【旅レポ】沖縄の名物おばあに会いにいってみた


「あんた、この2年、大丈夫だったんか?」
「顔の見えんあいだ、どうしているのか、ずっと心配しておったさ」

節くれだった、よく使い込まれた職人特有の、つめたく乾いた手が背中に触れている。

心配顔の老婦人と、その友人のご近所さんに、小さいテーブルをはさんで詰め寄られる。予期せぬ歓待に、心のうちの絶対に揺らぐことのなかった箇所が思わずゆるむ。

何十年も時を止めたようなその店のしつらえは、ここに始めてきた時と何も変わらない。黄色くくすんだ電球の色にすべての調度品は溶け、過去の思い出と今見えているものの見分けがつかない。思わず、記憶は昔の領域へとさまよい出る。

記憶

2年前のことである。まだ自分は広告制作会社にいたときのこと。12月の中旬にふらりと夏休みを申し出た。遅い夏休みである。秋の気配はすっかり消え去り、冷え切った冬の寒気で東京は満ちていた。来たるべき真冬に向け、空気は縮こまり、人々はコートを着込み、みなどこかへせわしなく動いていた。

沖縄に行ってみよう。あたたかい場所に。できれば、なにも、考えずに済むところ。誰でなくても、かまわない場所。

何の考えもなしに、そう決めた。なんのプランも縛りもない、一人旅である。目的もなしに決めた旅であったが、ひとつだけ自分に課題を与えた。“旅の最中は、普段の自分が絶対にとらない行動を取ること”。

いつもは安全パイに頼ることが多いので、そういったことからは少し外れてみよう。

では、安全パイではない選択肢とはなんだろう?考えあぐねた結果、検索キーワードに文字を打ち込む。“沖縄 入りにくい店”。

せっかくなのだから、普段の自分なら絶対に遠慮して入らないような店に行ってみよう。世間は広いもので、入りにくい店にも果敢にチャレンジした人たちのレポートがネットにずらりと並ぶ。報告数は少ないが、いろいろな店があるようだ。その中でちらりとキーワードが目に入る。

「極めて入りづらい店だが、名物おばあの手料理がわんさか食べられるし、知らないおばあさんとの相席になる面白い店」。

なんだが面白そうだ。すぐに名前をメモする。何気なく、その店行きは決まった。たまには、人に会いに行く旅があってもいいだろう。名物おばあに会いに行ってみる旅、だ。

来訪

「ここがあの店か・・・」

ついに満を持してその店の前に立っていた。たしかに、入りづらい。そもそも店自体が、最寄の駅(安里)からだいぶ離れているうえ、住宅街の入り込んだところにある。道すがら、「絶対に道を間違えている」と3回ぐらい思ってから見えてくるような場所だ。壺屋という、焼き物を扱う観光地に近いものの、ここを目指してこない限りはたどり着くまい。

てんぷらのノボリが出ているものの、全体的に年季がかなり入っているうえ、店の明かりもついているのかいないのか、かなり近づかないと分からない。

ダウンコートに、しっかりとアイロンの効いたシャツとボトム。自分の格好はどう見ても観光客丸出しである。はたして入っても良いのかどうか。ここまで来たものの、頭はこのままホテルにトンボ帰りしようかと悩み始める。足元で複雑なボックスステップを踏んでから、ようやく決意して店のドアを開けた。いや、正しくは開いていた。

踏み込んだ先に広がっていた景色は、どう見ても人のご自宅の集会だった。複数の老婦人が小さなテーブルを囲んで座っている。

こちらをぼんやり見つめたまま、婦人の一人が口を開く。
「えっと、なんでしょう?」
「あ・・・あの・・・」
「お客さん?」
「あ、はい」
「お客さん、きたよ」
台所と思われるところから、また老婦人が顔を出す。この人が店主だ。
「あ、はいはい」
「どうぞ」

