見出し画像

スタートアップネイション・イスラエル人の考えていること…安息日

イスラエルでは金曜日の夕刻から安息日が始まります。今回はユダヤ人にとって非常に重要な週に1回のお休み、シャバット=安息日についてお話ししたいと思います。
私たち日本人にとっては1週間の休日は日曜日と考えるのが普通ですが、中にはそうでない国もあります。イスラエルもその一つで、イスラエルでは日曜日は完全なる平日。1週間が始まる第1日目で、日本で言うところの月曜日のようなもの。イスラエルの週末は金曜、土曜です。
イスラエルで暮らし始めた最初の頃は、この「日曜日が平日」の感覚、なかなかつかめませんでした。なんだかちょっとずれた感じだったのです。

日本のオフィスとイスラエルのオフィスが同時に働いている日は、1週間で4日間だけ。もちろんそれは日本に限らず、多くの外国のオフィスともそうなのです。これって、諸外国とビジネスをするうえでちょっとしたデメリットになるのでは?休日を変えればいいのに…。などと思うのですが、そう簡単にはいかないのがユダヤ教なのです。

まず、ユダヤ人にとって安息日「週に1回のお休み」、の成り立ちは聖書の「創世記」にあり、神様が6日かけて世界を創造し7日目に休まれた、あの有名な話が元になっています。
神は第1日目に光と闇を分けられました。それが「日曜日」、ヘブライ語で「第一日目」なのです。
日本語や英語では曜日の呼び名、天体が使われていますよね。起源については諸説あるようですが、ヘブライ語では曜日の呼び名に天体は使われません。聖書に書かれているそのまま、「第一日目」「第二日目」…と呼び、土曜日のみ「第七日目」でなく「安息日=シャバット」と呼びます。

そして、さらに重要な点は、神とユダヤ人と間に交わされた契約である「十戒」に「安息日を守るように!」と書かれているため、ユダヤ人にとって安息日はただの休日でなく、「聖なる日」になってしまったのです。
つまり週に一回のお休みは「唯一無二、全知全能の神の創世」を覚えるためのものであり、その彼との「契約」ですから、「外国とのビジネスがやりやすいように、これを日曜日に変えよう」とか、私のように「ああ~、週末週末。ビールで乾杯、ぷはぁぁ~!」とは次元が違うのです。

そんなわけで、安息日の始まりである毎週金曜日の夕刻は、午前中の喧騒がウソのように静まり返り、ユダヤ教徒の各家庭は安息日を迎える厳かな雰囲気に包まれます。イスラエルでは企業や銀行、スーパーやレストランなどが閉まるのは当たり前、バス、電車などの公共交通機関も安息日には動きません。(ちなみに、ユダヤ教の考えでは1日の始まりは夕刻からです。聖書に「夜が来て、朝になった。」と書かれているためです。)

ショッピングもできなければ交通機関も動かない土曜日。それでは安息日には何をすべきなのでしょうか。

宗教を生活の中心に据えるタイプのユダヤ人にとって安息日は「聖なる日」。世俗的な活動は認められません。シナゴーグに行って祈りをささげ、聖書を読むことだけが許されています。
労働=火をつけたり消したりすることがだめということから解釈が拡大され、電気の消灯点灯もだめ、車の運転もだめです。労働が禁止ですから、新聞や本を読んだり文字を書いたりすることもだめ、ついには用足しの際に使うトイレットペーパーをちぎることもだめ…、それを安息日にしないための様々な工夫がなされています。
(ちなみに、宗教家にとっては「聖書」と普通の「本」はカテゴリーが違います。)

安息日入り前に電気機器関係のタイマーをすべてセットして消灯点灯をしないで済むようにしておく。(友人宅は間違ってスイッチを押してしまったりしないよう、安息日入り前にスイッチ自体を取り外すと言っていました!)
エレベーターはシャバットモードにして、自動的に1階ごと止まるようにセットしておく。(扉があいたときに乗って待っていれば、ボタンを押さずとも、いつかは目的階に到着です。→階段上った方が早くない?という質問は忘れてください。)
保温プレートは低温にして、その上に食事を置いておく。
もちろんトイレットペーパーはちぎっておく。(安息日の途中でなくならないように、大目に準備するのを忘れずに!!!)

