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儒教を根ざしていく方法

儒教は基本的に「関係フィードバック」と「参照主義」である。しかし儒教システムは「上意下達指令装置」と「義務主義=(通俗道徳)」になりがちである。ここをどう峻別していくかがポイントとなる。

まず関係フィードバック(=コミュニケーション)の復元が必要である。上層の人々が市井を無視して、聞いているフリをして無理強いをするのも、現実を無視したクレーマーが的外れな意見を連発するのも儒教的とは言えない。

自分が上の立場に立ったらすべてを傾聴する必要はないが、そこそこ話を聞き現実的な軌道修正コミュケーションが図れるかがポイントとなるであろう。「ただ多くの話を聞きました」というのはよくある話だが、軌道修正もセットである。

自分が下の立場に立ったら的外れなクレームではなく上層に対して適格な批判を繰り返しながら、折り合いをつけていく。それが儒教的対話である。

続いて参照主義であるが、これは過去に学び、過去を教訓としながら現在を少しずつ変革していく事にある。

ただし「義務主義=(通俗道徳)」の陥れば相互のフィードバックが崩れてしまうため義務主義に陥ればたちまち儒教とは程遠いものとなる。

合気道みたいなもので、この世に固定的な答えはないのであってフォルムに乗っかれば良いというものではない。だから師匠も弟子もたえず思考を巡らせて学問をするのである。

孔子や孟子がアホ右翼と同等の「親孝行しろ!親孝行したら世の中よくなるぞ」と説いているわけがない。そんなものでよくなるのならば教条主義一つで世の中を簡単に支配することができるであろう。

「今まで賢人はそうしてきたので、それに倣い現状況を改善していきましょう。関係を良くしていきましょう。」というのが本位だ。

日本人はどうも関係フィードバックや参照主義がきわめて下手である。形式的な社畜マナーなど覚えて自己啓発にやっつけになっても道徳や倫理は甚だしく低下していく事であろう。

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