そう言って、老婦人から年季の入った折りたたみ椅子を勧められる。噂どおり、知らないご婦人方との相席である。礼を言って、席に座りあらためて店内を見渡してみる。話に聞いていた通り、何十年も前から時を止めているような店だ。


よく見てみると、店が過去に取材された紹介記事や全国のお客さんと思わしき人たちからの写真であふれている。入りにくい店と言っても、知る人ぞ知るというところか。

「ご注文は?」
思わず、メニューに目を見やる。
「えーっと・・・」
「まあ、今日はそばかおかずか、だね」
なるほど。何が出せるかはその日次第らしい。おかずを頼んだ。

聞けば、この店は創業してもう60年以上になるらしい。1972年の沖縄返還以前から開業しているというのだから、ずいぶんと老舗である。店主の名は宮城はるこさんと言う。2016年時点で御年82歳。何年に創業したのか、詳しく聞いてみたがもう覚えていないそうだ。

「昔の人はお金がないさ。お母さんもとってもお金がなかったからね。自分で何とか食べていくために、できることでこのお店開いたよ」

戦後の沖縄では、お金も物資もさぞや限られていただろう。初等教育のち、すぐに働きに出なくてはならない。小さな定食屋をこの地に店を開いて、一からこつこつやってきたのだそうだ。店名の「ゲンキ食堂」というのは、数年前に亡くなられたご主人が務めていたゲンキ乳業(現 森永乳業)から取ったとのこと。

店では定食も出すが、メインはてんぷらである。沖縄のてんぷらは衣があつく、いわゆる普通のてんぷらのようにサクサクしていない。しっかり、しっとりした衣が特徴だ。こうしている間にも近所のおじいさんがフラリとやってきて、てんぷら頂戴と買いに来る。この地域にしっかりと根付き、愛されてこれまできたのだろう。

店にいるお客さんは、何かを食べにきた人だけではなく、おばあの顔みたさに何気なく来ている人もいるようだ。椅子に腰掛けてぼんやり時を過ごしているかと思いきや、ご近所さんが集まると濃い地元トークが始まる。その姿は老若男女が集まる集会所そのものだ。

全員が顔見知りで知り合いというわけではなく、おばあのこの店でつながっている人たちであるらしい。

「この人に連れられて、はじめて来たの」という人もいた。誰かの紹介というかたちで、コミュニティが形成され、広がっているらしい。なんだが、どこかで聞いたことのあるコミュニティの作り方であるが、こちらの方がずっと年季が入っているし、何より自然に形成されているのだから驚きである。

また、注文が集まったりお客さんが来ると、お客さん同士が対応してくれるようになっている。今も、相席した老婦人がお茶を入れてくれている。どうという役割も与えられていないが、お客さん同士が店主の代わりに勝手に動いている。組織として形成されていないにも関わらず、勝手に自走してミッションを成し遂げていく。どこぞのティール組織も真っ青のチーム編成である。しかも、メンバーは常に固定されていないのだから、このような形態で運営できていることは奇跡的である。

自走できるコミュニティの作り方を学びたければ、勢いのあるオンラインサロンに来るよりも沖縄のゲンキ食堂に来た方がいいのかもしれない。

「○○子、あんたやせたんじゃないの?しゅっとしている」
「そう?」
「もう痩せる必要はないよ。そのまんまがええ」
御年82歳の店主はるこさんと推定60歳と思われるお客さんとの会話は、まるで親子のそれのようだ。この店は、はるこさんを中心に周り、そしてのその空気感が訪れる人たちに共有され、この小さな店に充満している。

