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いつかまた放課後で『放課後のプレアデス』感想補足解説パート11(第12話)

 前回(第11話)はこちら

 2020年8月末から始めたこの連載ですが、年をまたいで気付けば5ヶ月が経っていました。
 当初はパート1のように、当時の感想から適宜引用して補足解説を書き加える程度に留めるはずだったのですが、パート3(第4話)から内容について一歩踏み込んで書くいまの形式になりました。

第12話 渚にて

『放課後のプレアデス』最終12話と総括。いやもう圧倒されて一瞬言葉を失いました。最終2話は間を置いていられない展開で、もう完璧な終わりなのにラストシーンの先に、すばる達のこれからが存在して様々な可能性があるとが示唆されていてどうしよう?って感じです。
カケラ集めや魔法といったきっかけがあったとはいえ、実際に考えて行動して選んできたのは自分自身で、何より側に仲間がいたから、大切な友達ができたから。運命線をより合わせた時間軸は12話ラストの現在とは違うけれど、違うからこそ何度も見られる作りになっていてすごいなぁと思いました。
その魔法にしても11話で会長が「魔法じゃない」と言うとおり、比喩以上の意味で魔法はないのですな。
どうしてこうなるの? という疑問に対してこじつけだろうが屁理屈だろうが、回答できるのがSFの一側面だと思っているのですが、そういう意味でも最後までやり遂げていると思うのです。
自分が自分であることの葛藤や他者との関係性から物語が発生するジュブナイルの性質を備え、大元にあるサイエンスな構造を魔法というフィクションで装幀したSFであり、見方や捉え方によって変わることはあっても、本質は変わらない。いまここにいることを感じさせる星空みたいな作品でした。
2020年7月9日 4:05

 当時の感想を元に項目を設けて、この連載の総括として書いていきます。


感想の変化

 SFや天文知識に関わる要素が物語と密接に関わる第8話は例外としても、第1話~第7話まではそうした細かい部分に反応したりそこから連想した事柄を書いたりしているのですが、第12話の感想は物語の展開や登場人物に注目しています。

 第12話は、ブラックホールが出てくるため、重力レンズ、シュワルツシルト境界面、事象の地平線(イベント・ホライズン)、ホーキング放射などの天体現象と、プレアデス星人の宇宙船という大物メカが出てきます。

 根っからのメカ好きですので、まず宇宙船に反応するはずなのですが、当時の感想では一切触れていません。

 『放課後のプレアデス』が登場人物を掘り下げていくシリーズ構成になっていることもありますが、それだけ見ている方を惹きつける力が登場人物にあったからだと思います。


SUBARU×GAINAXの解

 アートワークスにある通り「SUBARUのマークのイメージで」という発注を受けてデザインされたことが見てわかるシルエットなのですが、中央の第1船体(便宜上)を左右から馬蹄のように挟み込む第2船体が前方に伸びている構造は、船と言うより飛行機を連想しました。
 より正確に言えば、宇宙戦闘機(もちろん架空)で、シューティングゲームの自機のような印象があります。

 巨大感のあるデザインですし、実際画面で見ても迫力満点でしたが、スピード感のあるラインを兼ね備えています。

 しかしながらこの宇宙船は、会長が言うように「壊れっぱなしさ!」という状態ですので、ブラックホールの向こうの宇宙へ行こうとしている最後のカケラをこちら側の宇宙へ引き戻すために空間を維持する役割を担うことになります。

 宇宙船を移動手段としてではなく容れ物として使うことは、『放課後のプレアデス』のコンセプトと関係がありそうです。

 SUBARUとその前身である中島飛行機をどう捉えているかにもよるのですが、どちらも根本的には発動機(エンジン)の会社なのです。

 宇宙船で漂着した宇宙人が出てきて、その宇宙船が最終話まで出てこないアニメって結構秀逸です。

 その代わり、宇宙船のエンジン(のカケラ)は、最初から最後まで出てきますし、物語のキーアイテムとして作用しています。

 これこそがSUBARU×GAINAXの解であり、『放課後のプレアデス』は容れ物(宇宙船)よりも動力源(エンジン)に焦点を当てることで、エンジンのカケラを扱う登場人物を掘り下げられたのだと思いますし、ギミック的な部分では魔法使いとして飛ぶためのドライブシャフトにSUBARU車に搭載されたエンジンの音を合わせることができたのだと思います。

