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彼方への扉『放課後のプレアデス』感想補足解説パート10(第11話)

 前回(第10話)はこちら

 最初にdアニメストアで『放課後のプレアデス』を見たときは、第8話が一番が好きなエピソードでした。
 いまではこの第11話が一番好きです。
 と言うよりも、当時は自覚がなかっただけで最初から第11話が一番好きだったのかもしれません。


第11話 最後の光と彼の名前

『放課後のプレアデス』11話。ななこが動くきっかけを作って皆を引っ張ったり、それに呼応した皆が動きはじめることで、すばるも一人でプラネタリウムをやりきる。この流れを別途に見せながら、すばるの両親が娘の成長を実感する言葉で時間の流れとその間に培ったものが確かにあると感じさせる。
同時にすばるにとっては会長の言葉を裏付けでもあって「変われていない」のではなく変わってしまったことを実感するのだけど、変わった自分を受け止めきれず涙が零れる。合間に入るコスプレ部の文化祭風景が話を重くしすぎないカウンターウエイトになっていてストンと心に落ちてくる。
男子生徒の言葉がみなとが確かにいたことを思い知らされ、雑草だらけの庭から根付いた花を見つけたとき、あおいが別れ際に口にした言葉が生きてくる。銀河を飛び出して立ち往生しかけたとき、あおいの決意表明と本心の吐露とも繋がって変わりたいは前に進みたいとと明示される。
すばるはさらに次の段階へ進むきっかけが必要なのだけど、実はそれこそがみなととの関わりで、元々すばるが持っていたものでもあり、いまの世界に残った痕跡。つまり世界の記憶が鍵になって扉が開く。会長が選び取った最高の一つは、可能性同士が引き合う関係性だったのかもしれない。
2020年7月9日 3:55

 今回は適宜項目を設けつつ、当時の感想を進行順に見ていきます。


すばるが魔法を使えなくなったわけ

 第11話はアバンから巧妙な作りになっていまして、すばるが魔法を使えなくなったことを、「あの、会長さんはどこ?」、「すばるんの目の前だよ。ほら」というわずかなやり取りだけで描いています。

 第1話ですばるとぶつかって──ついでにお尻で踏まれて──跳ね回る会長の姿は非常に印象深いのですが、それは絵としてのコミカルさと合わせて、日常から非日常に変わる境界の役割も担っているからです。
 だからこそ、その会長の姿がすばるに見えないのは、しっくり来る描き方だと思いました。

 すばるが魔法を使えなくきっかけが、第10話の最後でみなとがすばるに掛けた言葉だとわかるも第11話アバンです。

(すばるの回想)
みなと「君は、このままカケラ集めが終わらなければいい、と本当はそう願っているんじゃないのか?」
 
   『放課後のプレアデス』第11話 最後の光と彼の名前

 みなとの言葉は、すばるの本心はどちらなのか? という問いでもあります。
 第10話までのすばるは、「カケラを全部集めたい(終わりがある)」と「ずっとカケラ集めをしていたい(終わりがない)」の間で不確定な立ち位置でいられたのが、みなとの問いかけによってどちらかを選ばざるを得なくなりました。
 そうした意味では、これも魔法と言えるのかもしれません。
 魔法を打ち消してしまう魔法ですね。

 ただ、すばるにとっては言葉の意味よりも、みなとがこの言葉を残して消えてしまった、という事実が大きく作用していると思います。
 理屈(論理)よりも感情(気持ち)からの影響が強い、という意味です。

会長「可能性の確定しない者、何者でもない者達だけが魔法を使えるんだ。魔法を使えなくなってしまったのはすばるが何者かになってしまった、からかもしれない。一度選んだ道は後戻りできないし、失った可能性は二度と戻らない」
ひかる「なんでそんな不吉なこと言うんだよ!」
あおい「じゃあカケラ集めは、これからどうなるんだ? ずっと五人でやってきたのにすばるなしなんてっ……」
 