そんなことを考えながら会話をぼんやり見つめていると、はるこさんが口を開いた。
「あんた、ずいぶんおとなしいねえ」
・・・・根暗ですみません。
「どこから来たの?」
東京です。
「あれまあ、へえ。旅行?」
はい。
「内地(沖縄以外の日本のこと)は、寒いっちゃねえ」
とても、寒いです。
「沖縄には、なにしにきたの?」
ぼーっとしに。
「いろんなとこいくとええよ」
はい。
「学生さん?」
いえ、社会人です。
「仕事はたいへんか?」
まあ、それなりに、悩んでいます。
「はえ~。がんばりな、しっかり稼ぎな。そんで、しっかり遊べばいいよ」
はい。
「あんたは、大人しくて、ええ子さあ」
そうでしょうか?
「大人しくて、ええ子さ」
本当に、そうでしょうか?
「いっぱい、食べて」

気が付いたら、机のうえにとんでもない量の食事が並んでいる。
「いや、おばあさん、こんなには食べられないかな・・・」
「いっぱい食べえ」
「はあ・・」

沖縄そばにてんぷらに、白いご飯におかずに、なぜかパンも出てくる。黙っているとどんどん食べ物が追加されてくるシステムらしい。

「いっぱい、食べればええさ」

食事を提供することを生業にしている人は、食べれば元気になれるとどこか信じているのかもしれない。残念ながら大食らいタイプではないため、大半は残すことになってしまったが、気持ちはありがたくいただいた。はるこさんのご飯は、どれも家庭的でほっとする味付けだった。

「たくさん、たべてね」
どれも、とてもおいしいです。
「なんだが、とっても元気がないさ」
ちょっと、疲れているのです。
「一人できたの?」
はい。
「お父さんとお母さんは、どうしたの?」
いまは、うんと遠いところにいるでしょう。
「ご兄弟は?」
いますが、ずいぶんと会っていません。
「一人で東京でやっとるの?」
はい。
「大変さあ」
慣れています。
「でも、大変さあ」
大丈夫。もう慣れています。

店の前に置いてある風鈴が、ちりりと鳴る。もう東京は真冬なのに、なんだか夏の訪れのような瞬間だ。季節が分からない。自分はどこにいるのだろうか。どの季節の、どこにいるのだろう。東京にいたころは、ずっと過去について振り返ってきたし、未来について思いをめぐらせてきた。しかし、なぜだろう、沖縄にいると今は今でしかない。自分だと思っていた何かや、自分をつないできたあらゆる記憶が、思いが、不思議と自分と離れていく。

自分とは、こんなにも矮小でコンパクトなものだったのか。何も持たない
、どこのものとも知れぬ人間を、はるこさんはじっと見つめる。

「沖縄では、うんと遊びな」
そうします。
「そんで、東京ではうんと働いて稼ぎな。そんでまた遊びにこればええよ」
はい。必ず。

はるこさんとは、取りとめもないような話をした。観光客向けのリップサービスだぞ、と心の中で一線を引いていたうえ、見知らぬご老人に対する「よくできた孫」というスタンスを若干演じていたことは否めない。しかし、あるべき自分を演じなくても良い、ということは自分にとって存外嬉しいことだった。

最終日にお店に寄ると、はるこさんは大喜びでてんぷらやサータアンダギー(砂糖てんぷら)を持たせてくれた。「空港で食べてね」「また遊びにおいで」。

また来ます、必ず。もっと大きな人間になってきます。

はるこさんはにこにこして送り出してくれた。

大きなスーツケースを引いて、後ろ髪引かれる思いで那覇空港へ。空港で食べた砂糖てんぷらは、こってりとして素朴な味だった。もう少しだけ進歩して、落ち着いたらまた沖縄に行こう。はるこさんに会いに行こう。そう思ったのが、ちょうど2016年12月のことだ。

再開

その後、はるこさんとはお礼もかねて手紙のやり取りをした。衝撃的だったのは、はるこさんは字が書けないし読めないということだった。代わりの人が代筆としてお礼状をくれた。「また、いつでも沖縄においで。待ってます」。その言葉を忘れずに、ずっと暮らしていた。

