音楽を愛する人のための読書案内(2)――中沢新一「東方的」


中沢新一「東方的」(『東方的』講談社学術文庫)


中沢新一の仕事は、芸術から科学まで、人間のあらゆる営みを対象としている。その広大な思想をつらぬくキーワードは、贈与である。これは中沢が多大な影響を受けたクロード・レヴィ=ストロースをはじめ、20世紀の多くの思想家にとって中心的なトピックでもあった。

贈与とは何か。贈与は交換と対で思考される。私たちは普段交換の世界に生きていて、贈与について直接は知りえない。具体的に考えてみよう。私たちの経済活動は売ることと買うことから、つまり商品と金銭とを交換することから成り立っている。では買った商品を誰かにプレゼントするとしよう。そのやり取りに伴うのは、決して商品だけではない。そこには送り手の愛情や思いやり、受け手の感謝あるいは負い目のような、貨幣のように計算できない何かが発生している。

別の例を考えてみよう。私たちは言葉を使ってコミュニケーションをする。言語には文法や語法といった法則があり、私たちはその決まりに従わない限り、たとえ言葉を発したとしても相手に思いや考えを伝えることはできない。だが私たちの内には、そもそも言葉を発するに至った言葉以前の衝動があったはずである。しかし、それは言葉にした瞬間に消えてしまう。

贈与論とはこのような、計算も論証も不可能であるけれど確実にそこにあるもの、それなしにはそもそも交換が成り立たないないものについての思想である。エコロジーにおいては自然の贈与、宗教においては神の贈与、など世界のあらゆる事象はその発端に純粋な贈与がある。そもそもこの宇宙さえ、ビッグ・バンという贈与の一撃なしには存在しえなかった。

さて、冒頭で中沢の思想のキーワードは贈与であると言った。ここで正確に言い直すなら、彼が探求しているのは交換と贈与のインターフェイスであると言える。先に述べたように、私たちの世界は交換で成り立っていて、直接的には贈与を認識することはできない。だが宗教から科学まで含むような人間の活動において、贈与の領域がちらちらと顔をのぞかせることがある。その瞬間を捉えるのが中沢の仕事である。

本論のタイトル「東方的」とは何か。それは「第四次元」に直接触れることを目指すような文化のあり方を指す。それは先ほどまでの言葉を使えばもちろん、交換の世界に隠された贈与の次元のことである。そのような文化はフランスやドイツといった「西方」ではなく、ロシアやブルガリアといった「東方」に見られるという。

中沢は19世紀末から20世紀初頭にかけての、ふたつの芸術運動を比較する。ひとつは西=フランスでのキュビズムであり、もう一方は東=ロシアでのロシア・アヴァンギャルドである。パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックらによるキュビズムとは、私たちの視覚を一旦解体し、それをキャンバス上に再構成するという実験である。それは抽象という純粋な思考のあり方であるとともに、通常の認識を突き破るという点で、超越を、「第四次元」を目指すような試行であるとも言える。

ロシア・アヴァンギャルドと称される芸術運動に属する作家たちも、このキュビズムの運動を高く評価した。だがロシアの芸術家たちにとって、西方の芸術は「第四次元」の扉が見えたところで、つまり交換の世界を切り開き贈与の領域をかいま見たところで止まっているように思われた。カジミール・マレーヴィチをはじめとするアヴァンギャルドの作家たちは、交換の世界に止まるのではなく、さらにその先を目指していた。

ロシア正教にはイコンという聖像画がある。イコンからは西方ラテン教会の美術には見られない、ある種のはげしさやいびつさが感じられる。それは前者が信徒への教化や神を讃えるものとしてあったのに対し、後者はまさに人が神と直接出会う場所としてあるからだ。ロシア正教の伝統には、そのようなイコンを通して、神の領域であるところの「第四次元」に直接相対するような経験があるとされる。マレーヴィチの単に正方形を並べただけの作品に、見る人がある種の聖性や強度を感じ取ってしまうのは、そこにイコンの伝統があるからだと中沢は述べる。

その上で中沢が取り上げるのが、ハンガリーの作曲家バルトーク・ベーラである。ハンガリーという国はヨーロッパとロシアの間にある国である。それはピカソやブラックが思考を先鋭化させていく場所と、マレーヴィチやワシリー・カンディンスキーが「第四次元」を求めていた場所との、ちょうど中間地帯であった。

状況は音楽においても同じであった。隣国オーストリアの首都ウィーンでは、アルノルト・シェーンベルクらいわゆる新ウィーン楽派が無調音楽や十二音技法を探求し、そのシステマティックな思考を先鋭化させていた。一方でバルトークが研究していたハンガリー、ルーマニアや周辺各国の民族音楽においては、なまなましい裸のままの音がいまだ生きていた。西方と東方の境目にいたバルトークは、十二音技法も伝統音楽も熱心に研究した。

しかしバルトークはその創作において、どちらか一方に頼ることはしなかった。抽象的な思考を研ぎ澄ますこともしなければ、作品中に民謡をちりばめて安易な民族主義に与することもしなかった。バルトークはいわば第三の道を選んだ。すなわち彼はふたつのあり方を衝突させ、「第四次元」的なシステムに基づく、第三の音楽空間を切り開いた。それこそが「人間の音楽が生れてくるピュシスの場に触れている、人類の音楽」であると、中沢は言う。

中沢の言うことを論証が甘いと指摘したり、それに当てはまらない事例を提示することはたやすい。実際中沢はそのような批判にさらされてきた。とはいえ、時代も地域も超えた、人類の精神活動の根底にあるものを探るその大胆さは、読者に知的興奮を呼び起こすだろう。そして世界をもっと知り、それに触れたいという欲望を喚起するはずである。まさに中沢の著作自体がインターフェイスとなり、私たちに贈与の次元を垣間見せてくれるのである。

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