見出し画像

問題は組み合わせ

「共感」の深さは人それぞれだけど、大切なのは「組み合わせ」だという話を以前何かの本で読んで痛く共感したので今日はその話。

例えばASDのような共感の苦手な親に育てられた場合、全員が心に致命的な傷を負うかといえば実はそうじゃない。

例えば共感の浅いタイプの親に育てられた、同じように共感の浅いタイプの子供は、特に問題を感じない場合が多い。

逆に共感の深いタイプの親に育てられた、共感の浅いタイプの子供もそこに大きな問題は発生しない場合が多い。

ではどのようなパターンが問題になるかといえば、「共感の浅い」タイプの親に育てられた「共感の深い」タイプの子どもという組み合わせだ。まさに私のようなパターンだ。

だから同じ親によって同じように育てられた場合にも、その子供の共感性の深さによって受ける傷は変わってくるということ。

私の場合は母親は感情の薄い共感性の浅いタイプの人だったので、私の感情豊かさを受け止められなかったし、私が求める共感を母が与えてくれることもなかった。

母が悪いわけでも、私が悪いわけでもなく、組み合わせが残念だった。ただただ不運だったのだ。

その特性はもう血液型のようなもので変えようのないものなので、諦めて受け入れていくしかない。O型は嫌だ!AB型になりたい!ってどんなに努力しようが意味はないのと一緒。自分の型はそうなのだ、相手の型はそうなのだと認識して、それに合う生き方を選択するだけなのだ。

ただ子供はそんなこと分からないので、母親に受け入れられないのは自分が悪いからだ。自分には価値がないのだ。私は母親に愛されていないのだと勘違いしてしまう。

単に型の違いだということを知らないで傷付いてしまう。だから大人になった私たちは、それは単なる型の違いであって、あなたが悪かったわけじゃないと小さな私に教えてあげなければならない。

小さな私は拗ねて殻に閉じこもってしまっているので、私は何度も何度も言い聞かせる。それはあなたのせいじゃない。あなたは愛されたかっただけ。母は愛したかっただけ。でも与えるものと受け取りたいものが決定的に違っていただけなんだよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?