そして、2018年の12月。ようやく遅い夏休みをとって、沖縄に帰ってきたのだった。はるこさんには、事前に手紙を送っておいた。また休みを取って行くよ、と。

そうして、ふたたびあの店の扉をくぐったのだった。店の中は2年前と相変わらず変わらない。ただし、相席のお客さんは知らない方だ。

「あんた、ここ初めてきたの?」
いや、違います。何度か来たことがあります。
「おばあちゃん、来たことあるってえ」
「あれ」

台所には、はるこさんが相変わらずいた。

「どれくらい前?」
2年位前に。手紙も出したことがあります。
「おばあちゃん、覚えてる?」
「観光客のひとは、たくさん来るからねえ」

この店は、最近では多くの観光客が来るようになったから、なかなか覚えていないものかもしれない。まあ、そんなものだろう。

はるこさんは、てんぷらを揚げた手をふきふき、マジマジとこちらを見つめる。

「あんた、あの2年前に来た人?」
そうです。

はるこさんの顔が、みるみるうちに深刻なものになる。そっと右腕をつかまれた。

「あんた、この2年、大丈夫だったんか?」
「顔の見えんあいだ、どうしているのか、ずっと心配しておったさ」

そばにいた常連客の人が、驚いている。「なになに?どうしたん?」

「この子、前にもうちに来たことあるよ。そのときはもっと顔色が悪くて、とっても大人しくて暗かったさあ。大人しくて、なあんも言わんけど、でも、とってもとっても何か思い悩んでいるみたいで。これは何か、重いものを抱えておるなあってずっと心配しておったよ。家族とも離れとる言うに、心配でさあ。どうしておるのか気になっていて、朝晩神様にお願いしておったよ。この子が無事でおってほしいってさあ」

いや、だから手紙を出しましたよ・・・。というか、どんだけ根暗だと思われているんだ・・・。しかし、手紙のことを忘れられているのには驚いたが、存在そのものを覚えておいてもらえているとは思わなかった。自分は一観光客にすぎないし、さして記憶に残る人間だとも思えないからだ。

「手紙?あれ?そう?」
「おばあ、忘れたらいかんよ」
「もう年だからねえ。ああでも、」

あんた、この2年無事だったんか。

はるこさんにじっと見つめられる。ご近所さんにもがっつり見られている。この沖縄の地で、なぜか二人のご夫人から激詰めされ心配されている。

「あんた、大丈夫だったか?」
のどをごくりと鳴らし、ようよう答える。大丈夫ではありませんでしたが、まだ生きています。詳しく話すと惨めになりすぎるし、下手をすればただの愚痴になってしまう。ごく単純にいえる事実はこれだった。まだ生きている。

「ああ・・・」と納得する二人。

「大変だったねえ」何も言っていないのに、理解されてしまう。
「あれだ、あんたいじめられているんじゃないの」謎の理解力を持つ二人は、なぜだかいろいろなことをおのおので理解し始めている。

「大丈夫さあ。がんばればなんでもできる。あんたはできるよ」
「本当にまずくなったら、沖縄においで。沖縄に来ればいいよ」
「東京は寂しかろう。沖縄におれば、みんなで話しきくよ」

なぜ遠く離れて、ふらりと訪れたこの地で、このような歓待を受けているのだろう。何ひとつ差し出していないのに、いる場所を与えようとしてくれるのだろう、この人たちは。

常連客の方が口を開く。「あんたって。クリスチャン?」
違います。
「あんたがこの店に来たとき、わたし、お母さんのこと思い出したよ。わたしのお母さん、熱心なクリスチャンだった。でもいじめられてよく泣いてたよ。あんたがドアのところに来たとき、急にそのこと思い出したさあ。胸にきゅーんときた。だから、クリスチャンかなって」

