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自分が自分であるための、能動的90分間。 Interview 幅允孝さん 前編

自分に合ったライフスタイルを実践する人、未来のくらし方を探究している人にn’estate(ネステート)プロジェクトメンバーが、すまいとくらしのこれからを伺うインタビュー連載。第6回目は、ブックディレクターの幅允孝さん。公共図書館のほか、病院やホテルなど、人々が集まるさまざまな場に「人と本が上手に出会うきっかけ」をつくる、そのユニークなアプローチで注目を集めています。

全国を奔走する日々のなかで、ふと「立ち止まってゆっくり考える場所が必要」と考えた幅さんは、京都に新たなすまいを構え、現在は仕事場のある東京との二拠点生活を実践中。曰く「時間の奪い合いが激しい」という現代社会における“時間”との付き合い方、幅さんご自身が心掛ける“自分”との向き合い方について、京都のご自宅と一階の私設図書室&喫茶「鈍考/喫茶 芳(ファン)」で伺いました。


幅允孝 | Yoshitaka Haba
1976年、愛知県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、青山ブックセンター六本木店などを経て2005年に有限会社BACH(バッハ)を設立。人と本の距離を縮めるため、公共図書館や病院、学校、ホテル、オフィスなど様々な場所でライブラリーの制作をしている。安藤忠雄氏の建築による「こども本の森 中之島」ではクリエイティブ・ディレクションを担当。

市内から少し離れた閑静な住宅地に佇む、京都の幅邸。
一階は週4日間、予約制の私設図書室&喫茶「鈍考/喫茶 芳」として一般開放されている。

ー まずはじめに、東京のご自宅とは別に生活拠点を構えようと思ったきっかけを教えていただけますか。

幅さん(以下、幅):正直、都内での生活が忙しないと感じていたところはあります。僕は愛知県の出身ですが、大学生の頃からもう30年近く東京には住んでいますし、刺激もあって楽しいですけれど、そのぶん思考の回転速度が速い。打ち合わせを45分して、そのあと15分で移動して、その合間に溜まったメールをチェックして、といったスケジュールを一日に何セットも繰り返しているうちに「ちょっと、これはヒューマンスケールを超えているな」と感じる部分がすごく大きくて。

ー いろんなことが目まぐるしく流れていって、周囲を見回したり、立ち止まって考える余裕もないような?

幅:特に自分の業である”本”に関していうと、じっくり腰を据えて読むということが難しくなってきたな、と。走り読み、斜め読みばかりで、心に余裕がないとフィクションがあまり読めなくなるんです。この状態はあまりよくない、本に対して誠実じゃないなと思ったんです。じゃあ、時間の流れが遅い場所をつくろうと思って動き出したのがきっかけです。

― 時間の流れが遅い場所、ですか。

幅:
現代は、時間の奪い合いが激しいと思っていて。スマートフォンや動画配信サービスを「気がつけば何か見ている」ことって、ありませんか?
今、世の中には中毒性の高いコンテンツが溢れている。僕は、そういった状況で“自分と周り”について考える時間、自分の内側について考える時間をどうやって確保するかが、これから重要になってくると思ったんです。

ー ふと気が付けば時間が溶けるように過ぎていく感覚、とてもよく分かります!

幅:この場所を「鈍考」と名付けたのも、そういった理由からです。「鈍く、考える」と書くのですが、世の中がテクノロジーやシステムに求めるスピード感よりも、人はちょっと鈍いくらいでいいんじゃないかなと。ときには鈍行列車のように。まさに叡山電鉄の三宅八幡駅(「鈍考」の最寄駅)なんて、待っていて心配になるくらい何も無いけれど、それがいいんです(笑)。

設計を手掛けたのは、建築家の堀部安嗣さん。「手刻み」と呼ばれる日本古来の工法を随所に用いた強靭で美しい意匠もさながら、断熱や蓄熱の技術も織り合わせることで居心地とあたたかみのある空間に。 

ー とてもいいコンセプトですよね。実際にここで眼前に広がる檜林と本を眺めていると、時間の流れも景色ものんびりとしていて、思考の回転速度が少しずつ鈍くなっていくような心地よさを覚えます。

幅:僕自身、時間の流れを自分で選べる状況が必要だったんだと思います。もちろん、仕事は仕事だからサクサクやらなきゃいけないときもある。僕も東京に戻ればあくせく過ごす日もあるのですが、一方で「今日はゆっくりと本を読むぞ」というときは、こういった場所で腰を据えて、長編小説を落ち着いて読めるようになってきました。

ー 拠点を動かしたことで、徐々に自分らしさを取り戻すことができたのですね。

幅:ふたつの言語で学習できる人を指す“バイリテラシー”という言葉があるんですけれど、僕の場合は言語ではなくて時間の流れを自由に、能動的に選ぶことができるようになった。時間の流れが早すぎると、泳いでるのか溺れているのか分からない状況に陥りがちだけれど、そんなときに自分のペースで「こっちに泳ごう」と選べる状態を確保しておくことが、すごく大事なんだと思っています。

場所を変えると、時間の流れが変わる。 自分の時間の使い方を意識的に選び取ることが大事。

「鈍考/喫茶 芳」は、90分で定員6名の予約制。 オーレ・ヴァンシャーの「コロニアルチェア」のほか、テラスのソファや畳スペースなど、利用者は思い思いの場所で自由に読書を楽しむことができる。

― 時間といえば、「鈍考」は90分の利用時間を設けて案内されていますよね。それにも何か理由があるのでしょうか?

