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絡まる事情

何度も何度も説明しているように、私たち夫婦は恋愛結婚ではない。


数日前に私に彼氏がいる事を発表した。
何も知らない人は、やれ奥さんが、や、旦那さんとしては、や、うちは商売を営んでいる為、店としてはどうか?や、店のイメージを下げやしないか、が殺到した。

起業当時見向きもされなかった我がブランドがこうなったのは、社会概念に歩調を合わせなかったからであり、他所とは少し違った事が大きな利点となった。他所様と同じ事をするのであれば、何もうちがしなくてもいいのだ。
平凡で、社会に馴染む、よくもなく悪くもない型押しの"無難"を大枚叩いて持ち歩けば良いのだし、そういう人はそうあるべきだと私は思う。

大した仕事もしてないくせに口ばかりは大きい、と言われそうだが、経営する側はそれくらいの強さを持ち合せなくては抜きん出ない事など、何かに必死に打ち込んだ事のある人ならば皆まで言わずともご理解頂けるかと思う。それは我がブランドの、ある種のプライドだ。


さて、話は冒頭に戻るが、この、私に彼氏がいる、という件は随分と物議を醸したようで、結婚しているのに彼氏がいるとは何事だ、となった。結婚している身分で隠れて恋愛をしているのであればそれは不倫や浮気であるが、私は隠しはしない。隠れてする行為は、誰にとっても失礼だからだ。
主人にとって失礼な話であるし、相手には隠される程度の存在なのかと思わせてしまう事が失礼に当たるであろうし、私は私で気持ちに嘘をつく事になり、誰にとっても良い結果にはならない。隠れてしなければならない事であれば、後が面倒くさいので初めから、しない。これは誰に伝わらなくても私なりの正義であり、誠実さだ。


今の主人との結婚に踏み切る際、私は初めから結婚等をするつもりもなかった。なかったが、こうなった。この結婚の少し前、私は大恋愛をした。後に婚約し、その相手が死んだ。その相手の死を、私の責任とされた。永遠に引き離れされた上に罪を背負わされた。私には彼しかいなかったし、独りきりになってからは私も死ぬ事ばかりを考えて過ごした日々だった。当時の私の仕事はある程度の実力で熟されていた。大きな仕事を任されていたし、世間からはエリートと呼ばれる組織の人間だった。主人と出会ったのは、それら全てを手放した後だった。中身としての私は死んだ。入れ物としての私は、どうしたら手っ取り早くこの世と離れられるのか、毎日、身を滅ぼせるありとあらゆる事ばかりを考えていた時だった。死んでしまえそうな事はなんでもした。怖い人たちの集まりに突っ込んでいっては殺してほしいとお願いをしたり、死んでも文句は言わないから何かやばそうな仕事はないのか、と彷徨って生きる日々だった。出来る限り、何についても、明日が来ることを拒んでいた。

そこへ今の主人が現れた。私の当時の状況もよく理解していたし、私がそのようにしか生きられない事も知っていたし、誰を愛しているのかも、よく知っていた。今この人を助けないと本当に死なせてしまうだろう、ただ純粋にそう思ったそうだ。私は私でこの先誰にも恋なんてする気はないし、その申し出は有り難いけれど断る、と、断った。でも、主人のあの性格なので、そんな私をかっこいいと思ったのだろう。

「自分はのちに自分の腕で独立するつもりだ。俺の事を好きにならなくてもいいから、その人の事を好きなままでいいから、手伝ってくれないか」

そう言った。そう言われても、そんなクズのような生活を二年近く重ねていた結果、私の暮らしは日陰に隠れ、人様に預けられるような状況にはなかった。開けたバッグから銘柄の違うたばこがゴロゴロ出てくる。痕跡を残さない為に相手に合わせて吸っていたもので常に7個~12個が入っていた。主人は不思議がったので、いちいち説明するのも面倒で
「それだけの男と常に寝てるって事よ」
と言うと、全員と話をつけて関係を断ち切らせる、と言い出し、実際にそうした。なんという力強さだろう。この人ならば、やるかもしれない、そう思った。

そんな風に始まった結婚生活だったので、長女を妊娠した頃には、主人にはよそに彼女がいた。ただ、その頃は身重な私は働けず、収入もいっぱいいっぱいだった為、よそにお金をかけていると生活が危ういと思い、その点だけは腹が立った。気持ちの上で腹がたった、や、独占欲や所有欲で私の物に手を出した、等という感情はなかったし、当の主人は、数回しか寝ていないけれど射精はしなかったから一線は超えていない、という妙な言い訳を残した。別に良かった。目的が違う。

私を救った主人の夢が叶えば良い、その為に私がいる、私の全うすべきはそれだけだ。何故なら、私の愛した亡き人は私を守って死んだ。私が生きる事、私がこの世に残る事が亡きあの人の願いなのだ。私は愛する人にだけ忠実な生き物だった。そんな私を、主人はかろうじて絶望から救ったのだからその夢は叶えてやるべきで、どんな思いをしても十年はやりきろう、と誓った。どうせ死のうとしていた命だ。大した事では揺れやしない。十年たって芽が出なかったら、その時は向いていなかったと思って、諦めて?
そんな状態で結婚生活が進んだ。

