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スタートアップネイション・イスラエル人の考えていること…安全

こんにちは、イスラエル在住のアザルです。
イスラエルというと、危険な国、紛争地帯…というイメージを持っていらっしゃる方もまだまだ多いかと思います。最近のスタートアップブームで日本人が初めてイスラエルにいらっしゃると「こんなに安全な国だとは思わなかった」「予想していたのとだいぶ違う」とほとんどの方がおっしゃることも、イスラエルに「中近東の危険な国」というイメージがどれほどしっかり根付いているかを物語っています。
今日は、イスラエルを特徴づけている「安全」とは何かをご案内したいと思います。安全管理はイスラエルにとって大変重要なマターです。これを一言で語ることはできませんが、私なりの基本的な考え方を一部、説明させていただきます。

テルアビブを見ていると、イスラエルが紛争を繰り返している国であることを忘れそうになります。近代的な建物、開放的なビーチ、ビジネス街の喧騒…観光立国である割には観光客相手の客引きや物乞いやスリ被害なども少なく、実際にこの国に来てみると「非常に安全な国」という印象を、皆さんは抱くのです。

イスラエルは確かに安全な国です。安全な国なのですが、そこには大きなからくりがあります。
実は、イスラエルは、安全のためにものすごく多くの犠牲を払っています。
一見して世界各地のちょっと発展した都市と変わらない印象のテルアビブや他の地方都市。けれどここには世界各地の都市が持たないものがいくつもあるのです。

各家庭やすべての建物に常設されているシェルター。国民全員が保持しているガスマスク。ショッピングモールや公共施設の入口に配置されている荷物チェックのガードマン。電話一本で瞬く間に駆けつける爆弾物処理部隊。一瞬にして主要都市に配置可能なミサイル追撃システムアイアンドーム。非常時にはテレビやラジオSMSなどで一斉に流される単語一つで、予備兵をも招集可能な軍事システム。そして、イスラエル発着の飛行機に乗る前の尋問攻撃および国際的に悪名を轟かせている分離壁…。

ちょっと思いつくだけでも、これだけのものが全国規模で常備されています。これらを準備するために、いったいどれほどのお金と労働力が費やされているのか。

イスラエルは一度到着してしまえば、日本で見聞する危険なニュースとは違って、とても安全な国だということを実感します。夜遅く、女の子が一人で街を歩いても、絡んでくる酔っ払いもいなければ痴漢や強盗に会うこともほとんどありません。のどかなビーチは日本のニュースで見た紛争の様子と何の関係もないように見えます。けれど、その安全は日本や他の国のように「自然発生」したものでなく、お金と労力をかけて、さらには国際的な評判をかなぐり捨てて、「自力で作り上げた」安全なのです。

イスラエルにとって「安全」とは、「お金」「労力」「評判」を犠牲にしてでも手に入れるべきものなのです。なぜならばそこに国家の存亡がかかっているとイスラエルのユダヤ人は考えるからです。
「国際的な評判が良くても、お金があっても、労力がふんだんにあっても、殺されてしまったら何にもならない。」彼らの安全基準はここに尽きると思います。

日本人である私にしてみれば、平和と安全は「世界のみんなで仲良く協力して作られる」もの。けれどイスラエル人にすれば、それは「命と引き換えに自分で作り自分で守る」ものなのです。そこには「仲良く」とか「協力」という言葉の入る余地もなければ、「作られる」という受動的な考え方はありません。
しかも彼らの「安全」は0/1です。「安全=生存」「安全でない=滅亡」このくらいの勢いです。
安全がなくなった時の様子は「ちょっと不安を抱えて生きる」とか、「生活が脅かされる」というような生やさしいものではありません。

それでは、イスラエルに住むユダヤ人はどうしてこのような極端な発想をするのでしょうか。
天然資源もない小さな国なのに技術も経済も世界水準、もしくはそれ以上、中近東で独り勝ちともいえるような状況を作りあげ、十分な安全を得たではないか。イスラエルは十分強いではないか。そう思われる方も多いと思います。もっと言えば、なぜ石ぐらいしか武器を持たないかわいそうなパレスチナ人に実弾を打ち込めるのか?そう思う人も少なくないはずです。
この問題は、政治や歴史が関連してきますので、くわしくはまた別の機会に。ただ、一つ言えることはやはり、人類の大きな過ちの一つであるユダヤ人虐殺の歴史が、大きな影響を及ぼしているのは確かだと思います。

ユダヤ人は反省しています。なぜ、ナチスに、世界に、ユダヤ人虐殺計画を許してしまったのか、と。一番悔しいのは、自分で自分を守れなかったこと。
多くのユダヤ人がホロコーストから学んだことは、「世界のどの国も誰も、そして神様も、ユダヤ人を守ってはくれない」ということだと、個人的に思っています。
これは、非常に孤独な考え方です。
イスラエル人は「国連」を信じていないし、「同盟国」を信じていません。本当に、信頼していないのです。
ユダヤ人が「国際社会」について確信を持って言えることはただ一つ。「世界は、ユダヤ人が絶滅の危機にさらされてもなんとも思わない」。これだけは間違いなく信じていると思います。

イスラエルについて何かを見聞なさるときは、上記のことをちょっと考えてみていただきたいと思います。イスラエル人が楽しそうにしているとき、もしくは苦しんでいるとき。その裏に隠されているものにちょっと考えを寄せてみたり、または、もしイスラエルにいらっしゃる機会があって、セキュリティーチェックでいやな気分にさせられた時などに、なぜそうなっているのかを想像したりすると、また、イスラエルの違った側面が見えてくるのではないかと思います。

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