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『ゴジラ-1.0』にみた日本道徳

まだこれから楽しむ方へ!(ネタバレなしゾーン)

珍しく映画のレビュー等を。
SNSで仲良くして下さっている方はご存じかと思いますが、私のSNSの投稿内容は、ほぼほぼ映画で綴られています。
今月はもう何本か映画館で楽しんで来ましたが、今回のゴジラ-1.0に限っては、ゴジラ生誕70周年!という事もあり、4DXで楽しんでまいりました♡

正直、言うても私も女の子。
ゴジラなんて子供じみたもの楽しめるような歳なんか?オバハンは、と言われたら、ほんとそれはそう!と思っていたので、4DXくらいじゃないと没入できないかも……と思ってましたが、むしろあの内容は、オバハンじゃないとぐっとこなかったのではなかろうか、と思うような内容でもありました。

そんなわけで、今回は特別企画で、長々とした映画レビュー行ってみたいと思います。

内容としてはこんな感じ。

日本が生んだ特撮怪獣映画の金字塔「ゴジラ」の生誕70周年記念作品。日本で製作された実写のゴジラ映画としては通算30作目。「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズをはじめ「永遠の0」「寄生獣」など数々の話題作を生み出してきたヒットメーカーの山崎貴が監督・脚本・VFXを手がけた。

舞台は戦後の日本。戦争によって焦土と化し、なにもかもを失い文字通り「無(ゼロ)」になったこの国に、追い打ちをかけるように突如ゴジラが出現する。ゴジラはその圧倒的な力で日本を「負(マイナス)」へと叩き落とす。戦争を生き延びた名もなき人々は、ゴジラに対して生きて抗う術を探っていく。

映画.com

SNSでは、生粋のゴジラファンの方々が、ゴジラと別の怪獣が戦ってなんぼだろ!なんて声もしばし散見されましたが、オバハンはあれでよかったと思いました。日本が生んだ特撮であれば、日本でしか描けない話を描くべきだと感じた部分と、生誕70周年、ゴジラを通して描かれたものは誇るべき日本道徳だった!と感じた部分で、とても良かった!

ゴジラ出すから良しとしろ!のような内容大味でも問題ないです、を回避して、人間ドラマもしっかり描かれていたので、とてもとても楽しめました!

一部、インデペンデンスデイの演説を彷彿させるような熱いシーンもあり、あの辺りの映画がお好きな方はとても楽しめると思います。

皆さん、是非、映画館で観てね♡
大きいゴジラの方が迫力があるし、今回の舞台は海です。全部がでかい!
4DXはそれに加え、波で揺られるし水しぶきかかるしで、数倍楽しめましたよ♡

さあここからはネタバレゾーン(未鑑賞の方はお付き合いありがとうでした)


はい、ここからネタバレしていくので、まだ鑑賞なさっていない方はお付き合いありがとうございました。以降は観た方に対しての感想の共有となります。回れ右してご退場頂ければ幸いです!


特攻隊で死ぬのが怖かった神木君演じる敷島氏。当時は皆が皆、お国の為に命を投げうってなんぼで、無事に帰ると生きてる事が申し訳ないと思う、そんな時代でした。皆怖いけどやるしかない、そのやるしかない、に抗ったのが敷島氏。ひとり逃げ出して助かりました。

だけど、それを誰が責められるんだろう。みんなやってんだからお前もそうすべきだった、なんて、今の時代では全く考えられない事です。だから、その命令に抗った彼の気持ちもわからんでもない。

あの映画の中で、敷島氏が海を見ながら物思いに耽っている時、一人の青年が近づいてきて言うのです。「やってもやらなくても日本はどのみち、負けるよ」と。前線に立っていた人達は知っていた。でも、当時の日本はそうではなかったんですよ。多くの日本人が、なんとなくどこかで気づいていても、中途半端では引き返せず、この戦争は日本が勝つと思っていた。だからその夢を形にするように新聞もラジオも刷られ、放送された。国民全員が余計に、いま日本は勝っている!と思っていたのに、急に負けを知らされる事となりました。

人の求める方向へメディアは動く。どうせ死ぬ、前線に立っていた人達はわかっていたわけです。日本は既に負けてるんだから、と。

そこで、特攻隊なんて言われてもそりゃ嫌でしょうよ。絶対死ぬじゃん。。周りは出来ている事が自分にはどうしても選べない、敷島氏はそんな自分を責めたわけです。自分は聞き分けが悪いよなって……。

あなたは何も悪くはない、時代が悪いよ……とオバハンはこの時点で、涙(早)

