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【気まぐれエッセイ】おつかれさま私。20年間よく頑張りました。

色んなことが上手くいっているとき

少し都会の女になり始めた気分で

高いビルが並ぶ景色を眺めながら

田舎の家族を想うことが

たまらなく好きだった。


洗練され、強くなった私で

あたたかい家族の元に帰ること。

きっと私が1番叶えたかったことはこれ。


可愛いね、賢いね、優しいね

褒め言葉としてパッと思いつくようなことは

大体ほとんど贈られて育った。


「私は特別」

親族間という、小さな小さな世界では

私はそう思って生きていられた。


外の世界を知ってはじめて

「アレ?なんか私、あんまり大切に扱われてない」

そう感じることが増えた。


世の中には、

綺麗な人も賢い人も、才能がある人も

山ほどいる。

私なんて、ちっとも凄くない。


私は恥ずかしくなった。

だけど

これまで育んできたセルフイメージを

壊してしまうのは絶対に嫌だったの。


だから、

セルフイメージ通りの自分に

なろうと決めた。


9歳の頃から私の行動の主軸は

"理想の自分像" だった。


田舎を出て、東京で成功する。

いつからか当たり前のように

それを目標とするようになっていた。


大河を泳ぎきったら

恥じることなく井の中に帰れる。

そう、思って、約8年間頑張った。


じゃあ理想の自分って?

私にとっての成功って?

答えはいつも明確なようでいて

突き詰めるほどに曖昧だった。


漠然とした

ビックになりたい願望(今で言う、何者かになりたい願望)を

達成しようとすることは

蜃気楼を追っているようなものだった。





あぁ、疲れた。



たくさんの感情に振り回されて

がむしゃらに泳いできて

最後にはもう、

怒りも悲しみも、あまり感じなかった。


ただただ、虚しかった。

なんで私、こんなに頑張ってるんだろう。


私、本当は何がしたいの?


少し視野を広げて

数センチ違う方向に手を伸ばせば

本当は今すぐ幸せになれるんじゃない?



そう思って、帰ってきたんだっけ。



結局

思うような結果は出せぬまま帰省し

今、家族のそばにいるけれど

不思議と心は満たされている。


自分の幸せは、

案外簡単に守ることが出来るのだと

30歳を過ぎて知った。


美しくなくても

強くなくても

イケてなくても

母や父や妹と

祖母と

彼と

ご飯を食べたり

テレビを観たり

映画に行ったり

ゴロゴロしたり……

そうしてただ一緒に過ごす時間を

楽しんだっていいんだって

やっと心から思えたの。



今、充電中。

9歳から29歳までの20年分の頑張りを

自分で褒め称えてあげてるところ。



もう少しで充電がフルになりそうな予感。



そしたら今度こそ、

マイナスを埋める気持ちではなく

満たされたところから

プラスに向かう気持ちで

泳いでいけると思うんだ。

幸せな時間で人生を埋め尽くしたい私にとって書くことは、不幸を無駄にしない手段の1つ。サポートしていただいたお金は、人に聞かせるほどでもない平凡で幸せなひと時を色付けするために使わせていただきます。そしてあなたのそんなひと時の一部に私の文章を使ってもらえたら、とっても嬉しいです。