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201906_魔のお宮参り



我が家では、主に相手をイライラさせたい時に「なるほど」とは言わずに「なるほじっち」と言うことがあります。

育休で大人2人がずっと一緒にいると、単純に気が狂ってきます。
話ができる大人がいても閉鎖的な環境では気が狂ってくるのですから、これが大人1人だったら、それはもう相当辛いはずです。
ずっと家にいると、ニュースで幼い子供の事件などたくさん見ますが、全く他人事とは思えなくなりました。特に、親が子に手を出す事件。気を抜けば自分だっていつ間違いを犯してもおかしくない。
もし自分がワンオペで、産後の心の乱れなどでうまく周囲に頼ることができず、相手からの協力も得られず、疲れ切っているところで子供が泣き止まなかったら...。
子育てというのは、同時に過酷な親育てでもある、ということが分かってきた気がします。

気狂わぬ打開策の1つが、この「なるほじっち」ということになります。
日常を楽しく、シュガー&スパイス。
語源は謎にハリルホジッチ監督です。
慣れないと心からイラッとしますが、慣れてくると全く不快に思わなくなってしまい、街中でもつい言ってしまうようになり、そうなると他人から引いた目で見られるようになります。
慣れとは恐ろしいものです。茹でられていることにも気づけないものです。


お宮参りとは、
生まれて1ヶ月くらい経った頃に、神社とかにお参りに行き、
「この子が健康に育ちますように」
と願い、ちょいと家族同士、あまり集まる機会もなし、軽食でもいたしましょうか、という行事。

退院して以降の外出は数回ほど、勇気を出して近所にお散歩に出かけたレベルの我が家。
なんて貧弱なんだ。

そんな私たちに、神社までの長距離の外出(電車で30分ほど)ができるのだろうか。
今の私たちにとって、これ以上恐ろしいことは無い。

「...ロケハン、しよう。」
嫁様は静かに、しかし力強く呟いた。
電話でも諸々の予約はできるが、せっかくなので練習も兼ねて神社まで予約しに行ってみようというのだ。
確かに、いつかは外の世界に飛び込まないといけない。
私たちは愛娘なっちゃんをスペシャルな抱っこヒモ「コニー」にしまい、出かけた。

グニャグニャしたなっちゃんがハンモックみたいのに入って寝てくれている。
お願いだ、そのままずっと寝ていてくれ。
この頃の私は、公共の場でただただギャン泣きしないことを祈るばかりのまだまだ尻ケツ青太郎だった。

公共の場で赤子に泣かれることに慣れていない私たちは、それが恐怖でしかなかった。
よく電車やお店などで子供がギャン泣きしているのを見て「大変そうだなぁ」だったのが、もう傍観者ではないのだ。当事者なのだ。こんなに不安と罪悪感に駆られるものなのか。
今まで大変さを分かってあげられませんでした、ごめんなさい。

なっちゃんも比較的寝続けてくれたお陰もあり、ロケハンは無事に終えることができた。
ちょいと外出するにも、この有り様だ。
子供を前にすると、親なんて無力なものだ。
そんな感じで私は育児を通して着々と優しく、そして弱々しくなっていく。

お宮参り当日。
実家から両親がやってくる。
自営業なのだが、休みを取って来てくれたのだ。ありがとう。
両家が久しぶりに集まる。
話すことは無い。そんなものだ。
こういう時に、子供の存在は鎹だと思う。
子供がいるだけで言葉は必要なくなる。
子は森羅万象における鎹な気がする。

神社の人にシャンシャンしてもらい、会食をして帰る。
記念写真を撮るが、なっちゃんはそれはもう泣き続け、全然うまくは終わらない。
疲れた。
各両親もそれぞれの家に帰っていく。
恐ろしいほどにあっという間に終えた一日。
少しずつ少しずつ、家族一緒に成長していくのだろう。
こうして、何のことはない初神社参拝は終始、夫婦冷や汗まみれに終わったのだった。


◆本日の1冊◆
「ママと赤ちゃんのぐっすり本」
発:2018年6月13日
著:愛波 文
これも、どうやらこの本が良いらしいということで読んでみることに。図書館には意外と何でも揃っている。素晴らしい。
子どもの睡眠コンサルタント業が存在することに驚きます。日本人は子育ても真面目で我慢しがちらしいです。良かれと思ってしていることが、実は子供にとっては悪影響を与えていることがこんなにあるとは。とにかく勉強になります。子育てに正解は無くても、科学的に証明されていることは知っていて損はない。睡眠土台の見直し、早期のセルフねんねの確立、そしてオムツ無し育児にも力を入れていきたいところです。

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