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雨奇晴好

すれちがい

私が結婚生活に望んだものはごく一般的な、持っている人は持っているであろう物ばかりだった。これと言って、何か特別を望んだわけでもなかった。小さなものなら、炊飯器、食洗機、大きなものなら、家つまりは団らん、そういう物を求めていた。特に、現代でいうところの親ガチャに失敗している私は帰る家を持たず、他人よりもその憧れが強いように思う。

結婚生活で臨んだそれらはかなえられる事はなかった。かなえられたとしても、何かを妥協せざるを得ない状態で望まぬ物の方が大きかった。代表的なのは、家で、私が定住を拒んだ地域に根付けさせようと、ボロボロの、会社員の一ヶ月の給与にも満たない額で買えてしまう家を購入されたりもしたけれど、私は端からそこには興味はなかったし、逆に無駄な買い物だったのではないかと思っている。

物には全ての理由があり、炊飯器や食洗機を欲しがったのにも理由があり、三人の子供の面倒をみているだけで自分の時間等は手に入らず、目の離せる時間が欲しかった、というのが、その理由。土鍋で炊かれる美味しいご飯は有難い。美味しいお米を作る生産者、一生懸命鍋を作る人達、それに並んで「炊く人間」がいるから、その米は美味しいのだ。それを炊いてくれる人間がいなければホクホクのご飯は口には運べない。そういう事を当たり前の事として捉えられた事が残念だった。

最終的に結論として、一番に何が足らなかったか、を考えると、寄り添いが足らなかった。私の求めているもの、相手の求めているものを擦り合わせていく必要があり、私が何故それを欲しがっているのか、を考えてくれようともしなかった部分に、自分への愛のなさを感じてしまった。商売をしていて一番大事な事は、消費者の求める事は何かであり、その意見が出るのは何故かと想像を働かせる必要があり尋ねる必要もある。そこに皆まで語られる事のない事情が横たわっていて、相手の求めている物に対する意識をこちらが具現化していく、可視化していく、という事が提供側には求められる。自分がしたいからお前はそれで満足しろ、文句があるならよそへ行け、は、ただの傲慢で押し付けに過ぎない、という事の真髄を最初から最後まで学ばなかった人であったし、一方では、私が甘さからそうさせている原因であるのかもしれない、とも感じていた。

どちらにしろ、私の願いは、小さな物から大きい物まで叶わなかった。私はそれらに疲れてしまった。もう少し私の意見にも、耳を傾けてくれていたら私の結婚生活はうまくいっていたように思う。愛される、という事の根本は、つまり、相手の存在をきちんとあるもの、と受け止めて、それに対して何をどう感じてその意見が出たか、という思いやりがあるか否かのとても簡単な事のように思う。但し、想像力を働かせる事も、受け入れる事を初めから出来ない人間、というのも、この世にはいる。良い結婚をしたいのならば、自分の意見をきちんと受け止めてくれて、忖度なしの中立な立場で物事を見据える事ができて、あなたのよいところをひとつは褒めてから、でも・だけど自分はこう思う、という適切で全うなフィードバックの出来る相手を探すべきだ。

私はその結婚生活の中で、とても不自然だった。妥協をする事をよしとしてしまった自分にも大きな落ち度がある。ある部分では本当に愛していたので、私がこれから幸せになる時には、祝福して欲しい、と思う。


愛すべき子供たち

さて、話を移そう。
来年、長女が高校へ進学する。次女は中学校に上がる。三女はようやく四年生となる。我が家の子はそれぞれに気質が違うのでなかなか難しい。高校へ進学する歳の長女は小3の後半から学校へ通えておらず、中学になる歳を迎え、少し過ぎた頃から三女の通っている障碍者用のデイサービスで日中を過ごしている。その中でも、自分の行きたい道が決まったらしく、それには学校程度はでていないと将来的にも安定のしないものなので、通信制の高校に通う事になった。

次女は、越して来てすぐに小3の三学期だけ近隣の学校に通ったものの、小4に進級する年、三女の通学先が支援級で少し遠くなってしまう事を理由に同じ学校へ転入する事となり、やっと腰が落ち着いたところだった。そこへ来て、せっかく出来たお友達と中学進学を期に離れてしまうのは多感期の子供にとって大変可哀想な話で、現在の小学校から皆が通う中学校への進学を私共々に希望、その希望隣接校の受け入れは今年は5人のみ、という針の孔を通すような話で、学校にも教育委員会にも事情を話し、どうしても、と頼み込んでいるところである。

三女は三女で、デイサービスを並行して3つ掛け持ちしているのだが、コロナの影響もあり従業員の手が回らず、送迎に支障が出始めたのでもうひとつ増やしてくれないか、とのこと。

長女、次女、三女、それぞれに準備が必要で、私は私で仕事をせねば食わせてはいけず、平日は最低ライン19時まで会社に拘束の身、家に帰って家事に育児に子供たちのカウンセリングに介護的作業……と気づいたら嵐のように一日がおわってしまい出向くところへも出向けないので、会社の昼休みに各所に連絡をとり、郵送で済ませられるものは郵送でとしているが、それでも受験や制服あわせや面談、となると、休みが増える一方である。母はいつか自分のクビが飛ばないか、心配!


