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創作漫画におけるコアとマスの葛藤

先日公開した自分の中での渾身の一作が、思ったほどの反響が無い。単純に作品の質が至らなかったと片付けるのは簡単だが、一点だけ何となく腑に落ちない事がありモヤモヤとした気持ちを抱えている為、結果この記事を書いている。

そう、このマガジンでは創作活動における弱音や愚痴のようなものを書く場所としている。アマチュア作家なのでカッコつける必要は無いよね。

さて、本作。いつもは1〜2ページの古本あるあるフィクション漫画で、今回も導入は同じだが、読み進めていくとページがどんどん続き予想外の展開に‥という狙いを込めたものだ(実はもう少し仕掛けはあるがこれ以上多くを解説するのはさすがに野暮かと‥)

よって、バズるまではいかなくても自分の中でのプチバズり(ツイッターでいうと100RT以上、noteも50スキ以上)くらいはいくのではと内心期待をしていた。うそ、あわよくばもっとバズる事も期待していた。。

結果は、公開数日でツイッターはいつもの2倍程度(15RT→30RT、50いいね→90いいね)noteにいたってはいつもより少ないくらいの15スキ程度(そこそこの頻度でいただいていた伸びるきっかけになる編集部のおすすめも今回叶わず)

はあ‥ やはりこれが才能が無い者の限界か、と心の一方では打ちのめされる。

ところが。数名のフォロワーさんからツイッターで面白かったコメントをいただく。中には過去最高レベルで面白い、こんなに面白い漫画をありがとうございます、といった熱いコメントも(泣)

これはどういう事だろう‥?ある人にとってはめちゃくちゃ面白い漫画なのだとしたら、せめてもう少し数字が伸びるのが自然なのではないか?と思った。

確かにこの漫画のテーマは一貫して古本。コア向けだ。ただ、そりゃ自分だってバズりたい。表現者である以上、たくさんの人に見てもらいたい、感想をもらいたい。なのでコアをやりつつマスにも届いたらいいなと思ってタイトルや紹介文もそれになりに考えたりしてやってきた。

が、どんなにコアの評価を得てもマスの評価は得られないのかと。
でもバスってる漫画は必ずしもマス向けの分かりやすくとっつきやすいものだけではないような気もする。む‥いかん、この文脈は「そこが才能の差だよ」となってしまう‥それはとりあえず置いておきたい‥

だったら、マス向けの作品を描けばいいじゃない?というのもちょっと違う。というか難しい。怖い。コアこそが個性、差別化だと思っているので、それを取る事は丸腰で戦場に行くようなもの。あとカッコつけるわけではないが、当然バズりたいだけの為に別に描きたくない漫画を描く事もまず無い。

正直、この作品、特に今回のは自分が描きたいもの、描いてて楽しいものだけを少年のような心でひたすら描いた。そこがアマチュア作家に許される特権だから。

で、少なくともコアに最大限に届いたのならばそれは凄く嬉しい事だしその事を大切にしないといけないし、少なくとも本シリーズはこの方向性で最後まで走り抜けるしか無いのだと思う。

なお、本シリーズ「新古書ファイター真吾」はまとめ本用にあと残り2話でいったん締める予定だ。全てを出し切った今作。そしてあと2話。実はまだ、諦めていなかったりする。あと1つ変化球を残している。いつになるかはまだ分からないが。あと、別でマス寄せ強めのコアエッセイ漫画も今ちょっと何本か描きたいものがある。

うーん、描きたい事がたくさん。もっと時間が欲しい。


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