見出し画像

「パートナーはただ一人」を疑ってみて見えたこと:わたし、恋人が2人います

前から、結婚について思うことがあった。

「好きな人が、世界の中でただ一人私だけを選んでくれるって、そんな嬉しいことないなと思うけど、」

「それを受け入れたら、『恋が始まる!』っていう、あのモゾモゾした温かい気持ちはもう永遠に悪者になっちゃって、封印すべきものになっちゃうの?」

「新しく出会った素敵な人に触ってみたいって思う素直な気持ちも、許されなくなっちゃうの?」

結婚は、してみたい。


苗字をポジティブな形で変えたいし、
届け出出しちゃうくらいにあなたは大事なんだよ、って私をオーソライズされてみたいし、
仲良しの人たちにたっぷり祝ってもらいたいし、
参加費は観覧費だったんだな、さすがだわ、やっぱり違うわあ、と思ってもらえる、結婚ショーをしてみたいし(エンターテインメントにしたい)、
結婚云々の話をされて気まずい思いをする時間を捨て去りたい。

でも、恋を手放す宣言はしたくない。


これからの人生でどんな人に出会えるかなんて絶対にわからないのに(今年一年も、去年まで知らなかった素敵な人にたくさん会った)、一生一人だけを私の性愛の対象に任命します!って、そのことを宣言するのは、惚れっぽい私にとっては不誠実なことのように思える。
※だから私は、その瞬間の誠実さに意味があるって言ってくれる『ハッピー・マニア』が好きだ。

そんなわけで、今のところの私の考える目標は、「大好きで安定した関係の人と結婚しつつ、たまには新しい恋も(結婚相手を傷つけない形で)楽しみながら生きていけること」
大好きで安定した関係の人、と恋がずっと続けられたら、それが一番いいな〜とは、思うけど。

この目標を、もっと具体的に、きめ細やかに、イケてるものにするために、結婚とか家族の形について、いろんなものを読んでいる(ということに、最近気づいた。無意識だった。無意識に研究してた)。

はい! 


前置きが長くなりましたが、ここから、そんな研究の一環で読んだ『わたし、恋人が2人います。』の印象に残ったところ、アーンド、それに対する小生のシャキシャキのもやもやをお届けしてまいりますよ〜。よかったら、みんなも一緒にもやもやしてね〜。

まずは、本の概要から。

本書はcakesの連載を加筆・修正したもので、連載の紹介を見ていただくとポイント掴みやすいと思うので、そこから引用しますね。

「ポリアモリー」という言葉をご存じでしょうか? ポリアモリー(複数愛)とは、複数の人と同時に、それぞれが合意の上で性愛関係を築くライフスタイルのことをいいます。浮気でも不倫でも二股でもない「誠実で正直な複数恋愛」とはどのようなものなのでしょうか。本連載では、男性Aさんと同棲しながら、別の男性Bさんとも付き合っているきのコさん(32歳女性)に、普段の生活の様子や恋愛観を綴ってもらいます。


本の中では、ポリアモリーの人に対して寄せられやすいだろう質問なんかが、各節のタイトルになっております。例えば、こんなの。

○どうして2人の恋人と付き合っているの?
○ポリアモリー同士に嫉妬はあるの?
○恋人がひとりだけでは満たされないの?
○自分の恋人たちが顔を合わせたら?


これらのタイトルがキャッチーだから、最初は、特に「ポリアモリーの本感」が強いところだけ抜こうかなと思っていました。
でも、この本で話されてることってもっと普遍的なことだと思うので、「ポリアモリーの本ぽくない」ところで印象に残ったところも、平等に書くことにしました。

前置きが長くなりましたが、それでは、どうぞ。

=======

友だちと恋人の違いは、「性的接触の有無」? それとも「会う頻度」?

