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【歴史概要61】南北戦争・奴隷解放宣言・黒人差別問題・グレンジャー運動

①南部のプランターたちはイギリスに木綿工業のための原料、
綿花を輸出して工業製品を購入しているので貿易で高い関税が
かかるのは反対で自由貿易を主張した。

②北部の産業資本家たちは、イギリスの工業製品が自由に流入すると自らの産業が成立しなくなるので、後進国の政策の常で保護貿易を主張した。

③北部は協力な政府を要求し、南部は各州の権限の拡大を主張した。アメリカの政党は建国時代にフェデラリスト(連邦派)とアンチ・フェデラリスト(反連邦派)は始まり、アンチ・フェデラリストは1796年の選挙でリパブリカンズを称した。1800年には第3代大統領としてジェファソンが当選した。

④リパブリカンズは1830年代のジャクソン時代から民主党(デモクラティック・パーティー)と称した。この時代に白人男性普通選挙などの平等が実現した。

⑤フェデラリストなどの流れを汲んだのは1854年に結成された共和党である。1856年の選挙で全国政党として台頭し1860年にリンカーンが当選する。これが南北戦争勃発のきっかけとなった。

⑥リンカーンの大統領就任とともに南部の11州は合衆国を離脱した。J・デービスを大統領に選びヴァージニア州のリッチモンドを首都にしてアメリカ連合を結成した。

⑦リンカーンは奴隷制に反対であり、アメリカ合衆国の分裂を避けようとした。1861年4月に南軍がサウス・カロライナ州の連邦軍が駐留していたサムター要塞を攻撃したことから開戦した。ここから南北戦争が始まる。

⑧この段階では両軍とともに準備不足であった。北軍は陸海あわせて2万4千名ほどの将兵がいたが南軍は皆無であった。南部には統一政府がなかったが名将であるリーが南部に移った。その指揮は工業力や資本力で圧倒的な北部を翻弄した。

⑨北部の政治的策略は巧みであった。1862年のホームステッド法(自衛農地法)は西部を政府軍につけるために西部に5年住んだものには160エーカーもの土地を無償で与えるというものであった。これは西部農民の支持をつかんだ。

⑩1863年の奴隷解放宣言は戦争を正当化しフランスやイギリスの干渉を防ぐ意味合いもあった。この年のゲティスバーグの戦いで北軍が勝利した。この戦闘の戦没者追悼式典でリンカーンの「人民の、人民による、人民のための政府をこの地上から消滅させないために」という有名な演説が行われた。

⑪1865年にリッチモンドが陥落して南北戦争は北部の勝利で終わった。南北戦争は内乱(Civil War)、州間の戦争(War between the States)、北部では反乱(War of the Rebellion)、第2次アメリカ革命といった様々な別称がある。

⑫北部が南部に勝利した事により北部産業資本によるアメリカ経済の支配が確立されたことを意味する。南北戦争終結4年後の1869年に大陸横断鉄道が完成した。南北戦争を契機に産業が農業から工業に大きく変化していった。

⑬奴隷制度は消滅したが、黒人の人種差別問題が出てきた。この問題は奴隷制度がなかった北部にもあった。人格的には自由になった黒人奴隷であったが選挙権の制限をはじめとするアメリカ社会の矛盾に放り投げられた。

⑭KKK(クー・クラックス・クラン)のような黒人排斥団体の出現やシェア・クロッパーといわれる小作制度では奴隷制度以上の搾取を受けた。

⑮北部産業資本が影響力を強めたので西部の農民は厳しい状況に追い込まれた。1870年代から農民保護のためのグレンジャー運動が始まった。農機具、日用品の共同購入、農産物の販売などで活動を行い1875年には86万の農民を抱えて最盛期を迎えた。

■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 下』 関 眞興 日本経済新聞出版社

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