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しろくまドイツ留学記 【16~24ヶ月目】【第3セメスターから卒業まで】

ご無沙汰しております。最後の更新からいつの間にか1年半も経過しており、時間の速さに驚きが隠せません。

最後の更新は2021年10月までの内容でしたが、今回のNoteでは一気に卒業までの記録を残していこうと思います。

第3セメスター

このセメスターでは4つの授業を履修しました。かれこれ3つ目のセメスターなのでドイツの授業にも慣れてきただろう、と呑気に考えていましたが、その考えとは裏腹に2年間で最も厳しい授業が続きました。

特に学科のメインテーマである「遺伝学と品種改良」に関連する授業は、圧倒的な情報量と理解の難しさで常に頭を抱えていました。予習復習は当たり前、睡眠と食事以外の時間は勉強といった日々が続きました。

それでも、コツコツ勉強を続けたおかげで、無事にすべて単位を得ることが出来ました。

①Selection Theory: C (3.0)
Planning of breeding programs: B (2.0)
Plant Quality: B+ (1.7)
From Genes to Transgenic Plants and Edited Genomes: D+ (3.7) 
※ドイツのGPAはAが最高なので、日本式に変換するとAはS, BはA, CはB…です

ご覧の通り、過去イチでボロボロの成績です。特に必修科目だった①と②は涙が出そうなぐらい難しく、試験当日も半分パニック状態でした。とにもかくにも、これで修士課程における授業はすべて終わりです。

ここから半年間は研究と修士論文の執筆に移ります。

研究室配属

ホーエンハイム唯一の日本人の先輩Yさんの研究室に誘われ、研究を行っていきました。Yさんの研究室はブランデーなどの蒸留酒が専門で、主に酵母の遺伝学的研究と蒸留方法の研究開発などを行っています。

研究室の情報
Hefegenetik und Gärungstechnologie

https://ilb.uni-hohenheim.de/150f

研究室は大学の蒸留施設の運営も行っています。技術員のOliver (あだ名: オリ) が毎週何かしらを蒸留しており、建物内は常にいい香りが漂っていました。また、ここで作られた蒸留酒は大学構内と近くの酒屋さんで購入することが出来ます。

酒屋さんの情報
Tabak-Seher (J. Seher. K.)
住所: Filderhauptstraße 21, 70599 Stuttgart
http://tabak-seher.de/braende-uni-hohenh-1.html

また、ブランデーはDLG*にも出品されており、いくつかの銘柄で金賞を受賞しています。研究目的での製造/販売なので、通常50€するような品でも20€ほどで購入できますので、大学近くをお立ち寄りの際は是非。 *世界最古かつヨーロッパで最も権威のある競技会で、ハムやソーセージ、ワイン、ビールなどの食品が対象

また、研究室のメンバーは私とYさん以外はドイツを背景に持つ方が殆どでした。普段のディスカッションからランチタイムも英語で会話をして頂けたのでなんとかなりました。とはいえ、基本的にはドイツ語なので、私からトピックを出さないと英語に切り替わらないので、話題を考えるために常に脳がフル回転でした。

研究と修士論文

Yさんは私の指導教官も担当してくださり、私もブランデーの蒸留についての研究を行いました。具体的には、蒸留中に得られる蒸留物内の香り成分の同定と、理想的な蒸留物を得るための条件の予測モデルの構築でした。

ちなみに、授業ではガッツリ遺伝学をやっておきながら、なぜブランデーという完全な方向転換を選んだかというと…
・半年間では遺伝学の研究はまともにできない
・そもそも希望の研究ポストが空いていなかった
・香りの研究が会社に入ってから役立つと思った
などの理由があります。

研究に入ってからは、毎日ブランデーの蒸留前の状態を再現する溶液を作り、専用の機器で蒸留を行いガスクロマトグラフィーにかけるのを繰り返していました。

3ヶ月半程でなんとか論文に必要なデータが集まり、そこからは教授ともディスカッションしながら執筆作業に入りました。

初めて英語で論文を書くのもありますが、私の研究内容が中々にレアだったので参考文献を探したりで何かと時間がかかりました。考察にあたっても50年も前の文献を漁ったり、中々に貴重な体験でした。

論文の執筆自体はスムーズとは行かないものの学部時代の経験が活かされ、1ヶ月ほどである程度形にはなりました。時々研究室や家で書くのが嫌になって、RE (ドイツの中距離列車) に乗り込んで論文を書いていたのは良い思い出です。

ちなみに、当時9€ Ticketという超お得チケットがあり、ほぼ無料で電車に乗れました。電車の中はコンセントと机だけで、Wi-Fiもまともに無かったので執筆にガッツリ集中できました。その上、一段落つく頃には別の街についているので、現地でご飯を食べたりリフレッシュも出来るので執筆に最高の環境でした。オススメです。

そして、8月には提出が決まり、10月にディフェンスを終えて修士論文は終わりました。

最終的な修論の成績はB (2.1) で、2年間の留学生活はGut (2.2) という成績に終わりました。日本のGPAで言えばAで卒業したような感じです。あんなに頑張ったのにSehr Gutを取れなかったのは少し悲しいですが、ヨーロッパ随一の大学を無事卒業できただけでも良かったと気持ちを切り替えます。

日本に帰国するまで

第3セメスターから卒業までの間は、Covid-19の規制が緩くなったのもあったので時々旅行に行っていました。

【ドイツ】
・ハイデルベルク         ・ゲッティンゲン
・フライブルク             ・テュービンゲン
・ゲンゲンバッハ          ・ミュンヘン
・フランクフルト
【ドイツ以外】
・パリ (フランス)           ・ストラスブール (フランス)
・ボローニャ (イタリア) ・ミラノ (イタリア)
・クラクフ (ポーランド)

数だけは多いですが、基本的にご近所です。お金も無かったのでFlixbusや格安航空券を使ってなんとか旅行に行けました。それぞれの旅行先で1つずつ記事が作れるレベルなので、また時間が出来たときに書いていきたいと思います。

また、この中だとクラクフとボローニャが特に良かったです。地元の人達がとてもウェルカムですし、なによりご飯が美味しい!!物価もお手頃なので、貧乏学生には最高の旅行先でした。

そして、日本に帰るチケットは8月30日で予約しました。長い長い留学生活も、これでやっと終わりです。

帰国

フラットメイトの2人、家主さんご夫妻、ご近所の方々、大学の友人達に分かれを告げ、ドイツを発ちました。


バスでフランクフルト空港に向かい、シャルル・ド・ゴール空港を経由して地元の中部国際空港に飛びました。長いフライトも、2年間の疲れか寝っぱなしでした。

成田に到着してもまだ夢の中のようで、現実感が全くなかったです。凄く長い映画を見た後のような感じでした。家に帰ったら2年の間に親は少し老けていて、弟は私の背丈を超すぐらい成長していました。

その後は免許を更新したり、うな重を食べたり、地元の友達とご飯に行ったりしていたら、一気に日本の感覚を取り戻せました。

そして、2022年9月からは東京に引っ越し、研究者として働き始めました。記事を執筆している時点では入社6ヶ月目になります。慣れない環境で色々と大変ですが、良い先輩たちに恵まれて上手くやっていけてます。

また、会社の研究所はドイツのTrierに本拠地があり、数年後には私も異動でドイツに戻ることが出来そうです。それまでの間に、日本をできる限り堪能しておこうと思います。

これからも旅行に行ったり、素敵な出会いがあったら、Noteを更新していこうと思います。今後ともよろしくお願いします。

※2021年11月~2022年9月分

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