   『放課後のプレアデス』 第11話 最後の光と彼の名前

 会長の言う「何者か」に当てはめると、すばるは「変われない自分」になったのだと思います。
 みなとの喪失から生じた「(私は)変われていない」という思いが強すぎて、「変われる(変わっていく)」自分が思い描けなくなってしまったということです。

 そのカケラ集めですが、最初は会長(宇宙人)のために解決する問題だったのが、いつの間にかすばる達自身が解決したい問題に変わってきていることが、ひかるの反応やあおいの発言からも窺えます。
 いつの間にか他人事ではなくなっていたのですね。


>ななこが動くきっかけを作って

ななこ「コスプレ研究か~い。ふぁい・お~!」
 あっけにとられる一同。
あおい「コスプレ研究会、ふぁい・おー!」
ひかる「あおい?」
あおい「やろう。文化祭!」
いつき「でも──」
ななこ「今年の文化祭は一度だけ。二度とは、ないから」
あおい「そうだな。……いやー待てよ。ななこは一度目だけど私達は」
ななこ「せっかく準備したんだし、みんなで文化祭したい」
 
   『放課後のプレアデス』 第11話 最後の光と彼の名前

 ななこは、会長の通訳役ということもあって、行動方針が決まってから全体をフォローすることが多い立場でした。あるいは自らその位置づけを選んでいる節もあって、実際そういう役回りが似合っているところもあります。
 
 ゆえに、ななこが柄にもなく声を上げて流れを変えるのは、意外であると同時に説得力があります。
 続いて同調するあおいも、ななこの気持ちを察したような間を挟んで自分を奮い立たせる心の動きが感じ取れます。

 立ち止まっていても時間は進んでいきますし、それまで過ごしてきた時間はいまに繋がっていますから、「楽しめることがあるなら楽しんだ方がいい」という第1話から繰り返し描かれてきたすばる達の前向きさが表れているシーンです。


>変わった自分を受け止めきれず涙が零れる。

すばる「ちゃんと星のこと伝わったかな?」
すばる父「そりゃあもうすっごく良くわかったぞ。俺の知らないうちにすばるも変わってるんだなーって」
 すばるは言葉に詰まり涙を零す。驚く両親。
すばる母「どうしたの、すばる!?」
すばる父「父さん、何か悪いこと言ったか?」
すばる(OFF)「違うの。私、ちっとも変われてないの」
 
   『放課後のプレアデス』 第11話 最後の光と彼の名前

 第1話でのすばるは流星観測会を開くのに誰も集められなくて(集まらなくて)1人きりだったのに対して、第11話の文化祭で開いたプラネタリウムは大盛況でした。

 すばるの父親は娘が積極的になっている(人を集められる=成長している)のを感じて「変わった」と言ったのでしょうが、いまのすばるには「変わった」という言葉自体が胸に刺さってしまうのですね。

 また、これまでは「変わりたい」や「変われるかな?」という風に、なんとなく未来を見ていたすばるが、過去の出来事に捕らわれてしまっていることが「違うの。私、ちっとも変われてないの」というひと言に集約されているとも思います。


登場人物の変化と背景世界の変化

すばる「いちご牛乳、なくなっちゃたんだ……」
 
   『放課後のプレアデス』 第11話 最後の光と彼の名前

 文化祭の終わりは雨。天気に続いて落ち込んだすばるに追い討ちかけるように、自動販売機のいちご牛乳がバナナ・オーレに変わっています。
 すばる自身が好きな飲み物ということもありますが、あおいやみなととの思い出と結びついているため、この変化は大きな意味を持ちます。

 巧妙なのは、この直前に流星予報のシーンがあるところです。

 あおい、いつき、ひかる、ななこは察して部室に集まるのですが、すばるは来ないのですね。
 すばるが魔法を使えなくなった裏付けであると同時に、この後にいちご牛乳がバナナ・オーレに変わっていることを確認するため、その意味合いが強くなります。