 メカがほとんど出てこないにもかかわらず、これほどにメカの存在感があるのは、作品の根底にメカが織り込まれているからではないでしょうか。


私になるということ

 当時の感想では「最終2話は間を置いていられない展開」と書いていますが、『放課後のプレアデス』は途中から見ても前後の繋がりがわかる作りになっています。
 続く要素を含めつつもオムニバス(1話完結)で見られるエピソードだったり、前話までの展開を踏まえた内容をアバンで描いたり、というように、途中から視聴しても後を追いやすい作りになっていると思います。

 第12話にしても、ジャンプアウトして果ての宇宙にすばる達5人が現れるシーンから、ちゃんとこれまでの展開を踏まえていることがわかります。

すばる「不思議……星がほとんど見えない宇宙なんて……」
ひかる「もうずっとこんな感じだよ」
いつき「とっても静か」
あおい「しまった!」
 一同、あおいを見る。
あおい「部室、そのままにしてきちゃったけど、どうなるんだ?」
ひかる「さぁね。どーなることやら」
会長「次だ! カケラの加速が止まった。次のジャンプが恐らく最後になるだろう」
 
   『放課後のプレアデス』 第12話 渚にて

 この何気ない会話は、『放課後のプレアデス』の視点があくまでも13歳で、中学1年生の、すばる達だと確認する何気に重要なシーンです。

 最後のカケラを無事回収した後、からまった運命線がほどかれたすばる達は、原初の地球という全ての発端──ここからなら無限の可能性がある、何にでもなれる始まりの場所──から、新たな始まりを選ぶことになるからです。

すばる「無限の可能性なんて壮大すぎてわからない」
いつき「想像できるのは、自分とそんなに変わらない女の子」
あおい「なんの変哲もないありふれた女の子」
 (中略)
すばる「みんなをうらやましく思うのはきっと、困ったとき落ち込んだときたくさん助けてもらったから」
いつき「完璧な誰かになりたい、ってことじゃなくて」
ひかる「みんなが、みんなだったから」
ななこ「私が、私だったから」
あおい「一緒にいられたあの時間」
すばる「だったら、私は私がいい。そしてその時そばにいる人の綺麗なところ良いところをたくさん見付けてあげたい」
5人「私は、私になる」
 
   『放課後のプレアデス』 第12話 渚にて

 見る人によって心に響く言葉が変わってくると思いますが、私はいつきの「想像できるのは、自分とそんなに変わらない女の子」という言葉が強く印象に残っています。

 仲間の誰かに対してうらやましく思うところはあって、それを含めて思い描いた自分の姿は、いまの自分とそんなに変わらない、というのは自分と相手その両方をちゃんと見ることができている証拠です。

 理想像を描いたときに、その想像が自分と自分と同い年の相手の範囲を超えていないということであり、実はとても現実的な考え方なのです。

 たとえ、いまの自分より優れていると感じる部分を持ってやり直すことができたとしても、今度はきっと別のところが気になるでしょうし、同じように今度は別の良いところをうらやましく思うようになる(良いところを見付けられるようになれる)から、「私は私がいい」のです。

 近しい他者との関係において自分を相対化することで、あらためて自分を確立することでもあり、そこからさらに「私から私になる」と自分が変わっていくことを受け容れて、その変化に希望を持つ意味合いもあるでしょう。

 誰かを大切に思うことで自分を見返すことになって、誰かの好きなところを見付けることでその誰かと一緒にいる自分を認められるということでもあります。
 これまで「変わりたい。変われるかな?」と言葉にされてきた変わることが、私を好きになれる私になっていくことだと気付けるようになったとも言えます。

 そこまで辿り着けたのは、みんながいたからがであって、自分だけでも相手だけでも「私」にはなれない、ってことだと思います。


みなとの可能性

 会長はいまある12個のカケラの力を合わせて、ブラックホールの向こう側に去ろうとする最後のカケラをこちら側の宇宙に引き戻そうとします。
 すばる、あおい、いつき、ひかる、ななこ、がそれぞれ2個ずつ結合させて、より強い力を持つ5個のカケラができるのですが、会長は失敗して目を回してしまいます。

