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【歴史概要10】アケメネス朝ペルシャ

①新バビロニアやエジプトなどの大国を倒して
オリエントを支配したのがアケメネス朝ペルシャである。

②アケメネスがペルシャにイラン人の国を建国した事を端緒とする。BC550年にキュロス2世がメディア王国を滅ぼして独立した。
リディアや新バビロニアを滅ぼして勢力を拡大した。

③カンビセス1世がエジプトを併合したことでアッシリア帝国に続く2度目のオリエント全体の統一を成就した。

第3代目のダレイオス1世の時代に東はインダス川北岸から西はエーゲ海におよぶ広大な版図を形成した。

④ダレイオス1世は全国を20の州に分けた。中央からサトラップという長官を任命して派遣する。

サトラップを監視させるための「王の目・王の耳」と呼ばれる監督官も派遣し中央集権体制を整えた。

⑤都のスーサから小アジアのサルデスに至る「王の道」という大幹線道路を作り、駅伝制を整備し全国を統治した。これにより中央と地方を交通で結んだ。

⑥アッシリアは圧政政治であったがアケメネス朝は寛大な支配を行った。キュロス王の時代にはユダヤ人をバビロン捕囚から解放し、ユダヤ教の信仰の自由が認められた。キュロスは旧約聖書にも登場し神格化されている。

⑦ダレイオス1世の時代に支配下にあった小アジアのイオニア地方の都市国家の反乱に遭う。ギリシャの有力ポリスであったアテネが干渉してきたためアケメネス朝はギリシャに4度遠征した。4回の遠征は失敗しギリシャから撤退をした。その後もペロポネソス戦争でスパルタを支援しギリシャを干渉した。

⑧BC334年からマケドニアのアレクサンドロス大王の遠征軍と戦うことになりダレイオス3世が相手となった。BC333年のイッソスの戦い、BC331年のアルベラの戦いと敗北した。BC331年にペルセポリスが破壊され滅亡した。ダレイオス3世は部下である地方のサトラップに捕まり倒された。

⑨アケメネス朝ペルシャは多言語であったが公用語はペルシャ語である。文字は楔形文字が使われていた。商業民として経済活動をアラム人が行っていたのでアラム語やアラム文字も共通語として広く使われていたと云われている。

⑩国教はイラン人のゾロアスターが開祖であるゾロアスター教であった。アケメネス朝ペルシャの文明は後のパルティアやササン朝ペルシャ帝国に継承された。

ササン朝ペルシャで勃興したイラン文化はシルクロードを経て天平時代の日本まで影響を及ぼした。ペルセポリスは壮麗な石造宮殿群であった。主に王の居住地として祭礼が行われ、政治は官庁が置かれたスーサで行われた。

■参考文献
『滅亡から読み解く世界史』 関 眞興 実業之日本社

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