 そもそも、いますばる達のいる世界自体が、複数の運命線が重なり合った世界ですので、脈絡のない変化は──たとえ考えようによっては有り得ることでも──その世界に深く関わる人物(すばる、あおい、いつき、ひかる、ななこ、みなと)にとって、何かが起きるサインになるからです。


>カウンターウエイト

 重心が移動したときに釣り合いが取れるように載せるおもりのことです。
 エレベーターシャフトに配置されたおもりが身近な例でしょうか。

 ここでは、気持ちが沈むような重さに対して、それを打ち消すほどの強さ(重み)を持つ要素、といった意味合いで使っています。

 当時なぜ「カウンターウエイト」という言葉を用いたのか自分でも疑問だったのですが、いま第11話を見てみると、すばるが「私、ちっとも変われていないの」と泣くシーンは結構心に来るのです。
 これに対する救いというか沈んだ気持ちを引き上げる要素がすばるにも視聴者にも必要なのですが、それこそが東屋のシーンでした。

すばる「雨、止むといいね」
あおい「最後のカケラは、すごく遠いところにあるんだって。でも、私達はきっとカケラを手に入れて戻ってくるよ」
すばる「うん、信じてる」
あおい「私だって信じてる」
すばる「えっ?」
あおい「会長がどう言ったって……。すばるは、変われるって!」
 
   『放課後のプレアデス』 第11話 最後の光と彼の名前

 『放課後のプレアデス』屈指の名シーンとして知られる東屋のシーンですが、あおい「すばるは変われるって!」という言葉が強く響くのは、すばるの「私、ちっとも変われていない」という言葉を打ち消すからなのですね。

 この東屋のシーンはAパートの最後なのですが、すばるが振り返るカットで──雨が上がることもあって──それまでずっと物語の背後にあった影がぱっと消えます。

 あおいの真っ直ぐな気持ちの強さもありますが、すばるの周りには信じて支えてくれる人達がいることを再確認できるからです。
 同時に、すばる自身もまた誰かにとって(例えばあおいにとって)、信じて支えてくれた人間だとあおいを通して伝わってくるからでもあります。


男子生徒の言葉と花壇の花

 Bパートの最初ですばるが荒れた花壇を見ていると、第7話でみなとと一緒にいた男子生徒に声を掛けられます。

すばる「雑草だらけ……。ついこの間までお世話してたのに。はじめから無かったことになってるんだ……」
男子生徒「よう、くせっ毛。今日は1人かよ?」
すばる「んえ!?」
男子生徒「よう」
 すばる、虚を突かれたように相手を見上げる。
男子生徒「ほら、よくここであいつといたろ?」
すばる「『あいつ』って……?」
男子生徒「ほら、うちのクラスのさあ……いつもぼやっとしたあいつだよ。えっと……。あれ? おっかしいな、名前が出てこない」
 
   『放課後のプレアデス』 第11話 最後の光と彼の名前

 彼の言葉から自分以外の人にも、みなとがここにいたことを覚えられていたと察したすばるは、すぐ雑草を掻き分けて花壇を探り、そこに根付いた花を見つけます。
 
 すばるがみなとと過ごした時間がなかったことになっていない、といまここで咲いている花から知るシーンなのですが、感想に割り当てている分量からして、当時はかなり注目していたようです。

 学校でのみなとは、第7話で例の男子生徒に声を掛けられたり第8話の最後で花壇に水やりをしているカットがあったり、すばるとの関係を抜きにしても生徒として同じ世界にいることが描かれていました。

 このシーンは、『放課後のプレアデス』の作風を端的に表しています。
 それぞれ、存在の痕跡(花壇の花)と自分以外の誰かからその人がいたことを知らされることによって、ジュブナイルSFという独特の作風が生まれています。
 一見、絵空事のようでも物語自体で見ると、ちゃんと前提があって筋が通っており、その論理が登場人物の感情とリンクしているからです。

