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置き去りにされた記録 第5章〜両親との関係〜

子供の頃はそれなりに嫌なことも辛いこともあったけど大人になって親元を離れ結婚すると「お父さんもお母さんも一生懸命私を育ててくれたんだな」と感謝ができるようになった。
でもカウンセリングを進めていくうちに私のトラウマは夫の暴力だけではなく両親との関係も深く関わっていることに気づいていった。

私は長女として生まれ、2つ下に弟ができたけど弟は生まれつき体が弱く生後半年くらいで病気でなくなってしまった。
その時の記憶は私はない。
母親はとてもショックで葬儀の後もしばらく仏壇の前で泣いていたそうです。
まだ3歳くらいの私はほとんどほったらかしにされ、父親が仕事から帰ってくるまでごはんも食べず、おしめもそのままでただじーっとしていたそうです。
気がついたら私は言葉が話せなくなっていたようで、両親が慌てて私を病院に連れて行き私のケアをするようになったそうです。
子供を亡くして辛いのは当たり前。
悲しみで何もできなくなるのは当然だと思います。
父親が仕事に行っている間は祖母や叔母が私を見てくれていたようです。
でも小さな私にとっては母親の愛情が欲しかったのでしょうね。
母親の愛情が欲しいけど、子供ながらに母親を困らせてはいけないと思っていたと思います。
この頃からかもしれません。
「いい子でいなきゃいけない」「母親に迷惑をかけてはいけない」って思うようになったのは。

そして、また弟が生まれました。
今度は元気な子。
家族みんなで喜びました。

幼稚園に入ったくらいからはわりと記憶があります。
私が10歳くらいになるまで父親はギャンブルばかりしていました。平日は麻雀、休日は競艇と雀荘や競艇場に連れ回されていました。
母親は父親のことばかり見ていて、私が「行きたくない!」と言ってもまったく聞いてくれませんでした。
雀荘で一人でポツンと待っているのはとてもさみしかったです。
夜、母親が雀荘に行った父親を迎えに行くため家で弟と待っていることもありました。
弟はまだ小さく、もう寝ています。
私は怖いし、寂しいしで眠れません。
置き去りにされているようでとてもさみしかった。

私が10歳くらいになると父親が落ち着き、ギャンブルに出かけなくなりました。
理由は私に「ギャンブルばかりしているお父さんは嫌いだ!」と言われたからだそうです。
私は覚えていませんが、父親にとって私に嫌いと言われたことがとてもショックだったようです。

少しずつ家庭が平和になってきましたが、母親のヒステリーは相変わらず変わりません。
私は母親のヒステリーにいつもおびえていました。
悪いことをしたから怒られるのではなく、いいことをしたから褒められるのではなく、ただ母親の気分次第。
母親の機嫌が悪いとなにで怒られるかわからないので、いつも母親の顔色ばかり伺うようになりました。


カウンセリングに来てトラウマ治療をするまでこの子供の頃の生活も「たいした事ない」と思っていましたが、パニック発作を起こすようになって母親のヒステリーを思い出すことが一番苦しかったです。


そしてこの後また肺に穴があくことになるのです


つづく

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