〔中略〕

わたし個人は、友だち(に対する友情)と恋人(に対する恋愛感情)とに根本的な違いがあるとは思っていません。というより「どうして友だちと恋人とを区別する必要があるのかわからない」といったほうがより正直な感覚かもしれません。

私は、区別したくなっちゃうな。
大勢のうちの1人、じゃなくて、その人のたった一人、の席に座れたら、自分の価値に自信が持てる感じがするから、かも。

「お互いに好意があってセックスもするが、恋人同士にはならないことを合意している、両想いの『友だち』(としか表現のしようがない相手)」もいるので、ますます友だちと恋人の違いがよくわからないのです。

こういう関係を友だちと呼ぶことに私はもやっとするなあ。理由の70%は「たった一つの座席に私を置いてほしい」って気持ちだとして、あとの30%は、なんだろう。

もしかしたら、友だちと恋人の違いを明確にしたい人は、「わたし」と「あなた」という当事者同士がお互いのことをどう思っているか以上に「世間からこの関係をどうとらえられたいか」という意識があるのかもしれません。

これだ~~!答えはここにあった!私の考えでは、世間というか、「顔がわかる周りの人」、かな。そういう人に、「遊んでるんだなあ」って蔑視されたり、「遊ばれてるんだな」ってかわいそうに思われるのが、私は嫌なんだ。

当事者以外に話す必要がなかったら、曖昧なものに名前をつける必要性の強度ってそんなに高くならない、たぶん。

わたし個人としては、恋人とは自分を満たしてくれる存在ではないと思っています。恋人と自分とのかかわりのなかで、自分が自ら満たされることはあっても、恋人が外から直接自分の足りない部分、寂しい部分を満たしてくれるのではないという感覚です。

相手がどんな愛情を差し出してくれても、疑い続けることは可能。というか、簡単だ。それじゃどんなに愛してもらっても永遠に辛いから、難しいけど、自分が自ら満たされるようにがんばろう。

ネットで「ポリアモリーを親にもった子どもはかわいそう」「ポリアモリーは結婚するべきではない、子どもをつくるべきではない」という意見をもらうこともあります(これはポリアモリーだけでなく、障害者やLGBTもよく言われていることです)。

「他人と違う親・他人と違う家庭に生まれた子どもは世間から差別されるからかわいそう」という考え方は、「世間と違う人間は差別されるもの」という価値観がもとになっているので、その意見に悪意がなかったとしてもそれ自体が「差別を再生産する基盤」になってしまうものだとわたしは思います。

ポリアモリー当事者やその子どもが「差別されてかわいそう」だと思うのであれば、まず問題にされるのはその差別意識であって、差別される側が「差別されないように予防する」ことは、差別そのものを本質的になくすことにはならないのではないでしょうか。


な、なんて応用可能性をもったお言葉なんだ…!

立ち向かうんじゃなくて逃げるって選択肢があることはもちろん大事。でも、黒ばっかりのオセロをちょっとでも白にひっくり返そうとする努力は、やっぱり大切なんじゃないか?

=======

愛されたいと思う気持ち、恋とは、結婚とは、嫉妬とはなんなのか、当たり前だと思われてることを疑ってみて新しいかたちを検討してみることで、もっと人生は柔らかく面白くできるんじゃないか、もっといろんな情報を集めて、考えを深めていきたいなあ…と思わせてくれる本でした。

価値観のバージョンアップをしたい方に、おすすめです。

以下はおまけ!印象に残った単語!

○インドやチベットの一部では、「一妻多夫制(ポリアンドリー)」がある。
→実例をぜひ調べたい!

◯「『女性』もしくは『男性』以外も含めたすべての性別が恋愛対象となる人」を「パンセクシャル」(「パン」はギリシャ語で「すべて」の意)と呼ぶ。
→みんな乗れる船って感じで素晴らしいな…誰も自分が外されてるって気にならない概念だな…すごい。



この記事が参加している募集

コンテンツ会議

いただいたサポートは、ますます漫画や本を読んだり、映画を観たりする資金にさせていただきますm(__)m よろしくお願いします!