 花を見付けたことによって、立ち止まっていたすばるが動き出す──物語が動き出す──きっかけになることも当時このシーンに注目した理由でしょう。
 砕けた言い方をすれば、地味だけど非常にエモい展開なのです。


>あおい、いつき、ひかる、ななこの意思表明

 4人が光の速さを超えてジャンプしていって、たくさんの銀河が集まって網のように見えるほどの宇宙──会長が言うには「差し渡し20万光年に渡って僕達以外全くなにもない空間」──にまで到達したとき、カケラがそれ以上に加速しているらしいとわかります。
 会長は「追いつける保証はない」と判断して、「引き返そう」と言います。
 あおい達は、宇宙船が実体化する危機が遠い未来に先延ばしされるだけと知って反対するのですが……。

会長「魔法の力を得たことで、いまこの宇宙は君達に少しだけ都合良く運行されている。これまで君達の望みは多かれ少なかれ現実になってきただろう?」
あおい「それが全部魔法のお陰ってこと……」
会長「この宇宙でカケラを集めきることができないのだとしたら、それは君達自身がそれを望んでいない……ということでもある。君達が心の奥底ではこの宇宙に居続けたいと願っている……とも言えるかな」
 
   『放課後のプレアデス』 第11話 最後の光と彼の名前

 第10話でみなとがすばるに投げかけた言葉と同じく、あおい達4人の本心を問う言葉になっています。そして、この言葉によって、あおい達4人もすばると同じ立場に立たされることになります。
 異なるのは、反論できる相手が消えず目の前にいることと、なにより1人ではないことです。

あおい「私は行くよ。地球を発つとき決めたんだ、カケラを手に入れて必ず帰るって。すばるが、信じて待ってくれているから!」
ななこ「私も行く。もう決めたことだから」
ひかる「この宇宙のお陰なんかじゃない。全部、私達が自分の意思と自分の力でやったことだよ」
いつき「それに、いま諦めたら私達変われないもの」
 
   『放課後のプレアデス』 第11話 最後の光と彼の名前

 あおい、ななこ、ひかる、いつきはそれぞれの言葉で、カケラ集めはもう会長(宇宙人)の問題ではなく自分達の問題だと先に進むことを選びます。
 同時にそれによって「カケラ集めに終わりがあるのか、ないのか?」という不確定な状態から、「カケラを集めきることができるかもしれないし、できないかもしれない」という不確定な状態に変わります。
 その時、流星予報でも探知できなかった最後のカケラの光を4人が見付けて、会長を驚かせます。

会長「まさか!? カケラが見えるのか? 君達に賭けて良いのか……」
あおい「会長」
 会長があおいの方を見る。
あおい「私達、確かにずっとこのまま魔法使いでいられたらって思ったこともあるよ。だけど私達、変わりたいから魔法使いになったんだ。このままじゃ終われないよ!」
  
   『放課後のプレアデス』 第11話 最後の光と彼の名前

 あおいがここまではっきりと「このままじゃ終われないよ!」と言えたのは、いつき、ひかる、ななこがそばにいたことが大きいでしょうし、すばるへの思いがあったからでしょう。

 この様に『放課後のプレアデス』は、物語の進行に登場人物の意志と人間関係が反映されています。
 そして、人間関係はその場に居合わせている人々だけで成り立つものではなく、これまでとこれからも引っくるめて自分と関わり合っていくものと示したシーンでもあると思います。


>すばるがさらに次の段階へ進むきっかけ

 すばるは花壇に根付いた花に勇気づけられて、何かを決意した表情で自販機の前に立つのですけれど、Aパートとは違ってバナナ・オーレ(商品見本)になっているのを見てから買います。そうしたら、取り出し口からいちご牛乳が出てきて、驚きつつも凄く嬉しそうな顔をします。