幅:
90分の予約制にしたのは、僕たちがディレクションを担当させていただいた「こども本の森 中之島」からヒントを得ました。公共の施設なので、当初はいつでも出入りできるようにしようと思っていたのですが、ちょうどオープンがコロナ禍に重なってしまい、感染防止対策として来館記録をするためにWEBでの事前予約と、90分の時間制で対応することになったんです。最初はちょっと残念だなあと思っていたものの、時間枠を設けたことでみなさんすごく集中して本を読んでくれることに気が付いて。

 たしかに、図書館って「ちょっと眠いから寝よう」とか「お腹が減ったから休憩しよう」とか、ダラダラと滞在しちゃうところがありますよね。

幅:時間枠を区切って「読む」という思考回路に人を持っていくようにしたら、そういう場所になるのかという新鮮な発見でした。それだけ読書行為が日常的なものではなくなっていることを意味するのかもしれないけれど、それでも本や自分に向き合う時間をつくれることはやっぱり大事だなと思ったんです。

ー「この90分くらいは、自分のために使いましょう」というメッセージですね。

幅:人間の行動を促すには、そこに向き合うまでの“装置”がやっぱり必要で。例えば、みなさん週末にジムへ行って運動をするじゃないですか。別に筋トレも家でやろうと思えばやれるし、走るんだったら近所を走ればいい。それなのになぜ、わざわざ会員になってお金を払ってまで通うのか。もちろん設備やコーチングがしっかりしているなどの理由もありますが、やっぱり「時間の確保とモチベーションの管理」といった意味合いが大きいんじゃないかなと思ったんです。

3000冊の蔵書が並ぶ圧巻の本棚。喫茶スペースで妻のファンさんが淹れてくれる手廻し焙煎の珈琲をお供に、1冊1冊の本に深く潜る贅沢なひとときを。

幅:読書行為も同じで、読む時間は自分で確保していかないと、どんどん別のことが押し寄せてくるのでダメなんじゃないかなと。だから僕はカレンダーに「読む時間」をスケジュール登録するようにしています。読む行為は自分への投資だし、その時間を自発的に選ぶことがやっぱりすごく大事なのかな、という気がしますね。

― そもそも最近は、オフラインの環境に身を置くこと自体が贅沢になってきていますよね。

幅:そういえば「鈍考」には、利用者のみなさんがコートや手荷物を預けるロッカースペースにスマートフォンを閉まっておけるスペースを設けているのですが、そこの稼働率が高いんです。「この90分は読むぞ!」という、時間のフレーミングをするアクションを取り入れることが効果的に働いているみたいです。

取材日は雨。テラスに出ると、外の静けさや雨音、水分を含んだ檜林や土の香りが心地いい。

ー 現代人はしばらくスマートフォンから離れていると、ソワソワしてきちゃいますよね。「今ごろ、大丈夫かな」って。

幅:でも、昔はパソコンとか会社に置いて帰っていましたよね。終業後のメールチェックなんて物理的にできなかったし、意外にそれで仕事は回っていたんだから。

ー きっと、そうやって自ら仕事をつくってしまうから、現代人はより忙しくなっているんですよね。

幅:スマートフォンに関連した本を読むと、やはり人の認知を遡ったり、促したりする装置としてはとてもよく出来ているらしいんです。我々は”気が付く”ことで生き残ってきた人間の末裔だから、スマートフォンが少し振動するだけでも気になってしまう。
例えば、サバンナの草原で「あっちの草むらに何かいるな」と気が付ける人、遠くの雲の流れを見て「嵐が来るかも」と気が付ける人、そうやって生き残ったDNAが僕らの中にはあるので、否が応でも、遺伝子が反応する。
その「何だろう?」の瞬間には、エンドルフィン(脳内ホルモン)が出てきてワクワクするのだけれど、いざ開いてみると原稿の催促メールだったりして(笑)。とにかく、スマートフォンは振動や音の調整など、人の興味喚起を促すということを精巧に体現しているらしいんですよ。

情報社会で人間が人間らしく生きるために、自分に向き合う習慣や術を持っておきたい。

「雨が降って嬉しいなんて、東京では思いませんでした。『今日はタクシーが捕まらないかもな、どうしよう』なんて(笑)。こういった自然の細やかな移ろいに意識的でいられる余白は、いつでも携えていたいなと思います」と幅さん。

ーパソコンやスマートフォンが優秀過ぎて、もはや人間は抗えないんですね(笑)。

幅:
でも、そうやって短いタームで情報が出入りしていくのを上からなぞっているだけでは、なかなかまずいんじゃないかなとずっと思っていて。それこそ生成AIが発達してきて、クラウド上に蓄積されている情報をそれっぽくまとめることを上手に処理するのだとしたら、逆に人間は何をするべきか。それにはちょっと跳躍力が必要で、ゼロをイチにするような能力を人間が担っていくべきだと思います。
そういう意味でも、自分の立ち位置や、その内面に向き合う習慣や術を持っていないと、本当にいつか人間がテクノロジーに駆逐されるんじゃないかという恐怖心を抱いています。

雨に濡れ、艶やかさを増す前庭の苔。造園は庭師の伊庭知仁さん(庭知)によるもの。

幅:『サピエンス全史』の著者、歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリさんは、その飲み込まれている状態をホモ・デウス、人間の計画としてあたらしい状態だと言いますが、僕はホモ・デウスにはなりたくない。
大袈裟なことを言うつもりはないけれど、やっぱり自分の内面からしか湧き上がってこないものって誰しもが持っているはずだし、それは少し偏っていたり歪んだものかもしれないけれど、そういった部分を人間として大事にしていきたいなあと思います。

>後編は、こちら。
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Photo: Ayumi Yamamoto

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