するどい。はるこさんといい、一見マイペースに生きているように見えて、急にするどいことを言う。

いえ、クリスチャンではありません。クリスチャンと仕事はしていますけど。

「ああそう」
「この子、一人でがんばっているから、心配だったさあ」はるこさんは心配顔だ。

ご老人の不思議なところは、覚えていない箇所と細部まで覚えているところが混同していることだ。2年前にたった一度しか言ってないようなところを、不思議と覚えている。

「お父ちゃんが入院してなかったら、いろいろ遊びに連れて行ってあげたのに」
「この子は大人しくて、ええ子だよ。友達になったげて」
「ええよ、ええよ」

この遠く離れた地で、なぜか友達ができてしまった。何にも話していないのに理解され、何にも与えていないのに受け入れられている。どこの馬の骨とも知れぬ、自分を。話すことは無意味で、ただいるだけですべてが分かられてしまう。この小さな店の中で、人生の何かが収まってしまったみたいだ。きっと普通の人間だったら、こういった場面で泣くのだろう。しかし自分は泣いたりはしない。ただ、純化された透明な悲しみがそこにあった。何か、とてもいいものが自分に触れ、自分はすこし上等になった。そんな気がした。

過去と今の未来のすべてが、ここでなぐさめられている。空気はうんと澄んで自分の細胞に隅々まで届けられている。何かが解き放たれ、何かが自分のなかで消え去った。

「おばあは、朝晩神様にお願いしておったよ。この子が無事でおるようにってさ」

なにかに、なろうとしてもがいておりました。ここ2年ずっと。

「だいじょうぶさあ。ゆっくり行け、ゆっくり。あせっちゃあいけないよ。まだまだだよ、人生。ゆっくりゆっくり行けば、だいじょうぶさ。」

そうでしょうか?

「あんたはだいじょうぶ。上等さ。」

ほんとうにそうでしょうか?

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

さあ、いっぱい食べて、とまたしてもたくさんのご飯を出される。そのどれもが飛行機酔いした体に優しくしみる。

なにかに、なろうとしていたのです。でもー。何を言うべきだったのだろう。何を言いたかったのだろう。胸の中で無言のまま何かがエコーし続ける。あらゆる言葉が入り乱れて、打ち消されて、散り散りになっていく。

はるこさんの顔を見ていたら、ようやく言葉が見つかった。
「帰ってきました。」

「いつでも帰ってきたらええよ。」はるこさんは笑う。

なんだか、おばあちゃんには強く出れないグレた不肖の息子みたいだな、と自分でも思う。旅の最中は毎晩、はるこさんの店に通った。別段なにも話さなかったが、それで十分だった。毎日、常連客と相席になり沖縄の地元トークに耳を傾け、ご飯をいっしょに食べる。みんなゆるゆると集まり、ゆるゆると去っていく。

最終日、顔見せにゲンキ食堂に向かう。はるこさんは忙しいながら、持って帰るてんぷらを一生懸命用意してくれた。常連客のお客さんに、帰るというと「さびしくなるね」と笑った。

はるこさんは、とても持ちきれないほどのてんぷらをお土産に持たせてくれた。「おばあのてんぷらを食べれば、元気になるよ。」

まさしく、ゲンキ食堂だ。

「またおいで、ゆっくりゆっくり行け、あせっちゃあいけないよ」

ぼんやりとうなづく。はるこさんは手を振る。自分も手を振りかえした。手紙も書くし、電話もします。はるこさんはにこにこして、いつまでも手を振ってくれた。

「次はいつくるかね?」
「1年後か、2年後には、かならず。」

はるこさん、それまで、元気で。

旅にはいろいろな目的があるだろう。観光も食も体験も楽しみの一つだ。だけど、人に会いに行く観光もきっといいものだ。そこでの出会いは運しだいだが、なにかかけがえのないものが得られるときもある。あなたも、そんな旅をしてみてはいかがだろうか?思いも寄らない何かに、出会えるかもしれない。

※閉店時間は18時と早め。
※お酒は提供しておらず、予約は受け付け不可。
※入れてもせいぜい4人までぐらいのお店です。

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実はチキン野郎でもあるので、記事が伸びていないと、地味に沈んでいます。まあ、やっぱり続けるんですけど。

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