見出し画像

『わたし、定時で帰ります。』残業の真因は個人なのか?

久々にタイトルに釣られて読んだ小説だった。

『わたし、定時で帰ります。』
朱野帰子 著

残業問題に焦点を当てた小説、というのは意外と珍しいのではないかと思う。

本書は著者の会社員としての経験が元になっているらしい。そのためかオフィスの情景描写にはなかなかのリアル感がある。

そんな「あるある」の風景に共感しながら、日本社会の残業問題について考えてみるのも面白い。

余談

さて、ここからは余談。

あくまで余談なので、流し読んでいただいて構わない。あと、ネタバレを含みます。

エンターテイメントである小説に対して、過剰な反応を示していることをご容赦ください。


本書を読んで気になったことがある。それは、残業問題の原因がほとんど精神論、すなわちメンタルモデルによって説明されていたことだ。

本書で残業問題の「原因」とされているのは、登場人物の価値観だ。一例を紹介したい。

気合と根性で案件が回ると考えている部長。

仕事大好きで徹夜・休日出勤厭わず働き続けるエース。

能力がないゆえに隠れて残業する非効率男。

そんな同僚たちと、主人公は休憩もロクにとらずに案件を回すことになるが、その様子はまるで「インパール作戦」だと揶揄される。主人公は「精神論でなんとかなる」という思想を否定する。

しかし、「個人の価値観が変われば残業がなくなる」という考えも同様に、「精神論でなんとかなる」思想なのではないか?僕はそう思ってしまう。


メンタルモデルは問題構造を明らかにするうえで、間違いなく一つの重大要素だ。

だから本書を否定するつもりは一切ないし、とても重要な観点であるとも思う。

それでも、もう少し踏み込んだ構造の分析が欲しい。個人の認識が改まった後、残業問題の根本解決のために何が課題なのか。そうした考察があればより共感できたかもしれない。

もっとも、小説に実用性を求めるのはナンセンスなのだが。。。どうも会社が舞台の小説を読むと、感情的になってしまっていけない。


最後に、これまで僕が経験してきた職場で最も残業が課題だった部署を紹介したい。

その部署のメンバーのほとんどが残業を嫌っていた。皆が定時に帰りたいと願っていた。にもかかわらず、残業は一向に減ることはなく、深夜残業が繰り広げられていた。

それではなぜ残業がなくならなかったのか?それは残業の理由が個々人にあるのではなく、部署内外の他者との連携によって生じる「遅れ」と「制約」によるものだったと考察している。

「承認」「合意」といった個人では対応できないプロセスが「ボトルネック」となり、ほとんどの業務を遅延させていたのだ。

この件については、後日改めて別記事で紹介する予定だ。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?