国の支援

ひとり親の助成支援というのはそれなりの申請と審査が必要であり、学校の兼ね合いもある。離婚をしたら速やかに全てが自分名義でないと、誰かの援助があると見なされ、ひとり親助成がおりない仕組みになっている。現時点で引越しをするのはまず無理だ、と離婚時に判断した為に、現住居の名義は元主人のままである。ここら一帯の家賃相場は3LDKなら最低価格は18万くらいから。現家賃は21万である。

稼ぎ手の女性ひとりの給与なんてたかがしれており、更には16年という社会性のブランクもある。学校が隣接だとしても区域内にとどまる事を条件とされてしまうのでおいそれと引越しもできず、だからといって、家の名義変更となると、家賃を+ひと月分納入せねばならず、進学のこの時にそんな道を選べない。

どうした事か、と悩んだ挙句、離婚時に申立書という物を連盟で提出した。年内に引越す予定である、といったもの。のっぴきならない事情があって、年内には引越すつもりでいるのでどうかその辺りを加味して援助して頂けないか、その代わりそう告げた限りはそうするので、何卒!というものである。それで、なんとか、我が家のいまの安泰が保たれている。


やんごとなき展開

日々、そうして過ごしている最中、仕事中に一本の連絡が入った。
ふとlineを見ると、長女がママ、ママ!と何度か呼んでいる。仕事をしていたので見るのが遅れてしまった。急いで連絡をしてみたところ、デイサービスへ出向こうと思い蛇口をひねったところ、水が出ない。水道が使えなくなった!というイレギュラー発生に大パニック。自閉症傾向の強い子には、この小さな変化への対処が難しい。私が呼びかけに応じない事でパニックになった長女は頼れる先を失くし、すぐさま、元旦那へ連絡。

長女に渡してある私の銀行口座のひとつへ別口座からネットでお金を送金。数分後には処理されるはずだから、コンビニへ行きATMでお金を引き出してテーブルの上に置いてある請求書から支払ってこれる?大丈夫?と片手で仕事をしながら、lineで指示を出し、戻ったら支払った明細を写真にとってこっちに添付して欲しい、連絡先が載っているはずだから私からすぐに開栓してくれるように電話をする、で、なんとか指示通り行ってくれて、事なきを得た。当然その日は、仕事が思うように進まずで上から詰めのお咎めが。する事をしているつもりでも、頭を下げる事が通常となってしまった。

そうこうしていたら、今度は翌日に携帯が止まった。朝支払えば開通するだろうと思い、一ヶ月分を納入、それなのに昼になっても開通しない。。なんなの、そもそもこのバカ高い金額なんなの……そう思いながらキャリアに問い合わせると「前の一ヶ月分の支払いがまだです」との事。引き当てしてくれないのが携帯会社。本当に気が利かない。わかりました、支払いに行きます。。。

ヘトヘトになって仕事を終え駆け込んで、一日で二ヶ月分、10万前後のお金をぶんどられ、私は一体何をしているんだろう……昨日と今日だけで軽く15万は使ったぞ……と思いトボトボ歩く帰り道。それでも戻ったら、疲れたなんて言わずに、待たせてごめん!すぐにご飯の支度するからね!と動かねばならないのか、と思うと、一息つく暇もなく、涙がこぼれそうになってしまった。

親がこんなでごめんなさい。好きで産んだくせに!と言われたら、本当にそうだね、としか言いようがなく、親ガチャ失敗した!と言われたら本当にそうだと思う。良い親でいられないかもしれない。でも、どうにか、頑張っているからそこだけわかって!そんな風に思うのも、また私の勝手であると知りつつ、少しだけ、それを願った帰り道だった。

そこへ。lineを開くと、元旦那の一言が。
『子供たちが可哀想です』
あぁ、それはごめんね。出来る事は必死にやっているけど、足りないと言われたらそうなんだろう。

"でもね、その請求、水道代は婚姻中の月のもので、携帯代に至ってはあなたが従業員に持たせてた回線代全て込みなのよ"

