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この夏の思い出

タイトルが「この夏の思い出」なのにヘッダ画像が昨年の夏の写真でスイマセン 汗  長良川の鵜飼いの漁火でございます。

両親ともに岐阜県出身で在所(←「ざいしょ」って方言ですか? 郷里の意で使います)はそこそこ、いやかなり田舎です。 

父の方の墓はもう誰も住んでいない父の実家の近くにありますが、母の方のお墓は東京の長男の家の近くへ移したのでもうありません。

父は長男でないからか、数年前に家の近くで墓を購入。 長年車で2時間(道が良くなって今は1時間)かけて墓参りしたからでしょうか、「あんた達が墓参りが楽なように近くに墓を買ったよ!」と嬉しそうでした。

…自分が死んだ後のことまで心配するんだ、と思ったのは私だけでなく、姉もそう思った、と言っていました。汗 私も熊(配偶者)も子供がいないこともあり、「戒名も墓も不要、海に散骨でOK」な人なので…

そしてお盆のお墓参り。 免許書も返納した年老いた両親が「墓参りに行く」と言って、送迎を担当する姉か私が連れて行くのは名古屋市に隣接する父が数年前に買った墓地…

「え? まだ誰も入ってないのに、墓参り?する必要無くない?」

ええ、姉もそう言ったし、私もそう言ったし、熊も私にそう言った。汗 今でも心の中ではそう思っております、ワタクシ。

でも。 自分達で気軽に動けなくなったし、お墓もお引越ししちゃったり、で本当のお墓に行けなくなってしまった二人にとっては誰も入ってないお墓に参ることが本当に行きたいお墓に参ることの代わりなんだろうな、と思って粛々と送迎するわけなのです。

この暑い夏、いつもよりも多い頻度で隣家の畑の夏野菜をもぎらせてもらって、実家に届けました。 昔母方の祖母が90歳すぎまで一人で暮らしていて畑仕事を趣味にしていたので、月に一度位のペースで野菜以外の食品を届けてその代わりというわけではないんですが大量の祖母の野菜をもらって帰ってきていました。 田舎に住んでた祖母と名古屋の母、名古屋の母と田舎在住の私では全く逆の状態になっています。

祖母はかなり腰が曲がってましたが(昔の人なので)、ここ1~2年で母も急激に腰が曲がりつつあり、また普通の速さでは歩けなくなりました。 

時々「調子が悪い」と言っている時は煮物などの総菜を4~5品ささっと作って持って行ったりしますが、基本あまり手を出ないようにしています。 楽をすると余計よぼよぼしてくるので。

もともと父も母も食べることが好きでよく食べる方なので、自分の食べるものは自分で拵えて食べる、という生活を要介護になるまでは続けてもらおうと思っています。 やはり「食べる」ことが「生きる」ことなので。

実家から歩いて3分のところにイオンモールがあるので買い物には困りません。 コンビニより近いんです。笑 

姉が長く続けていたパートを辞めて新しい仕事を探しているところなので、マルシェを手伝ってもらったり、姪っ子と一緒にウチのお猫さま達をモフりに来たり、父母の送迎をどちらが行くか相談したり、とこれまでに無く密に連絡を取りあう夏でした。 昔は激しい姉妹ゲンカもしましたが、大人になってからは、姉妹はいいですね。

母も姉(私から見ると伯母)と仲が良くて、私と姉はその伯母と伯父にすごく可愛がってもらいました。 そのことが今の姉と私の関係にも繋がってると思います。

6月から岐阜の柳ケ瀬商店街のマルシェ「サンデービルヂングマーケット」に出店させていただくようになりました。 子供の頃、岐阜の伯母の家に月に2~3回は通っていて、その時に柳ヶ瀬の高島屋に連れていってもらうのがすごく楽しみだったので、出店が決まった時は本当に嬉しかったです。泣

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伯母は本の営業の仕事をしていたので、その関係で家には画集・文学全集・今となっては懐かしい百科事典などいろいろありました。 多分その関係で分割払いの本の支払いに月に一回は支払いに行ってたんですね…子供の時は全くわかりませんでしたが。

その伯母も伯父も亡くなり、先日やっと初めてのお墓参りをしてきましたが、それについてはまた次回書きたいと思います。

そんな感じで老いていく両親とライフイベントの繁忙期を過ぎた姉とともにちょっとゆっくり過ごす時間が取れたり、懐かしい場所でマルシェをしたり、と良い時間を過ごせた夏だったかな、と思います。

こんな風に書くとめっちゃ仲が良い家族、と思われそうですが母は結構「教育ママ」っぽく口うるさい親で「毒親一歩手前」だったかと。 精神的な拘束に相当苦しめられた子供時代でした…私だけでなく姉も。汗 

兄だけはいつも特別扱いだった…私はアスペルガーだと思う長男(独身)は五十も過ぎて何が気に入らないのか盆暮れにも実家に帰ってこなくなり(東京在住)、姉と私で両親みるっきゃない次第です。

姉は真ん中でアスペの長男と甘やかされの自由な末っ子の間で、一番成績優秀で親の言うことをよく聞く良い子(短大生の時門限20時だったらしい…)でした。 ただ一番母と喧嘩したのが結婚する直前で、その頃私は京都の大学に通っていて、家を出て下宿中。 アルバイトから帰って下宿(1Kのアパート)に着いた途端、姉から泣きながら「お母さんがー!」と電話がかかってきて、愚痴を聞いたことが何回もありました。 そしてその翌日には「もう!ねーちゃんがね…」と母からもかかってきてた。汗

姉の結婚式のとき、岐阜の伯母から「○○(私)ちゃんも大変やったね」と聞いたときは、伯母さんも母から電話かかってきて愚痴きかされてたんだな、と。

大学卒業後、自由な一人暮らしを四年間満喫した私は実家に戻りたくはなかったけれど戻らざるを得ない状況で、仕方なく実家に戻り、姉とは違い有無を言わさず自由にしました…海外旅行は前日(国内は当日)に両親に伝える、二輪の単車は購入して乗って帰ってくる、猫はもらって連れて帰ってくる…事前に言うと絶対許してくれないので実力行使が一番です。ピース!

自由にはしていましたがとにかく口やかましい母の繰り言をずーっと聞いていた日々はストレスフルでした。 でも家に居る時間も少なかったりした(店を持って自営していた)ので、結婚するまでなんとか我慢してました。

姉のところにニート(甥っ子)が一人いるので、母の心配は今や私達子供から孫に移り、姉は母の送迎でちょくちょく実家行ったりしてますがその甥っ子の話で母のなかなか終わらない繰り言が始まるとすぐ「さいなら~」と逃げるそうです。笑

昨年父母姉と三人で長良川の鵜飼いの観光船に乗りに行きましたが、また政府の旅行支援政策で四人でどこかに行こうかな、と思ってます。(もちろん長男は頭数に入っていない)


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