10歳の私におきたこと

よくよく考えたら前回あんなに詳しく書くべきではなかったかな、と思ったので、少し割愛しながら続きを書く。


とにかく、私は下半身も何も身につけておらず、うつ伏せになって、なんとかそれでおさまって欲しいと願ったのだが、そうはいかなかった。今度は下半身を触られる、気持ち悪さは増すばかりだし、寒い。何がしたいのか、なにをされるのかがわからないので、怖さでパニックになっているけど、声を出せないしまた寝返りを打つのも、、、どうしたら?


矢継ぎ早に頭の中がぐるぐる回っても、状況は変わらない。トイレと起きても下着すら身につけてないわけだから恥ずかしくて起きられない、ましてやもっとひどいこと、究極的には殺されるのか?と思っていたので、死にたくはない、そう思って触られている場所に力を込めた。すると、異変に気づいたのか、パッと私から離れた。


よかった、なんだ、こうすればよかったのか、と思って、安堵した。しかし、数分後、私が寝ているかまた確認した上で触りが始まる。固いものが、お尻に当たっている、もしかしてさっきの?と思うけれど、本当に性教育の知識がないため、いまの行為がなんの、誰のためなのかわからない。


人間の恐怖って知らないところから来るものだから、怖さがまたやってくる。もう本当にいやだ、いやだよ、ねえ、なにをしてるの?もう起きてしまっていっそ、対峙してしまおうかとも考えたが、殺されるかもという気持ちがあるため、危険なことは出来ない。


そして、とにかく私は身体中に力を込めた。もう起きていることはバレていただろうけど、乾いたあそこに指が触れる。多分本能なんだろうけど、あの瞬間にこの人、変態なんだ、とわかった。学校帰りに、性器をみせる露出狂が出ていた時代だから、ああ、この人はあの変態おじさんと同じ、そして学校で危険だから近づかない、警察と親に言いましょうと言っていた、だから、やはり私は危ないのだ、とハッキリ自覚した。


しばらく、どれくらいの時間かはわからないのだけど、あちこちを触られた。けれど私はもううつ伏せのままだし、身体中には力が入っているし、諦めたのか、下着とパジャマを着させられた。もちろん私はその時は寝たフリをして黙ってそのままにした。


そして、驚くべきことに、数分するとイビキをかいて寝てしまった。それでも私は眠れなかった、寝たらまたアレをされるかもしれない、いやだ、と眠さと闘いながら朝を待った。朝、明るさが部屋に入ってくる頃、まだまだ起きる時間ではなかったけれど、横が寝ているのを確かめて、私は荷物を持って部屋を出て、階段を降り、1階で寝ているおばさんたちを起こさないように、しずかに家を出て、隣りの自分の家に戻った。


そして、ずっと大切にして気に入っていたサンリオのキャラクターのパジャマを脱ぎ捨てて、お風呂場へ行き、ガスをつけて、身体中を洗った。石鹸をつけ、何度も何度も。


でも、洗っても洗っても、感触は消えず、わたしの胸の辺りに、小さくうっすら赤いアザのようなものができていた。それをアザだと分からず、ナイロンの身体を洗うタオルで死ぬほど擦った、肌が痛くなるまで。だけれども、それは消えてはくれない。昨夜おきた、よく分からない怖い出来事の印。


いまかいていると、よく泣かなかったなと思うのだが、それはされたことの意味を知らなかったからだった。次の年、引越していたけれど、保健の授業で女子だけ集められ、生理とセックスの仕組みを聞いて初めて、自分が何をされたのか理解した。そして、また絶望と、それとは相反する、性に対しての自暴自棄のような気持ちが訪れた。


汚れている、わたしは、もう汚れている。この学年の、いや、学校中の、いや、世界中の11歳のなかでいちばん汚れた存在なんだ、そう思ったら、もうなんでもよかった。勉強も、私立中学の受験も、学校も友だちも、何よりも親も、わたしに意味をもたらさなかった。


優等生という仮面を被り、親への復讐という反抗が始まった。

書くきっかけになった、三浦瑠璃さんの本は↓


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#孤独の意味も女であることの味わいも

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