地球のようで地球でない地球にて

世の中の決まり事に沿って、俺の幼馴染の女の子が明日死ぬらしい。らしいって俺は言ってしまうけど、それは絶対だ。俺の幼馴染の女の子は明日死ぬ。あまりに唐突すぎて、彼女が死んでしまうなんて実感は湧かなかった。

真っ白の部屋。真っ白のベット。真っ白のサイドテーブルには、白い百合が活けられた花瓶。
真っ白の窓枠の外に、どこまでも続く青空を背景にして、俺の幼馴染ーーーツバキは百合の花を一本、手に持って眺めていた。
ツバキは人並みに美しい少女だ。
ツバキの両親の配慮で、今はツバキとツバキの友達だけでお別れの時間。けれどツバキは俺以外の友達を全員追い返してしまった。部屋には俺とツバキだけ。俺はそのシュチュエーションに、不謹慎だけどドキドキしていた。

「みんな泣くからキライ」
ツバキはベットの上で胡座をかいている。彼女の目線は外の青空に向いていた。青空を見つめたまま、その手に持った百合をポキリと折る。三等分ぐらいに、ポキポキポキリ。
「私は今日ぐらい楽しく居たいのに、みんな泣く。アンタだけ泣かなかったからアンタだけこの部屋に居て良いよ」
「なんだそれ」
俺はてっきり俺と二人きりになりたいから、他の友達を追い出したのかと思っていた。俺はそんなロマンチックな期待が外れたのが恥ずかしくて軽く俯いた。ツバキは俺の様子に気がつくと俺を睨んだ。ドキリとして思わず俺も見つめ返す。ツバキの目には固くて強い意思が宿っていた。
「アンタ、変な期待してたでしょ。アンタは良いよね、明日も生きられるから。明日も生きていられるからできる変な期待を、私にぶつけていたでしょう。やめてよね、そういうの。私に期待をぶつけないでよ。痛いから」

そういってツバキは手の中の百合をくしゃくしゃに丸めて床に投げた。俺は図星を突かれたことがショックで、ツバキの顔のどこを見て話をすれば良いのか分からなくなっていた。
眉、目、鼻、頬、口。どこを見ても顔から火が出そうで、俺の頭はクラクラ。目の前が白く点滅した。俺は自分の浅ましさが恥ずかしすぎて、逃げだしたくなっていた。やっと彼女のアゴを見る。俺の目の前は点滅しなかった。そうだ。ここを見よう。ここを見ればまだ俺はこの場に踏みとどまれる。逃げ出してしまわないでいられる。ツバキの目を見たら、俺の心はあまりの固さに砕かれてしまうから、アゴを見ていよう。
なんでツバキの目はこんなに固い意志がギラギラと輝いているのだろう。こいつは明日死んでしまうんじゃないのか?どう転んだって死にそうにない目だった。

「私、コンビニで売ってるつぶあんぱん好き」
「急になんの話だ」
脈絡もなく話題が切り替わった。俺がそれに異論を唱えても、ツバキは俺の言葉なんて一切耳に入ってないって様子で話を続けていく。

「アンタと話してる今も、この同じ空の下で、私が好きなコンビニのつぶあんぱんを買ってる人がいる。私が居なくなった明後日だって、コンビニのつぶあんぱんは売れて行くんだろうな。そうやって食べた人に、美味しいとか不味いとか好きとか嫌いとか思われて、毎日コンビニのつぶあんぱんは売れて行く」
「だろうな」
「そう考えると虚しいよね」
「何がだよ」
「今、死ぬのを待つために私が生きてることがだよ。私はもうつぶあんぱん食べられないのに。虚しい。空っぽだ」
「わけわかんねー…」
「私の気持ちがわけわかんねーって思うなら、アンタは明日も普通に生きていけるからって私の事を見下してるんだね。見下さないでよ。私、明日死んじゃうから、今ぐらい私と同じ視点で物事を考えて、共感してよ」
「…自分が死んだ後もつぶあんぱんは売れて行くことが、今生きてるのも虚しいって事に繋がる理由が全然分からない」
「ああ」
ツバキはああ、ああ。って何度も納得したように頷いた。妙に素早くてカチコチの動きだった。

「ああ、難しかったか。じゃあやめよう、この話は」
「なんだよその言い方。お前こそ俺の事を見下してるんじゃね?」
「見下してなんかいないよ。今の"難しかったか"は、私の思想自体を他人にまるっと理解してもらうなんて"難しかったか"。の"難しかったか"だから」
「…お前と話してると脳みそが絡まりそうだ」
「いいかもね、それも。死ぬ前に幼馴染の脳みそを雁字搦めにして死んでやりたい」
ツバキはヒヒッと笑う。その声が童話に出てくる魔女のように思えた。

「死ぬのが怖くないのか?」
その言葉は当然のように俺の口からこぼれ落ちた。しまった、と直ぐに後悔したけれどツバキはその言葉に対してぼんやりとしていた。彼女は興味のない様子で、また外を見ている。
「近すぎて分かんない。遠ければ怖いか怖くないか分かるけど、近すぎてピントが合わないから。怖いとか怖くないとか分かんない。ピントを死に合わせる気も起こらない。死にピントを合わせて怖がっても、それこそもっと虚しいから。昨日までは怖かったよ、少し遠かったから。だから沢山泣いたし沢山怒った。でもそれって全部無駄だって今朝気づいたんだ、虚しさが増すだけだって」

俺が軽く相槌を打つと、ツバキはベットの柵に背を預けて、天井を眺めはじめた。その目の表情を知る事が今の俺にはできない。未だに彼女のアゴしか見れなかったから。

「この後はどうするんだ?」
「この後って?」
「今の…友達だけでの別れの時間が終わったら」
「あー、なんかねえ、色々あるみたい。診察とか、体洗ったりとか。大人が全部勝手に決めてる。私の気持ちとか関係なしに」
「そっか」
「でも私、その間にする事決めてるの。ずっとスマホで通販サイトを見るんだ。欲しいものがあるから。ゲーム機とか本とか。それをまとめて注文するの」
「明日死ぬのに通販使うのかよ」
「うん、そうだよ。それにね、今確認したらこの通販サイト、どれも届くのに1週間から10日かかるって。私が死ぬのには到底間に合わない。でも、だから、それが良い」
ツバキは急にうっとりとした声を上げた。

「私が死んだ後も、通販で私の欲しいって意志が動いてくれる。1週間から10日間も。それってすごいよね。寿命が少し、伸びる感じ」
「はあ?」
ツバキはベットに寝転がった。彼女が急に転がって、しかも目を閉じていたものだから、やっと俺は彼女の顔を見る事ができた。ただ目を閉じているだけなのに、なんだか力の抜けた表情だ。この表情だけ見るとああ、コイツ、明日には死ぬんだなってしっかりと納得できた。

「私が死んだ後も、私の残した注文に沿って出荷準備して、郵送してくれる人が居る。それってきっと幸せ。だから注文するのが楽しみ」
「他人の仕事を無駄に増やしてるだけじゃねーか、趣味悪いな」
「振込だけはちゃんとしてから死ぬから大丈夫だよ。完全に迷惑かけるわけじゃない。だからいいじゃん。最後に、このくらい」
ツバキはうっとりとしたまま、スマホを胸元で抱きしめている。まるで彼女自身の、もうやってこない未来を夢見ているようだった。

「アンタも受けてよ、私の注文」
「なんだよ」
「私が存在したこと、偶にでいいから思い出して。1週間から10日くらいの間でいいから」
「…葬式の日までは覚えててやるよ」
「えー、ケチだなあ」

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