会長「やはり僕には君達のような力はないんだ~」
ななこ「もう1人いれば」
ひかる「無理だろ~絶対」
すばる「あ!」
 
すばる(OFF)「最後のカケラがここにあるならきっと……!?」
 
あおい「すばる?」
すばる「みなと君!」
あおい「あいつ……」
すばる「私、連れてくる!」
あおい「あっ! すばる!」
 
   『放課後のプレアデス』 第12話 渚にて

 すばるが「みなとなら自分達と同じようにカケラの力を扱える」と思い至ったのは、第10話でみなとが謎の少年だったと知ったからであり、即座にその姿を探したのは、第11話で自分と同じように再び変身してこの宇宙にいることがわかっているからです。

 話の流れとしては自然なのですが、本当にみなとがすばる達と同じ「可能性の確定しない。何者でもない者(第11話)」なのかは語られていません。

 語られていませんが、第10話から第12話で繰り返し描かれてはいます。

すばる「みなと君、私達に協力して! みなと君の力が必要なの!」
みなと「協力? 僕はまだ自分の目的を諦めたわけじゃない」
すばる「カケラ一つも持たないでどうするつもりなの? このままじゃ落っこちちゃうよ!」
みなと「ブラックホールに呑まれてこの宇宙から消え去るというのなら、それも悪くない。僕と同じく何者にもなれなかった星達とこのまま……」
すばる「ダメ! そんなことさせない!」
 
   『放課後のプレアデス』 第12話 渚にて

 みなとは病室で眠り続ける現実の自分に絶望して「この世界から消える(第11話)」と望んでいて、それは自己否定には違いないのですが、自分の存在を完全に否定しているわけではないのです。

 はっきり書いてしまいますと、みなとの「この世界からいなくなる(この宇宙から消える)」という願いは、生の否定ではありません。

 みなとは、いまの自分を呪って存在を否定しても、自分の生(命)までは否定していません。
 彼は生きることを放棄していないのです。
 
 すばる達とは真逆の、言うなれば後ろ向きなどっちつかずなところが不確定性を生み出しています。
 みなともまた可能性が確定していない者だから魔法を使えるのです。

 第10話で幼いみなとが「この世界に可能性がないなら、過去からもう一度可能性を選び直せばいいんだ」と言っていましたが、彼の言う「この世界」とは自分が病室で眠り続けている現在と繋がっている過去のことです。
 世界(宇宙)と言っていますが、みなとは時間の観念でのみ考えていて、過去に戻って病室で眠り続けている現在とは違う現在に行こうとしていたのです。
 
 現在をなかったことにするため過去に戻り、別の現在を導き出すのがみなとの目的であり、SF的に言えばタイムトラベルによる時間改変です。

 時間改変の考え方は、すばる達が原初の地球からやり直すところにも通ずるのですが、前提が大きく異なります。
 すばる達の場合は、現在をあるべきかたちに戻す過程において、結果的に過去からやり直してまた現在に戻るという手順になっています。
 エルナトが「エンジンの力は未来へ向かうためのものだ(第10話)」と言っていたように、すばる達のやり直しは未来へ進むために有り得なかったはずの時間をやり直すのであって、誰もこの現在を否定していません。

 みなとの自己否定には、生のため(生き直すため)に現在の自分を否定するという矛盾があります。
 この矛盾を突いたのがすばるのひと言でした。

みなと「すばる……。見ただろう? 現実の僕は、君と言葉を交わすことさえできないかもしれない」
すばる「だけど、私達は出会えたんだよ。出会っちゃったんだから忘れたりしたくない! なかったことになんてできない!」
みなと「僕は……」
すばる「みなと君のほんとの気持ちを教えてよ!」
みなと「……。何が欲しいとか誰かといたいなんて、きちんと言葉にしたことがないんだ」
すばる「だったら私が言う。私はみなと君と一緒にいたい。私がみなと君を幸せにする!」
みなと「君にできるはず──」
すばる「絶対する! いまする!」
 
