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ロシア・ウクライナ紛争

こんにちは、TOYOです。
マスメディアでは、ウラジーミル・プーチン氏率いるロシア軍のウクライナ侵攻について、プーチン氏を貶めるような報道が一方的になされています。
しかし、真実は、私たちに伝えられている報道とは真逆であり、捏造された嘘の報道が続けられてきました。

ロシアとウクライナの歴史を今一度振り返ることで、その真実が少しでも
皆様にご理解されるのではないかと思っています。


ロシア国家の成立

まず初めに、ロシア国家の成り立ちについてお話します。

ロシアは中央集権国家として集まり始めました。そして、862年がロシア国家樹立の年とされています。
ノヴゴロドの町民が、スカンジナビアからヴァランギ王国の王子ルリクを招いて統治させたのです。

882年、ルリクの後継者オレグ王子がキエフにやってきました。
ロシアは、キエフとノヴゴロドという2つの勢力を中心に発展し始めました。

ロシアの歴史において、次に非常に重要な日付は1988年です。
ルリクの曾孫であるウラジーミル王子がロシアの洗礼を受け、正統派、つまり東方キリスト教を採用したのです。
この時から中央集権的なロシア国家が強化され始めました。

中世にさかのぼると、ヤロスラフ賢王子が王位継承の秩序を導入しました。
その後、キエフを含む南部と他のいくつかの都市は単に独立を失いましたが、北部の都市は主権の一部を維持しました。
そして、モスクワを中心とする「統一ロシア国家」が形成され始めたのです。

キエフを含むロシアの南部は、ヨーロッパに出現しつつあったもうひとつの中心地へと徐々に引き寄せられ始めました。
それが、リトアニア大公国です。リトアニアは「リトアニア・ロシア公国」と呼ばれていました。
彼らは古いロシア語を話し、正教徒でした。
しかしその後、リトアニア大公国とポーランド王国の統合がありました。

ウクライナの歴史

ウクライナ

もともと「ウクライナ」という国はなく、 "ウクライナ人" という言葉はロシア国家の郊外や辺境に住んでいる人、あるいは国境警備隊に従事している人を意味していました。
特定の民族を意味していたわけではありません。

13世紀、ポーランド人🇵🇱は、ありとあらゆる方法でロシア領のこの地域の人々を実際かなり厳しく扱っていました。
彼らはワルシャワに手紙を書き、自分たちの権利を守り、キエフを含むこの地に人々を徴用するよう要求しました。

ロシア・ウクライナ紛争

ビクトル・ヤヌコビッチ大統領

ロシアとウクライナの現在の紛争が始まる9年前のことです。
最初はウクライナのクーデターがきっかけでした。

当時、ドイツ、ポーランド、フランスの欧州3ヵ国の代表がロシアに到着しました。
彼らはヤヌコビッチ政権と野党の間で調印された合意の保証人でした。

彼らは保証人として署名しました。にもかかわらず、野党はクーデターを起こし、これらの国々は平和的解決の保証人であったことを覚えていないふりをしました。この3ヵ国の保証人は、この状況全体を政治的な場に戻す代わりに、クーデターを支持しました。
ヤヌコビッチ大統領はすべての条件に同意しました。

ウクライナ

現在、「ウクライナ」と呼ばれているロシア領のこの地域は自分たちの権利を求めて闘い始めました。

CIAはクーデターを完成させるために仕事をしました。
国務副長官の一人が、「50億近い大金がかかったが、政治的な誤算は甚大だった」と言ったそうです。

2014年、この地域を独立国家として認めさせるためにクーデターを起こしたのです。

これが、2014年から始まったのが「ウクライナ紛争」です。
ロシアを後ろ盾とする「親ロシア派」と「親欧米派のウクライナ政府」との紛争であり、これが現在まで続くウクライナ戦争の大きな要因のひとつとなっています。

