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今年読んだ本三選 二選目

今年読んだ本三選-その➁-

※その①はひとつ前の記事となります!※
私の好む本のひとつに"ノンフィクション"というジャンルがあります。小説には小説の良さがありますが、うまい事できてるなぁ~!という感銘を受けるような作品は、これは後に映画化決定だね!と思っている部分もあるので、活字で読むならノンフィクション!!
(因みに、の話で申し訳ないのですが、この歳になって私は将来、ノンフィクション作家になりたいと思っています。)

私の愛するノンフィクション作家さんは日本にも何人かいらっしゃるのですが、今日はその中のおひとり、石井光太さんの作品をご紹介。

2022年7月27日に刊行された石井光太さんの『ルポ誰が国語力を殺すのか』を二選目に推したい!

出たの去年の夏やないか!と言われそうですが、私がやっと読書に取り掛かれたのが今年2023年となった為、少々出遅れでご紹介です、すみません。。


石井光太「ルポ誰が国語力を殺すのか」

2023年ピカイチ怖かった作品

見事なホラー作品でございました。正直、どんなホラー作品よりも怖かったです。初めの数ページを捲って、即『こんな怖い本、生きて来て初めて読んだかも……』とSNSで呟いたほどに怖かったです。

冒頭、石井さんが都内の小学校四年生の授業を見学なさるところから始まります。子供たちは班になり、意見討論をしている。
「死んだお母さんを鍋に入れて消毒しているんだと思います!」
「私達の班は違います!もう死んでいる人を消毒しても意味がなく、昔は墓がなかったので燃やす代わりに煮て骨にしていたんだと思います!」

ここの部分だけを読んでもかなり際どい教材を使ってるんだな、と思ったら……なんと!新見南吉の「ごんぎつね」の、とあるシーンから教師が
"このシーンは何をしているところでしょうか?"
と投げた事による討論会だったようで、いやはや度肝抜かれましたね!(笑)

頭の中で(ぇ……待って……ごんぎつね、そんなホラー展開な話だったっけ……)と思い返し(ぁ……まさか……あのシーンの事か!?)と思ったら、その通りのシーンでした。

何をどう読んだらそんな事になるのだろう、とごんぎつねだけに狐につままれたような気分になりましたが(誰がそんなうまい事、言えと!)これはきっと、大家族から核家族になった弊害等もあるのでしょう。葬儀らしい葬儀もなくなった昨今、弔事に関して経験が少ないからかしら……とも思いましたが、それにしても、そんなホラー展開、ないだろ!と、「ねずの木」を始めて読んだ時のショックがよみがえる!!(笑)こわい。やめて。

……とそのような冒頭から始まり、現代で使われている用語のたった数語で彼らの言葉が成り立ち、そこに齟齬が生まれ感情的になり殺し合ったり、無駄に傷ついたり傷つけたりで勃発する事件の内容が描かれたりして、では
「読解力の問題なのか」「学力低下の問題なのか」「それともそれが現代の普通と呼ばれる状態なのか」
と、それらが何を表しどこへ向かっているのか、を詳細に調べ上げた一冊になっております。私に色々を考えさせてくれた良書です!

全てを読み終わり、本を閉じた瞬間、私が伝えたかった事がほぼ届いていなかったな!と最近よく感じたり、SNSで謎に絡まれたりするのはそこだったか!!と言葉を発するのが、甚だ恐ろしくもなりました。。

この本を選んだ理由

この本がドキュメンタリーとしてとても素晴らしい!
他の書籍とは一線を画す!と思った理由があるのです。それは
『読み終わった後にどういった感想を持つか』までもを込みで、この一冊が出来上がるという事にある部分ですね。

石井さんは、この本のタイトルで投げかけていらっしゃるわけです。
『誰が国語力を殺すのか』と。これ、正解は、現段階で大人である私達ですよ。これからの日本を担う子供たちばかりの問題でもなく、学校教育ばかりでもなく、多くは国民全体の問題であるという事。