   『放課後のプレアデス』 第12話 渚にて

 幼いみなとと現在のみなととの相違点に、「この世界から消える(手段)」の先に続く言葉(目的)がないことでして、恐らくそれは強い自己否定から省いてしまっているのでしょう。
 すばるは、みなとの矛盾を突くと同時に、いまの彼が自分を呪うあまりに押し隠してしまっていた本心を引き出したのです。
 六人目が務まったのも、単純に魔法を使えたからだけではなくて、みなとが本当の自分と向き合えたからでもあると思います。


エルナトと会長の繋がり

みなと「何故そんな軟体生物みたいな姿になったんだ、君は?」
会長「な、何の話だ?」
みなと「いい加減思い出したらどうなんだ? ──僕は君のアルデバランだ」
 (中略)
みなと「君はエルナト。七年前に出会った僕のたった1人の友達」
エルナト「みなと? 君はみなとなのか? でも、僕の知っているみなととは随分違うね」
みなと「あの時から君の時は止まってしまったのか」
 
   『放課後のプレアデス』第12話 渚にて

 この宇宙人は最初に出会ったとき、「君には僕がどんな風に見えているんだい?」と自分をどんな姿で認識しているのかを問いかけ、その答え(言葉とは限らない)に応じた姿になります。
 それは、最初に認識された相手を基準に存在を規定していることでもあり、記憶もまたこの最初の認識と結びついているようです。

 この認識の作用は、宇宙人が持つ地球人とのコミュニケーション・チャンネルが開いた状態とも言えます。

 会長(プレアデス星人)は、ななこの認識から確立されたコミュニケーション・チャンネルが開かれた状態で、エルナトは、幼いみなとによって確立されたチャンネルが開かれた状態です。

 みなとがかつて会長がエルナトだったことを認識させることで、エルナトだった頃の記憶が生き返って、閉じていた過去のチャンネルが現在のチャンネルに統合されて、会長とエルナトが(宇宙人の中で)結びついたのです。

会長「どんな姿になっても、僕は君のプレアデス星人だ」
 
   『放課後のプレアデス』第12話 渚にて

 彼がエルナトとしての姿と記憶を取り戻しても、基本的に会長(プレアデス星人)の姿でいたのは、どんな経緯があろうともその姿がいまの自分だからでしょう。

 7年前のみなととの出会いと別れを経て、ななこと出会ったことで、いつき、ひかる、あおい、すばるを見付けて、またみなとと再会できた彼の、ななこへの感謝と好意の表れだと思います。


いまを受け容れ未来へ希望を持つこと

 みなとはキラキラ(何者にもなれなかった可能性の結晶)を自分に似ていると思っていましたが、彼と宇宙人(会長=エルナト)は、現時点では救われないという点で良く似ています。

 第6話で会長がすばる達に語ったとおり、「(この宇宙に)生き残れる可能性が残されていない」のが、彼ら宇宙人の方が現状です。
 しかし、生き残ることを諦めたわけではないと最後のカケラを回収し宇宙船が直ったとき、第12話で会長=エルナトの口から伝えられます。

みなと「どこへ行くつもりなんだ? 君達は確率すら制御する力を持ちながら選ぶことを拒絶していた。だから僕は、君達が滅びを先延ばしにしていると──」
会長「確かに君の言うとおりさ」
 会長がジャンプしてエルナトの姿になる。
エルナト「ただしそれは、君達の宇宙での話さ」
みなと「僕達の?」
エルナト「あそこだ! あれが僕達の次の目的地。次の宇宙だ」
みなと「まさか、君達は宇宙を渡って……」
エルナト「君達の宇宙ではダメでも、別の宇宙では別の可能性があるはずだ。僕達はその希望に賭けたんだ」
みなと「希望……」
エルナト「ああ! 希望がある限り僕達は何度でも宇宙さえ飛び越え旅を続ける。意外だったかい?」
みなと「僕は、過去ばかり見て自分を呪い、君達を巻き込んでしまった……」
 
   『放課後のプレアデス』第12話 渚にて

 要約しますと、「希望がある可能性がこの宇宙にないのなら、別の宇宙に探しに行く」のが宇宙人の方針です。
 みなとは9歳の時点でタイムトラベルを思いつくほどですから、すぐにそれが「いま希望がないなら、未来に希望を持つことだ」と気付いて、エルナトに後悔の思いを明かすのですね。
 エルナトは「それも過去だ」と気にした様子を見せることなく「僕達のキラキラも連れて行くよ」と言って、巻き込んでしまったみなとに彼なりの贈り物をします。