 花壇の花からみなとのことを考えているのはわかるのですが、消えてしまった彼ともう一度会おうという決意だとわかるのは、いちご牛乳を手にして展望室の前に立つ、という出来事の積み重ねからなのですよね。

 面白いのは、バナナ・オーレが売っているとわかっていて買ったら、いちご牛乳が出てくるところでして、ただの偶然ともすばるが引き寄せた運(運命の「運」、運命線の「運」)なのか、はっきりしないところです。

 会長があおい達に言っていたように「魔法の力を得たことで、いまこの宇宙は君達に少しだけ都合良く運行されている」ので、世界が変わり始めているともすばるが変わり始めているとも捉えられます。

 そして、そのどちらであっても変わる兆しであることには間違いなくて、重要なのはすばるがいちご牛乳を見て、希望を抱けるかどうかってことだと思います。

 自分の身に起きた物事をどう捉えるかは結局その人次第ですから、仮にここで当たり前にバナナ・オーレが出てきても、このすばるなら前に進めそうな気がします。
 そういうすばるがいちご牛乳を手にすることで、その行く末にも希望が見えますし、なにより表現として優しいです。


>世界の記憶が鍵になって扉が開く

 すばるがみなとにもう一度会おうとして展望室の扉を開け閉めするのですが、何も変わらず、三回目で中に入って置きっぱなしだった柱時計にもたれて、いちご牛乳を一口に飲んで「ダメかあ……」と天井を仰ぎ見ます。
 そう都合良くはいかない、とすばる自身もわかっているのが表情や仕草から窺えます。

 そんなすばるの視界に、天文部の文化祭展示で使ったプラネタリウムの投影機が映ります。最初からそこにあった物なのですが、すばるはいまはじめて気付いたように、スイッチを入れて夕焼けの展望室の星空を投影します。

すばる「私、みなと君のこと……何にも知らないんだな」
 
    『放課後のプレアデス』 第11話 最後の光と彼の名前

 すばるはみなと一緒に作った星空を見ながら、子供の頃にみなとの病室で星を交換したことを思い出します。
 
 幼いすばるは病室に飾ってもらおうと思って折り紙で作った星を持ってきていたのですが、目の前に広がる本物の星空に圧倒されて「これじゃ全然見えないね」としゅんとしてしまいました。
 すると、幼いみなとが「僕は、この星好きだな」と言って、星(キラキラ=可能性の結晶)を一つ引き寄せると「この僕の星と交換しよう」と言ってくれました。

 すばるの思い出が回想シーンで描かれるのですが、この星空は文化祭の準備中にみなとが見せてくれた宇宙と重なる2人だけの思い出なのですね。
 そして、いままさにすばるが見ている星空も、最初の試写はみなとと見た2人だけの思い出があるのです。

 すばるが投影機のスイッチを入れるのは、思い出をなぞる、情景を再現することになります。
 温室にあった花が花壇に根付いていたように、2人の思い出は展望室という場所に刻まれていて、その思い出が2人を結びつけるのだと思います。
 
 世界の記憶という言葉は、おおよそこの様な意味合いで用いました。


すばるとみなとの再会

すばる(OFF)「不思議な星。大切にしてたはずなのに……」
 ------すばるの回想(ここまで)------
すばる「本当にいなくなっちゃったの? みなと君……」
 
   『放課後のプレアデス』 第11話 最後の光と彼の名前

 すばるは展望室の外に気配(かすかな音)を感じて外に出ます。そこには何も無いのですが、直後に展望室の扉が勝手に閉まって、すばるが驚きつつも意を決してもう一度扉を開けると、みなとの病室に繋がります。
 繋がる条件がちゃんとあって、それが偶然の重なりだとしても、そうなる理由が物語に散りばめられているのがわかるところです。

 第1話の記事でも書きましたが、展望室の入り口が引き戸なのが良いのです。引き戸だと開け閉めだけでは中に入らず、戸を開けて中に入るときに敷居をまたぐかたちになるのが、境界を越える意味を持つからです。
 朝と夜、現実と幻想、有と無、そして生と死。本来は決して交わることのないものの境界です。