今の時代の私達は、その結果を知っているからそのような答えが出せるけれど、当時の状況だと、勝ちは決まっていた(はず)なのにこんな意気地なしがいたから戦争に負けた!として彼を罵る安藤サクラの気持ちもそれなりに理解はします。。ただし責めたところで、死んでしまった子は戻らない!でも、悲しいけれどそれも人。何かに当たり散らさないと自分を見失う!なんて時もありますね。。そもそも全ては戦争なんかするからだ!って話なんですが……まぁ、起きてしまった事象は仕方がないです。


観た方専用なので皆まで内容は申しませんが、敷島氏の元に独りの女性と更に血の繋がらない童が転がり込んできて、いつのまにかなんとなーーく失くした家族の再建を日々生きる中でやんわりとこなしていく。でもそれさえ奪われてしまう。大筋はそんなところです。

その時に敷島氏は気づくわけですね。初めはどうでもいいと思っていた女と更に血の繋がりもないからどうでもいいと思っていた子供と、家族らしき関係を結んで人との関りを持ち

自分を生かしていたのは自分ではなく、そういう物(周りの人間との関係性)だったであろう

という事を、彼は深く知るわけです。彼が特攻を決めたのは、何も万人の為ではなく、あの時自分が、親ではないからだとか、あれは妻ではないから等と簡単に人に"あれらは厄介者である"との態度で語った自分を恥ずかしいと感じて、特攻に踏み切るわけです。

その事にどのくらいの人が気づいたんでしょう。
相手の事が好きだから!ではなく、人を蔑ろにしてしまったそんな自分が恥ずかしい!こんなだから俺は!と自分を恥じて初めて誠実に自分の命や生きる事と向き合ったのだ、というのが、踏み切った理由だという事に。


この辺りは、昨今よく聞く「連れ子虐待死」に関して、自分を生かしているのは他人云々関係なく、周りがあるからで、己が自分の力のみで生きているではなく生かされていると感じるべきだよ、という現代へのメッセージ性も含んでいるなと思いました。

どうせゴジラに踏みつぶされて死ぬのであれば、それを自分に教えてくれた人の為に命をかけよう!と思うところが、漢だね!なところでした。日本の道徳上、仏教の教えが基本にあるわけですが、そこで一番唱えられるのは『感謝』という言葉でもあります。

生きる上で、自分だけや自我の我欲のみで生きず、誰かに優しくする事、誰かの為に生きる事・考える事で、初めて周りからの協力や信頼を得られ、いざとなって困ったら誰かが自分を助けてくれる。それが人の生きる道であり、理です。道理、というやつですね。

さて、劇中でその役を買ったのが橘氏、その人です。
口には出さなかったものの、そんな漢としての敷島氏の姿を見て、その大切なものを命続く限り面倒見なさいよ、として託したのが脱出装置。あの部分は、橘氏の応援でもあり、協力の部分でもあります。お前が漢になるのなら、俺も男だ!という言葉にしない友情なわけです。

何かを助けると困った時は必ず誰かや何かに救われる、手放してしまった日本道徳をゴジラにみた!という縮図がそこにありました。

最近はこうした、何かの為に、や、誰かに親切にする、がやや希薄な日本でもありますが……先日みたyoutubeの動画に、道で苦しむ人や、連れ去られようとしている人がいる場面に遭遇したら各国の人はその時どうするのか、反応の違いを検証するという面白いシリーズがありました。多くの国の人は見過ごすやり過ごす、その中でも日本人だけは明らかに違い、専門家たちも驚愕する結果を呼んでいるらしく『日本人には困っている人がいると助けるというDNAが組み込まれているのだろうか?』と話題に。

その中でインタビューを受けた女性が、私達は困った人がいれば助けるのが当然として教育を受けてきたからそれは極めて普通の事だと語り、他国の方々が「日本やべぇな!」となるという動画なんですが、映画のゴジラとなると各国の人が観るであろうし、日本の街は戦争によりこんな風になった、こうして戦った人たちがいた、も理解でき、これが日本道徳だ!が全面に出せて良かったのではないでしょうか。

劇中でも、博士が「日本は戦争で多くを失った。だからこの戦いは、一人も失わない戦いにしよう」というシーンがありましたね。まさに、そこが、日本教育の賜物だな、という部分で、結果、一人も死ななかった!(最後までw)

というわけで、私はとても楽しみました。
日々、生きる事は個々の戦のようなものですが、出来る限り、誰も傷つかない方法を採用しつつ、戦い抜いて行きたいものですね♡

それでは長々と!お付き合い、ありがとうございました!



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