すばる「これ……?」
みなと「それは、この世に生まれることすらなかった命の可能性」
すばる「そんな……。みなと君、この子達を救おうとしてくれてたの?」
エルナト「みなとの目的は僕が引き継ぐ、新しい宇宙でなら彼らが輝ける未来もあるかもしれない」
 
   『放課後のプレアデス』第12話 渚にて

 エルナトが「みなとの目的は僕が引き継ぐ」と言ったことで、みなとの目的が自分の過去をやり直すためではなく、彼ら(キラキラ)を救おうとしていたことになりました。
 少なくとも、すばる達にはそれが真実として伝わったでしょう。
 みなとの負い目を感じさせないようにすると同時に、すばる達5人との間のわだかまりを無くすエルナト=会長の計らいです。
 大元の原因は宇宙船の事故ですから、「君が僕達を巻き込んだじゃなくて、僕達が君を巻き込んだのさ」といった考えもエルナト=会長にはあったのかもしれません。 

 みなとが「希望」という言葉から素直に未来を導き出せるようになったのは、すばるがいまの彼を繋ぎ止めたからです。
 
 いまを受け容れ未来に希望を持つという考え方は、原初の地球ですばるとみなとの2人が最後に交わした言葉にも繋がっています。

すばる「じゃ、私達も行こうか!」
みなと「え!?」
すばる「みなと君とは私は一緒に行くの」
みなと「僕はただの案内役だ……。その役割ももう終わる」
すばる「私、約束したよ。みなと君を幸せにするって」
みなと「だけど、君の世界に僕の可能性は……」
すばる「それでも行くの」
 
 (中略)
 
みなと「僕に生きろだなんて……。君はどこまでも残酷だ」
 
   『放課後のプレアデス』第12話 渚にて

 生きることを諦めることより、生き続けることの方が辛くて大変です。

 しかもみなとは、自分が目覚めるかどうかもわからないまま生きることを選ぶようにお願いされたので「残酷」とこぼしたのでしょう。
 同時にそれが自然なことだとわかっていて、再会できるかさえわからない未来に希望を託したのはすばるも同じですから──重荷を一緒に背負うと言っているわけですから──、みなとも受け容れることができたのだと思います。


物語の変身

 からまっていた運命線をほどいて、それぞれ元の運命線に帰っていく「私は、私になる」の後、物語はいよいよエピローグへ移っていきます。
 アニメ本編では、すばるの運命線におけるエピソードが描かれます。
 時間は第1話と同じ日ですが、すばるが天体望遠鏡と天体観測会のチラシを携えて向かう先には、少し変わった未来の放課後が待っています。

 すばるが「みんなと出会って変われた私」になったから、世界の様相が変わったことがわかります。
 このすばるの運命線における放課後の情景を通して、あおいも、いつきも、ひかるも、ななこも、それぞれの運命線で少し変わった未来の放課後を過ごしていることが示されます。

 5人それぞれの未来があって、その先の可能性は確定していないため、『放課後のプレアデス』という物語は幕を閉じても、すばる達それぞれの物語はまだ続いていくのです。

 このエピローグは、『放課後のプレアデス』という彼女達の物語が、すばる達5人それぞれの運命線を生きていく彼女の物語に変わる様子を描いていると思いました。

 すばる達のこれからがいくらでも想像できるということを含みつつ、「これは物語のそのものの変身じゃないか」と驚嘆して、当時の感想に「どうしようって感じです」と書きました。

 夜空の星が見る人によって様々なきらめきを見せるように、色々な受け止め方があって、少し見方を変えるだけで新たな発見がある作品です。


 全12話、完走しました。
 本編の感想はこれで終わりますが、この連載はあと1回あります。
 あとがきにかえて、連載の締めくくりの記事を別途書きました。


 あとがきにかえて。


※今回のヘッダー画像はMitakaでシミュレートした2020年7月9日の東の空、夏の大三角です。
この日は『放課後のプレアデス』を全話見終わった日でして、この空は私が毎年欠かさず見ている最も好きな星空です。



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