幾つかのレビューを拝見したところ、誰が、という部分に囚われて
「タイトルを見て買ったのに正解がなかった」というような意見がありましたが、政治的な内容で何が悪いかにが悪い、と指し示すようなものではないです。正しく読んで欲しいと書かれている内容に対し、自分はこういう物が読みたかったのに!という意見を拝見し、一体何を読んで学んだんや……人は自分にとって都合のいい事しか受け入れないのそのまんまやないか……となるのも、この本の面白いところでした。

個人的な読み込みポイント

ここからは私個人が感じる事を述べたいと思います。完全な読書感想文となってしまいますが、お付き合い頂けると幸いです。

読解力や学力の低下も問題ですが、一番に、言葉を軽んじている部分が大きいような気もしました。伝わればなんでもいいから!のような、上澄みだけで物事が流れていく状況には、確かにここ数年がっかりする事も多く、行間にあるべき"そこに添った感情や含み"が省かれて、説明だけの文章も多く見受けられるようになりました。私が、最近あまり小説を読まなくなった理由にはそれがあるんですよね。。どことなく、何かの説明文を読むような気分になる。IKEAの家具を組み立てる説明書だったり、小難しい電子機器の指令の出し方だったり、そんなように受け取れてしまう文章を目にする事が多くなりました。

日本語という言語は大変に優れており、他国はアルファベットのみで仕上がっているところ、私達は言語として、ひらがな・かたかな・漢字までもを駆使する民族でもあります。口語や言語には多くの仏教用語が組み込まれており、それを私達は日々使用しています。その一語には、実はとても重要な意味合いがある、というような言葉が沢山あります。人々や日本社会の根底には仏教という道徳が言葉によって組み込まれている、という事を忘れてはなりません。社会通念上、他者を思いやる事が道徳としてこの国が出来上がっている限り、コミュニケーション上でも、何かを伝える=個人が道徳心を持つ・誰かに伝える、という形が日本語という言語としての成り立ちです。たった一言で人を生かす事も出来、逆に殺す事も出来る。そして、それはとても個人差の生まれる行為でもあります。その言葉ひとつにどのような感情をのせるか、これで相手が嫌な気分にならないか、の想像力も必要となります。

例えば、ありがとうは漢字で書くと、有難うであり、有り/難き、です。要は、当たり前にあるわけではなく、本来であれば無くて当たり前なところ、あなたがもたらしてくれた幸せに対して感謝です!が、ありがとうです。
たったの五文字で、深い感謝を表す事の出来る優れた武器をうまく使って、誰かを生かせる人間でいた方が皆が気分よく誰かに優しく過ごせますよね。

現代社会は皆が皆、生き急ぎ過ぎていて、その分生活が便利となって工夫がいらなくなったので、あまり物事を深く考えなくてもよくなりました。ボタンひとつで身の回りが、自分のいう事を聞いてくれる。そうした部分で無駄を省くのは忙しい社会では仕方のない事かもしれませんが、言葉にある力を軽んじてはいけません。言葉は自分の感情を表現し、誰かを生かすものに使われるべきで、ボタンひとつで自分のいいなりになる便利な道具ではないのです。使った側も誤ると、本当に反省させられる事となる。。自分を映す鏡のようなものです。

「言霊」のような言葉そのものに力がある、というような大それた事は申しませんが、言葉には使う側の質や徳や気品、教養がダイレクトに見えます。誰かの為にうまくいって欲しいな!と祈る時等には、やはりその感情がその言葉に乗っかるので、そうした意味で、生かす殺すがあるため、感情を伝える武器=言霊、と呼ぶのだろうと個人的には思っております。

いまいちど、言葉の意味を考えるのに大変優れており、現代の言葉によってうまれた事件は大変怖く、読み物としてもルポとしても、考えさせてくれる良書でした!皆さんも読んで下さったら、感想一緒に語り合いましょう!


石井光太『ルポ誰が国語力を殺すのか』




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