『お前が男なんか作るから、悪いんじゃないの?』
そのセリフに言葉を失う。何故わかってくれないのだろう。何故、私が折れていたからその生活が続いただけだという事や、それを受け入れるとこれからもずっとそうである事や、失ったのはあなただけではなく私もだ、という事を、何故、理解してくれないのだろう。しかも、ここには、大切な命があって、それらを守る事と、私が別の人と過ごすのは全く関係のない話であって、敵意むき出しでこられるそのサマに、もう話せる事はなにひとつないな、と思った。大事な家族を壊した、それは私だけの落ち度なのだろうか。私がおかしい?幸せになってはいけない?そればかりが渦をまく。子供が、ママが男なんか作るからだよ!私の人生が台無しだ!と言うのなら聞くに値するが、私はあなたのママではない。もう言い返す気力もわかなかった。


適切なフィードバック

私達がいがみ合う前に必ずしなければならない事がある。それはあの子達の将来をきちんと考える事だ。これは何に替えても優先せねばならない。
私は家族という名のそれらを壊し、彼から大切な家族を奪ったとされている。母親として不相応だ、と言われている。だとすれば。出来る事はただひとつ、である。

「私は外で仕事をしている。拘束されている時間も長い。自分の自由にはできないので、何かがある度に休んでいたら、会社でのポジションも問題になって来る。そこへ来て、年末までに引越しをするというミッションもある。私は自分の出来る事をやっているが、これ以上を求められると体がひとつしかないので無理がある。

それらを考えた結果のご提案なのだけど。あなたのだいじな家族をそちらに返す。そうすれば家の名義変更もしなくてよくなる。あなたは経営者なのだから私よりも断然、時間は有効に使えて、支出も楽だろう。

あなたはこのままここで子供たちと暮らして、ひとり親の名義を切り替えれば、全てがうまく回るのでは?上の子の進学の奨学金の申請も出来るし、ひとり親の助成だって出る。親権と養育権を渡して、お前だけ出て行け、出て行くなら養育費入れろ、と仰ったので少なくてもそうさせて頂くつもり。

今、大切なのは、あの子達が何不自由なく教育を受けられる事で、私は傍に暮らして、あの子達が迷った時に立ち寄れるシェルターのような立場になろうと思う。母として失格だと仰るのであれば、それ以上を自分なら出来る、という事なのだろうし、それでどうですか?」

答えはYESだった。年末、私は、親をやめる。
考えに考え抜いた事だ。教育は大切だ。将来、生きていくのに、足を引っ張る。疎ましく感じる人生よりも、あの時こうしてよかった、が増える人生であって欲しい。痛みがない、と言えば、嘘になる。でも、そのくらい、本当に人生を左右するのが教育でもあるので、いつか社会に出る子達に、私のいまの痛みなどは値しない。代わりと言ってはなんだが、面会の可・不可を定めないで頂きたいと伝えた。あの子達の頼れる場所は間口の広い方がよいし、法律が邪魔をしてあの子達の在り方をかえてしまうような事はしないで欲しい、とお願いをした。自分にいい人が出来て、新しい母親が出来た時は困るが、と言われた。

私は、あなたの、そういうところが嫌いだ、と思った。

子どもが頷かないような相手を迎えるべきではないし、子どもだとしても一個人だ。彼女達が求める物が正であり、親の権限で、あちらとあうな、は、違う。ぬくぬくと育てられてきた差がそこに出る。本当に、そこだけは、暴れたかった。


人としての権限

人は大人であろうと子供であろうと、それぞれに、それなりの意見がある。私は幼い頃にその権限を奪われた。親が勝手に決めた離婚であり、私にとってはそのどちらも、親である。選べ等と言われても選べないのが当然で、子ども心に、こちらを選ぶとこちらを傷つけ、で、口になど出来たものではない。

そうした、口に出来ない苦しみを、まるでなかったかのように、選べなんて言われても難しいわよね、の一言で片づけられるのも違う、と思っていたし、私は私で選びたいものもあったが、もしかしたら自分の存在自体が厄介ごとなのかもしれない、この離婚の争点であったのかもしれない……そう感じていた側にとって、選ぶという事は余計にもめ事を大きくするだけだ、と思い黙っていた。両親のどちらも信用などしていなかったし、心を開こう等と思った事もない。

それらを自分の子供達には味合わせたくなかったので、ここまで離婚を口にせずに来ていたが、もうそれも限界を迎えた。子供たちが、顔を合わせるたびにいがみ合う事で傷つき始めていたのだ。出来る事は離婚、これしかなかった。

私は急に現れた、私をひどい目にしかあわせなかったどうでもいい義父とうまくやる事を強いられて、うまくできなければ翌朝に母親の首元に掌のあとが残っているような状況下にあったので、極力は頷いた、でもひとつだけ、頷けない事があった。

「学校に行きたいなら、学校に行かせてくれ、と頭を下げなさい」
そう言われたのだ。私は勉強が好きだった。小学校時代の全国テストでは一・二・三位をおさめた記憶もあるし、将来は有望だと言われていた。でも、果たして、そこまでして?