すっごい徹底してますね…。いや、徹底しすぎて呆れますけれど…。
とはいえイスラエルにはいろいろな人がいます。
上記のようなことをすべて実践しているイスラエル人は数の上では本当に少数派です。「車には乗らない」とか「買い物はしない」程度の人もたま~にいますけれど、普通に休日として旅行などのレジャーを楽しむ人たちの方が多数だと思います。

最近ではテルアビブのような大都市では、土曜日なのに営業しているお店も結構たくさんあります。開いているレストランもありますね。
それからアラブ人街は別ルールです。普通にお店もやっています。
そしてハイファもちょっと違っていて、イスラエルのアラブ人街でない地域で唯一、公共のバスが土曜日でも走っています。
さらにキブツに付属しているショッピングモールなどは安息日でも営業していますので、宗教的でない人達がショッピングに押しかけごった返しています。
例外がこんなにもたくさんあるのですが、それでも基本は「安息日は神を覚える日」。時々思い出したように「安息日の労働禁止条例」を立法化しようとする動きが起こります。安息日の営業活動はあくまでも例外なのです。

ちなみに、人命救助や病院、動物の世話など、休むことが人道に関わるようなやむを得ない労働は宗教的にも許可されています。それでも安息日の労働に対しては、雇用者は労働者に150%の給与を支払うことが労働基本法で定められています。
(私は宗教的な病院で3人の子供を出産しました。そのうち2人目が生まれたのは安息日。これはこれでまた面白い体験だったので、別の機会に共有させていただけたらと思います。)

そして国を挙げての問題となるのが、主要幹線道路や電車の線路などの補修作業をいつ行うかということ。安息日にやらないならば、平日に行うしかありません。道路をちょこっと修理程度なら平日の夜中にやったりしていますが、電車の線路を取り換えるとかの大規模工事をいつ行うか。「工事をするので平日に山手線を半日ストップします。」こんな感じですね。交通運輸大臣を巻き込んだ大きな問題となったこともありました。

でも、ここまでくるともう、問題は宗教にとどまりません。完全に政治の話になってくるのです。
実際のところ、これらの決まりをすべて守る超正統派は人数的にはイスラエルの人口の9%と少数派なのですが、ユダヤ人が2人いれば3つ政党ができると言われるほど意見がばらばらに分かれるユダヤ人社会の中で、政治の場面では、人数の少ないこのグループが誰の側につくのかということはとても重要なポイントです。イスラエルはユダヤ教の国でありつつも民主主義の国であるという、ある種の矛盾を内包しているのです。最終的に、この少人数のグループが政治的に大きな影響力を持つという事態が生じることも珍しくありません。宗教、おそるべし…。

安息日のお話が宗教、政治の話にまで飛んでしまいましたが、実際イスラエルでは、安息日に何をしてよくて何をしてはだめなのかという話題はかなり政治的なニュアンスをも含みます。
大虐殺によって存続の危機を体験したユダヤ民族にとって、土曜日が安息日という世界の多数派と違う生活様式を守ることは、ユダヤ人のアイデンティティの一部でもあるのです。
熱心な宗教家は、「ユダヤ人が安息日を守っているのではない。安息日がユダヤ人を守っているのだ」といって安息日を守ることの重要さを後世に伝えようとしています。金曜の夕刻には正装して、「花嫁を迎えるように」安息日を迎えるべきだとされているのです。決められた時刻に祈りの言葉をささげ、ローソクに火を灯し、安息日を聖別する儀式が行われます。

というわけで、私もすでに「週の開始は日曜日」の感覚にはすっかり慣れました。そして安息日は「家族と過ごすための時間」として、それなりに大切にしています。個人的には週に1回、労働や日常から離れて心を改め、気持ちを引き締めるような日があるのは良い習慣だとは思っています。まあ、私は安息日でも、トイレットペーパーはおかまいなしにビリっといきますけどね。

それでは皆さん、良い週末を!
シャバット・シャローム。

この記事が参加している募集

熟成下書き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?