいと思う

まあ、倫理学や道徳哲学の話は置いておくとして、私のTweetに寄せられた残念なクソリプについて、代表的なものをいくつか掲げておこう。

クソリプの例
クソリプの例

多かったものは「反社会勢力の資金源になるからダメ」というものだ。
普通に考えてほしいが、大きなビジネスを成功させていて、たまたま身内でポーカー賭博をした場合、それがどうやったら反社会勢力の資金源になるのだろうか
仮に「虎」の一部が反社会勢力とかかわっていたとしたら、それはポーカーをやろうとやるまいと、単に大金を稼ぐビジネスマンとして反社会勢力の資金源になるからダメなのであり、今回のポーカーとは直接的に何の関係もない。ポーカーをやっていなくとも、ダメなのだ。
今後の取り調べにおいて、もしも反社会勢力の方が胴元をやっていた、などということが明らかになれば別だが、今のところそういった情報は入っていない。少なくとも現時点で、この反応はおかしい。
「賭け事全般」は確かに反社会勢力の資金源になりがちだろうが、今回の件では(ほとんどおそらく)無関係なのである。
この方々は、何を勝手に想像しているのだろうか。

他。

痴漢も99%冤罪だそうだ

痴漢容疑で逮捕等されたうち(母数は?)、99%が冤罪だという、私が警察白書等では把握不可能な発言が飛び出している。
仮に有罪案件と無罪案件がある割合であったとして、理想的には、有罪案件は正しく罰すればよいし、無罪案件は正しく無罪とすればよいだけである。被害者が真に存在するなら、加害者を罰すればよい。冤罪についても、「嘘の被害者」になって冤罪を作り上げる人がいたなら、そちらを有罪とすればよいだけの話だ。
だいたい、「痴漢【など】実被害者がいる……」と書いたじゃないか。
「痴漢行為」だけでなく、「痴漢冤罪を作る行為」も、実被害者がいるのだから、そう読めなければならない。
論理を詰めていただきたい。

何を言っているのか。
・バレずに
・他人に影響を与えない

ことは、勝手にやればよい、というのが私の考えだ。
誰にも、少なくとも悪影響を与えないことをして、それをいちいち咎めるなんて、心の狭い人のやることだ。
人前でオナラをするのは失礼だが、家で一人でオナラをすることにまで罰則がついたらたまらないじゃないか
「Co2排出になる!」とか食い下がろうとしないように(^^)

他に代表的な意見として、私があたかも賭博行為をしているかのような書き込みも見られた。

私は麻雀を自然科学的に研究し、研究結果を著書として出版しているが、賭け麻雀などしない。
そのようなものは社会的に底辺の者がするものだ。
なぜならば、例えば一定の社会的立場の者が、「賭け麻雀荘」で捕まったら、「社会人としてかなり終わり」だから、マトモな人はそういったことはしないからだ。
特定の相手が賭け麻雀などをするのが当然だ、などと想定できるのは、おそらく周囲にまともな人間が少ない人たちだけだろう。

拙著『科学する麻雀』『新 科学する麻雀』

他には「賭けポーカーでの収入が税金にならないから国にダメージとなっている」といった些末な意見も散見された。

仮に今回の件での「脱税額」が100億円もあったとして、国民1人あたり100円に満たないのですけど。
私は、100円払ってでも、「痴漢や、痴漢冤罪のない日本」を実現してほしいので、やはり、道徳を大切にするあまり犯罪者を作りまくる人とは相いれないと思った。

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