 すばるはもう魔法──病室に残った可能性の結晶(第10話)──のヴェールに包まれていない、ありのままのみなとの姿を目の当たりにします。
 本当の意味で、すばるとみなとが7年ぶりに再会できた瞬間でもあると思います。

 2人だけの思い出がすばるとみなとを結びつけたと示すように、病室で眠るみなとの手元に幼いすばるが作った折り紙の星があります。
 それをすばるが見付けたとき、彼女の中から幼いみなとからもらった星が表れて、後に会長が言う「全く新しい魔法」が発動します。

 すばるがみなとから受け取った不思議な星(可能性の結晶)と、みなとがすばるから受け取った折り紙の星が、等しく魔法を発動させる鍵になるのは、運命線が重なり合った世界が価値観の相違を許容しているためだと思います。

 言い換えますと、自分にとって価値のない物でも他の誰かにとっては価値がある物になる、という多様性の許容です。

 こうした見方は当初から描かれていまして、第1話で2人が出会ったとき、割れてしまったすばるの望遠鏡のプロテクターフィルターをみなとが「綺麗だね」と興味深げに見つめるシーンがあります。
 続く第2話では、みなとが「忘れ物」と差し出した割れたプロテクターフィルターをすばるは「それあげます」と譲っています。顔をほころばせて喜ぶみなとが印象的でした。
 すばるにとっては、もう役に立たない壊れたプロテクターフィルターでも、みなとにとっては「きらきら光って綺麗なもの」なのですね。


>会長が選び取った最高の一つ

みなと「いまのが本当の僕だ。選ばないんじゃなくて、選ぶ可能性すらはじめから失われている」
すばる「だから、みなと君はカケラを集めてるんだね」
みなと「そうだ。そして、僕はこの世界から消える」
すばる「じゃあ。私は何度でもみなと君の扉を開ける!」
  みなとは驚く。そして、困ったように笑う。
 (中略)
みなと「すばるはすばるのいるべきところへ。僕は僕、君は君だ!」
すばる「みなと君!」
 
   『放課後のプレアデス』 第11話 最後の光と彼の名前

 すばるは、みなとの置かれた状態を知って、思い出にあるようなやり取りができるようになるのは難しいとわかっていながら、それでも「扉を開ける(現実のみなとと向き合う)」と言うのですね。

 だから、みなとはすばるの言葉を否定せず、それはそれとして受け容れたのだと思います。そんなとき、あおい達4人がジャンプしてきて、舞台は宇宙空間に切り替わります。

 みなともあおい達と鉢合わせすることで、この世界には自分のことを諦めないすばるがいて、そのすばるの仲間がいて、自分がいる、と否応なく確認することになっていると思います。
 みなとにとっては、この世界における自分のあり方を見直すきっかけにもなっていて、次の最終話に繋がる道が見えるところです。

 第3話で会長は「知覚しうる限りダントツの一番を選んだはずなのに、君達が五人も現れたのは大きな誤算」と言っていましたが、この状態こそが「ダントツの一番」を選べた結果なのだとしたら、それはいまこの宇宙にいる六人(可能性を持つ者)が揃うことで成り立つ関係性なのではないか、と思いました。

 当時といまで違うのは、五人ではなく六人というところです。
 すばるを通してみなとも含まれていたのではないか、という見方になったくらいで、根本的なところは変わっていません。


 最初に書いたように第11話は一番好きなエピソードなのですが、それを差し引いても含まれている要素が多く、第8話と並ぶ長大な記事になってしまいました。
 過去に凝縮した言葉を紐解いていく感がありました。

 次回は第12話。
 ついに最終話です。


 つづく。



※今回のヘッダー画像は、Mitaka(Ver.1.6.0b)で描画した2015年11月12日の銀河系を中心に百億光年の位置から見た宇宙です。




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