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2022年柏駅西口

生体と同じように、街も新陳代謝をしている。

久しぶりに柏へ行ったら、かつて通っていた喫茶店「うらら」が日高屋になっていた。「うらら」は西口の角にある食券式の店で、朝行くと350円でモーニングセットが食べられる。とりわけ金がない学生時代の私にとって、コーヒーに厚切りのトーストとゆで卵まで食べられるのはありがたかった。

「うらら」の代わりというわけでもないだろうが、日高屋の近くにはエクセルシオールができていた。開店して間もないのか、店舗は狭いながらも真新しく小綺麗だ。駅が近いからか、店の前を通るとOLやサラリーマンが列をなしているのが見える。コロナ禍ということもあってか、テイクアウトを選ぶ客が多い。店へ入る客の割に店内の席は空いていた。

コーヒーを飲みたかったので軽食と一緒に注文し、端の丸テーブルへ腰かけた。ふとした瞬間にとある後輩による一節が浮かんでしまい、マスクの下に思い出し笑いを浮かべる。

エモセルシオールでエモーヒー。

文章を発信するという特性からなのか、当時Twitterというツールにのめり込む人間は多かれ少なかれ自分の人生に思うところがあるようだった。私はタイムラインで息を吐き、彼らの呼吸を感じた。

マックでコーヒーを片手に、人類学の話を1時間続けた男。ファミリーマートでバイトしているくせに、おすすめを聞くと「セブンイレブンの方が美味い」と言っていた男。御茶ノ水で戦争のような恋をした男。彼らの呼吸にシンパシーを感じては、そっと星ボタンを押した。

私は人の顔を覚えるのが苦手だ。タイムラインの住人とは数回しか会ったことがなく、その顔は記憶の中でうっすらぼやけている。仮にいま道端で彼らと再会しても気づかないだろう。しかし生活のふとした瞬間に記憶の断片を発見することがある。

運河のマック、竹泉、ファミリーマート。

エクセルシオール、御茶ノ水、アメリカンスピリット。

彼らともう会わないとしても記憶の断片は残り、生活のさなかにそれを見つけると懐かしい気持ちになる。

街と同じように、人との関係も新陳代謝をしている。

大学の友人とはほとんど連絡をとらなくなり、Twitterも更新しなくなった。かつて食事を共にした後輩が何をしているかもよく知らない。恐らく彼らと会う機会はもうないだろう。それでもタイムラインで彼らの呼吸を聞くと、彼らとひと時を過ごしたことをぼんやりと思い出す。彼らがみな、元気で生きていることを願う。

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