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人生に値段はあるのか〜何者にもならない自由と幸せ〜

急にミルクティーが飲みたくなって、そういえばルピシアのチャイを買ったまま放置していたな・・と思い出し、牛乳で煮出してアイスミルクティーにした。

こういう暮らしがいいんだわ。
唐突ですが。

未だに自分の目指す道、生き方がよくわからなくてもがいている私。
昨晩、ふと夫に聞いてみた。

「偉くなりたいとか、有名になりたいとか、何者かになりたいとか、考えたことある?」

答えは予想どおり。

「え?一度もない。」

あっさり。

一度もない?

やっぱりそうなんだ。

「もしかして、akarikoはあるの?」

もしかしてって・・、「未だに何者にもなれてない!」って、私、時々暴れなかったっけ?

大学を卒業するとき、サークル仲間の一人が私に言った。

「人生、ただで終わらせたら怒るよ」

う、うん。

うん!と言ったし、その時の私は「そのつもり」だったけれど、あれから数十年、私は名もなき主婦としてひっそりと暮らしている。
「そのつもり」って、どんなつもりだったのだろう?
何かを成した覚えもないし、有名にも金持ちにもなれそうにない。
多分、このまま終わる。
ただで終わる。

が、そもそも、

「人生、ただで終わらせる」の「ただ」って何?
どうすればただじゃない終わらせ方になるの?
「ただ」って、無料ってこと?無価値ってこと?
何なのだ?

偉くなりたいとか、有名になりたいとか、何者かになりたいとか、一度も考えたことがないという夫。
確かに彼は、常にマイペースで、自分が好きなことを好きなように楽しんでいる。
それでいて、よく「もう仕事やだー」とか「会社やめる!」とか言わないなあというぐらい自由。

夫の答えを受けて、改めて考えてみた。

「何者かになる」ってそんなに大切なことなのだろうか。
いや、言い方が違う。
「私にとって」何者かになることが、そんなに大切なのだろうか?

名前を言えば「ああ、あの人ね」と言われるような生き方をすること、それが私の望みだったのだろうか?

そうじゃない。

第一、名前を言えば「ああ、あの人ね」と言われるなんて、その界隈でだけの話で、一歩外に出れば、「え?知らない」となる。
かの大谷くんのことだって、もしかしたら知らない人がいるかもしれないのだ。

もちろん、何事かを成して人のため、社会のためになることは素晴らしい。
そういう数多の人たちに支えられて、私のような凡人は生きている。
そういう人たちがいなくては困る。

けれど、それは私じゃなくてもいい。
できる人がやればいい。
あるいは、絶対に世に名を残して、何事かの功績を残すんだ!という気概のある人がやればいい。

夫に、何者かになりたいなんて一度も考えたことがないと言われて、憑き物が落ちたような気分だ。

学生時代、私は早く結婚したかった。
自由になりたかったからだ。
親から離れたかった。
好きだの嫌いだのの煩わしさから離れたかった。
結婚してしまえばもう言い寄られることも、誰かに嫉妬されることもなくなると思った。
そして、一人で生きるよりも、より自由になれそうな夫と出会った。
その時点で、ある意味、私の人生はゴールだったのだ。
目指していた地点にたどり着いたのだから。
そのあとのことは、正直、あまり考えていなかった。
仕事をしてもいいししなくてもいい。(考えてみればすごく贅沢なこと)
その時その時でやりたいことをしよう。好きなことをしよう。
実際、そうやって生きてきたではないか。

美味しい紅茶をいれて、ああ美味しいと感じること。
それが私の幸せだ。
それだけでいいんだ。
そんな暮らしを守るための努力はしようと思う。

そういえば、その昔、今のようにオンライン注文などなかった頃、ルピシアは(レピシエって言ってたかも)24時間電話注文を受け付けていて、双子の世話に一日追われてホッと一息つく夜更け、こんな時間に電話しても本当に大丈夫なの?と思えるような時間帯に注文をしていた。
ルピシアのスタッフは、いつ何時に電話をしても、いつも素晴らしくあたたかな声で、話し方で対応してくださった。
今で言うなら、正にイケボ。

そう。
あの頃、ルピシアのスタッフさんと話す時間が、唯一の癒しと言ってもいいほど、心安らぐ時間だった。
会社ができたばかりでスタッフの教育も熱心に行われていたのだろう。

夜中のルピシアスタッフの子守唄のような優しい声を懐かしく思い出すにつけ、私は毎日忙しく、目の前のことを片付けるのに必死で、それが私の精一杯だったんだよと思い至る。
はたから見たら、ただで終わる人生かもしれないけれど、それは何らかの基準を設けて、そこから比較して見ただけの話。
自分軸ではない。
どこからどう見えるかなんて関係ない。
私の安らぎは、私の中にしかない。

美味しいごはんを美味しく作って美味しく食べること。
それ以外のことは、まあ適当でいい。
そう気付いたら、気持ちが楽になった。
そう思わせてくれたのは夫。
夫はやはり、私を自由にする人だ。

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