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【日本史6】室町史備忘録10

室町時代の学習を深めていきます。

本日の学習は
①足利義輝と三好長慶(ながよし)は和睦をした。しかし義輝の家臣団は長慶派と晴元派に分裂する。1553年(天文22年)に晴元と連携し、長慶との決別を明らかにした。

②長慶は義輝たちがいた霊山城(京都市東山)を攻めて義輝軍を打倒し、義輝は近江国へ逃げた。長慶は政治を主導し、近年では最初の天下人と評価をされている。

③1558年(永禄元年)に義輝は晴元らの軍勢を率いて京都へ上洛を目指しました。

その後長慶に「御相伴衆」という称号を授けた。造反をしていた政所頭人の伊勢貞孝が滅び、権勢を取り戻した。

④足利義輝の政治は各地の諸大名と積極連携をした。1557年(弘治3年)の第3次川中の戦いでも武田信玄と上杉謙信の調停に入り和睦を実現した。上杉謙信は足利義輝に協力的な態度を示していた。

⑤三好家は義輝政治に危機感を覚えていた。十河一存(長慶の弟)、三好実休(長慶の弟)、三好義興(長慶の息子)といった要人が亡くなり1564年(永禄7年)には長慶も亡くなった。

三好家は窮地に陥ることとなる。

⑥1565年(永禄8年)の5月19日に三好義継(長慶の甥)らが1万の兵を引き連れて将軍御所を襲撃し義輝を倒した。

これが永禄の政変である。足利義輝の政治は高く評価されている事などを学びました。

■参考文献 『1冊でわかる室町時代』 大石学 河出書房新社

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