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【歴史概要36】ルワンダ・ブルンジ内戦・ウガンダ暴政

①コンゴ共和国(ザイール)はベルギーの植民地であった。
レオポルド2世による過酷な収奪でよく知られている。

②ウガンダとケニアはイギリス領であり、ルワンダとブルンジはドイツ領であった。

③ルワンダとブルンジは第1次世界大戦後はベルギーに併合され
このときはルワンダ・ウルンジという地域名だった。

④ベルギー支配時代に農耕民が多かったフツ族、狩猟民族のトゥワ族、遊牧民のツチ族に分けられた。ツチ族とフツ族の違いは生業である。少数派のツチ族はベルギーの支配のために他の民族より重用されていた。

⑤1962年にこの国はルワンダ共和国とブルンジ共和国に分離して独立した。ルワンダ共和国ではフツ族から大統領が出たこともあり国内のツチ族はウガンダやコンゴ民主共和国などに難民として逃れていた。

⑥この難民からルワンダ愛国戦線が誕生し1990年にルワンダに侵入し内戦化した。

政府軍はフランスのサポートを受けてこれを撃退した。

⑦1994年に大統領機が撃墜される事件が起きると過激派の政府軍民兵はツチ族を襲い、短期間で80万人の住民が虐殺された。これを機に愛国戦線が政府軍を破り、政権を奪った。

⑧この内戦の影響で150万人もの難民がコンゴに流入した。これをきっかけにルワンダが一時コンゴ東部を占領したりするのだが和平条約の締結で撤兵した。現在の政権は安定している。

⑨ブルンジでもツチ族とフツ族の対立が続いた。政権は長く安定しなかった。2008年になって両者の和解が成立はしたが確実にそれが行われる保証はない。

⑩ウガンダはイギリス領であった。ルワンダやブルンジと同じく1962年に独立を果たした。1971年に軍人のアミンが権力を掌握しアメリカやイギリスと結んで反共的立場を鮮明にした。独裁権力によって数十万人の国民を虐殺した。アメリカやイギリスはウガンダを見限りソ連との関係を密にした。

⑪ソ連からの武器援助でウガンダは隣国タンザニアと戦争を始めたが、その敗戦がきっかけでアミンは失脚した。

その後もスーダンに拠点を置くキリスト教原理主義勢力神の抵抗軍が政府軍に攻撃を仕掛けるなどして政治的混乱は続いている事などを学びました。

■参考文献
『ライバル国からよむ世界史』 関 眞興 日本経済新聞出版社

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