ただでさえ誰も傷つかないように、言われる事に頷く日々だった。ストレスが極限まで到達していた私は自分の爪を全て剝がしてしまうという自傷行為に及んでいた。心が、血を流していたのに、母親はそれでも、相手の男の味方をした。頭をさげろ、だって?ふざけんなよ、そう思っていた。

「行きません。私は勉強が嫌いです」
『は?なに言ってんの?』
「言いました。勉強が嫌いです。行きません。だから頭も下げません」
『じゃあ働いて、家に、世話になってますってお金でも入れて?』
「そうします」

人生がボロボロになるな、そう思いながら、狭い部屋から切り取られた窓の外の色が変わっていくのを眺めた。おかげ様でその後、生きるのに、苦労した。どこへ行っても、就職時には落とされる。面談までこぎつけられればマシな方だった。よい学校を出ていない、ではなく、最低限の教育をうけなかった、という事で。

私はそれをさせたくはないのだ。自分の子供たちがその道を選ばざるを得ないんだったとしたら、全員殺して私もしんでもよい、とさえ思う。でも、それが出来ないのであれば、せめて、子どものしたいように、選びたいように、間口は広くとっておいてやるべきで、もし元旦那に新しい人が出来たとして、その人を本当のお母さんだと思っているからママなんかいらないわ、そういうのであれば、それが一番、彼女達にとって幸せだと思っている。だから私は、今のところ、親という立場を退く。後は、彼女達が落ち着いて選べる時がきたら、その意見を迎えてやればよいだけだ。私は年末で母を辞める。

それはほっとしたような、寂しいような、なんともいえない感情だが、人は選択が出来る。その選択には必ず責任がある。彼女達を産んだのは私だ。だから私には、それなりの責任がある。離れたから知らないなどというつもりもなく、現に私は、離れてしまって育てられてもいない父に、お金があれば送金しているような、そんな人間だ。人がよすぎる、他人からはそう言って笑われる。産んで頂いた感謝と、感じて来た生き辛さは別である。そこは、恨むべからず。自分のすべき事はきちんとしようと思う。

人としての権限は、与えられるものではなく、掴み取るものだ、とも少しだけどこかで感じている。但し、与えられるのは、大人だからだ。子供の内は多くを与えられるに限る。全ての命に、選択に、個人の権限がある。誰かの意見に頷かせる事が、何かを大切にしている事かと問われたら、それは違う、と反対して抗って、いいよ。

私はまた、いちいち俺の事を悪く書くの、なんなん?俺の事を嫌いなのはわかったから、と言われるだろうが、振り返ると全てが地雷であるのは確か。

訥々と話しても、現状こうです、をお伝えすると、そうなってしまうので仕方がないし、私からすると、何故それを悪いと気づいているのに寄越すの?がこちらの意見であり、私は私に誠実に物事を述べているだけの話なので、許して頂きたい。私のこれらを読んでも
「だからって、不倫していいのか?」と思う人もいるだろうし、人間、自分の都合のよいようにしか解釈しない生き物だから、どちらが正しい等として貰わなくても、別に良い。私がそれらを辛かった、と思うように、誰かにとっては、不倫された、という事が辛かったからそんな人間は許せない、であったとしてもそれは一意見なのでどうぞ、と思う。それに、そうした人にも味方がいて然るべきだとも思うし、権限と尊厳というのはそうした物だ。

私はこの件で、あいつはひどい男だった、と訴えたいわけではない。私は、子どもについて、自分が経験した事から感じる、同じ思いをさせたくはないと思う、について書いている。

どう解釈されようが、構わない。


この先の事

この先の事をここに書いてしまうのは憚られるため、別記事として、このまま書こうと思っているが、多くのひとめに触れる事を避けたいと思っている。子供の未来を左右してしまう懸念があるからだ。

続きを読みたいと仰る方には個別でキーを投げようと思うので打診して下さい。※ただし、読み手の受け取り方も考えて、発行する・しないの権限は私にお任せ下されば幸いです。私が発行できないと思う方がいらしても、それは、お断りをするという事ではなく、傷つけてしまう可能性があるから、という意味で理解して頂ければ幸いです。何卒ぉ!


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