本来なら犠牲者もなく、軍事行動もなく、クリミアを失うこともなく、すべて合法的に行うことができたはずです。

しかし、現在のウクライナ指導部は、ご存じのように2014年のミンスクでの出来事の後に調印された「ミンスク合意」を履行しないと宣言しました。
彼らは履行するつもりはなかったのです。

2年か2年半前、ドイツとフランスの前指導者たちは、ミンスク合意には確かに署名したが、それを履行するつもりはないと、全世界に向けて公然と発言しました。

ウラジーミル・プーチン大統領

ウラジーミル・プーチン大統領は、米国と欧州諸国の指導者たちに対し、こうした動きを直ちに止め、ミンスク合意を履行するよう求めました。
この領土の一部が共通の社会環境に再統合され、年金や社会的給付が再び支払われるようになれば、すべてのピースが徐々に収まるだろうと考えました。

しかし、誰もそんなことは望んでいなかったのです。 誰もが軍事力のみによる解決を望んでいたのです。
彼らは軍事行動の準備も始めたのです。

2014年に戦争を始めたのは、ウクライナ指導者たちです。
プーチン大統領の目標はこの戦争を止めることでした。
2022年に戦争を始めたわけではありませんでした。これは戦争を止めるための試みだったのです。

「非ナチ化」

「ナチストからの解放」

プーチン大統領の目的の 1 つはウクライナの「非ナチ化」であるため、まだ目的を達成できてはいません。

独立後、ウクライナ指導者たちはアイデンティティを模索し始めました。
そして彼らは、ヒトラーに協力した偽りの英雄たちの上にこのアイデンティティを構築すること以外に思いつかなかったのです。

歴史的な発展により、これらの領土はポーランド・リトアニア連邦の一部となり、ウクライナ人は迫害され、残酷な仕打ちを受けました。
また、彼らのアイデンティティを破壊しようとする試みもあり、これらすべてが人々の記憶に残りました。

アドルフ・ヒトラー

アドルフ・ヒトラー

第二次世界大戦が勃発すると、この極めて民族主義的なエリートの一部は、アドルフ・ヒトラーが自分たちに自由をもたらしてくれると信じてヒトラーに協力しました。

ドイツ軍は、ヒトラーの協力者たちにポーランド人とユダヤ人を絶滅させるという最も汚い仕事をさせ、それゆえ、ポーランド人とユダヤ人、そしてロシア人の残虐な大虐殺が起こったのです。

バンデラ、シュキエヴィチ

ウクライナの民族主義者ステパーン・バンデラ(Wikipediaから)

これを指揮したのは、よく知られているように、バンデラ、シュキエヴィチ
国民的英雄とされたのはその人々であり、それが問題なのです。

プーチン大統領は言います。
「ウクライナ人はひとつのロシア民族の一部だ。しかし彼らは、いや、我々は別の民族だと言う。
しかし、ナチズム、つまりナチのイデオロギーに基づいてはならない。…

もし米国がウクライナへの武器供与を止めれば、戦争は数週間で終わるだろう。」

ゼレンスキー大統領

国連では、国境がない地域は主権国家として認められないことになっています。しかし、主権国家と認められていなかったウクライナを、NATOとウクライナ指導部は、ロシアとの合意をまったく得ずに、ウクライナを国家として国連に組み込んでしまったのです。

つまり、実際はウクライナは国家ではなく、ロシアの一地域に過ぎないのです。

潘基文国連事務総長:
「ウクライナは1991年以来国境登録を 申請していない。」
つまり、ウクライナという国家は存在しない。
従って、ロシアはウクライナに関して いかなる権利侵害も犯していない と考えることができる。

CIS条約によると、ウクライナの領土は 行政区域である。

ロシアはウクライナという国と戦争をしていのたではなく、ウクライナ地域を「独立国」にするためにクーデターを起こし、ウクライナを乗っ取ろうとするウクライナ指導部を壊滅させ、ロシアの平和と安定を取り戻すための内戦なのです。

最後までご覧いただき、ありがとうございます。



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