結婚生活は散々だった。人並み以上の貧乏もしたし、主人もまだ若かったのでうまくいかなければ当たり散らし、それでも文句を言わない私にも余計に腹がたっただろう。自分の小ささを見せつけられるだけだったから。私はなかなかにひどい扱いを受け続けた。それでも十年の我慢だと思っていたし、私自身を支えられるのは、亡くなったあの人の存在だけだった。しかしこれが功を奏していた。主人と、普通に恋愛をして結婚していたとしたら、支えきれなかったであろう状況がそこにあった。

何かを成し遂げようとする時は、それ以外が疎ましく感じる事がある。私自身も大きな仕事を任されてやってきた人間だったので、その感覚はよくわかる。だからといって辛く当たらなくてもいいのに……とは感じていた物の、正直この辺りは、男よりも女の方が芯が強い。主人の野心の裏側で隠れて泣くのはいつも女子供で、浪花春団治ではないけれど、芸の為なら女も泣かす、あの曲は野心という部分でよく描けていると思う。ろくでもないけれど。

一人間が、どれもこれもを大切にするだなんて無理なのだ。同時に二人を愛しても、同じように愛しているようでいて自分の中で比率はこちらだ、が決まっているように、仕事と家族を両天秤にかけたとしたら、主人には仕事が圧倒的に大きくて、ましてや与えられた仕事をしていればよい等という立場にはない。自分で仕事を取ってきて、自分で作り、自分で売って行かなければ休むとゼロ円だ。収入も地位も名誉だって落ち込むだろう。私たちの存在を、主人はなかった事にした。

そうこうして日々を過ごしている内に店は大きくなった。顧客もついて、主人はいつの間にか顧客から神格化されつつあり、同業者からも一目置かれる存在となった。その中で一番の厄介者は家族である私達だった。自分で成し遂げたと胸を張って天狗になりたい時間も人にはあり、それは誇らしい事でもあるし、そうあるべきだろうとも思うのだが、私達家族に対しても、それだけの事を成して遂げたんだからお前たちも褒めろ、のような勘違いを持った。私達は家族であるので、それはそれ(仕事は仕事)、これはこれ(家族は家族)、という風に分けられる事を望んだが、身内商売だと区分けがごまかされ易く、どうしても区分けされぬまま、そうなっていってしまった。それからそこには同じように、私も耐えたのだから褒められてもよい、があるのだが、それは残念な事に影に隠れすぎていて、どこの誰にも届かなかった。ここには二人だけの関係ではなく、住んでいた環境も大きく加担した。

主人が生まれた地域は極めて小さい田舎の町で商店など存在しないような街だったので、何か良い事をすれば、流石に主人の奥さんだと褒められ、何かバツの悪いような事をすると、主人はいいがよそから連れてきた嫁がねぇ、と言われ、私はいつまでも馴染めなかったし、私自身の事などは誰も見ようとしなかった。私は十年以上、存在なんてしていなかった。

そんな暮らしの中で頼れるのは、よく知っている主人しかいなかったけれど、如何せん、そんな状態の中だ。人としては愛しているし父親としても存在している主人の事を大切だとは感じていたが、恋をする事はなかったし、今後もきっとこの人とは恋はしないであろう、と思えるところまで、全てが蔑ろになった十年だった。

十年経って、そうこうしている内に、少しだけ、良いな、安らぐな、私を私として認知してくれる、という人が出来て、十一年目に、好きな人が出来ました、と告げた。主人は、私とその相手の仲を引き裂いた。それは私の目に、私の事が好きだから、ではなく、男として相手に負けた、というプライドに映った。結局この人は私を好きなのではなくて、崇められている事に慣れてしまって、自分の事がすきなのだろう、ただそれだけだ、とも思った。

主人の良くなかったところは、好き以外は以下同文としてしまう部分にあった。主人にはいつも、好きか嫌いか、の二択しかないのだ。仕事を好きな間は、仕事とそれに関するものだけを愛し、私をゴミのように扱った。その点でも、本人は、悔いている、と先日話していたが、人に恋をする事に説明が要らないように、誰かを好きになる時や惹かれる時は、そこには努力なんて存在しない、ただ感触のみ、だ。手に入れたらそれを遠ざけてしまわない努力は必要だろうが、その努力を怠って、不格好でこんな風だけど理解しろ、わかれ、だからついてこい、は少し、違う。

「愛してはいるけれど、それは恋にはなり得ない。失点があり過ぎるのよ、わかるでしょう?それにあの店は、私の犠牲の上でも成り立った店よ?
あなたとはビジネスパートナーである、と、どこかで諦めたからここまで続いたんだし、店がなければ終わってたわ。でもひとつは成し遂げた。これ以上、何が欲しい?私の気持ち?自分のした事を振り返ってみなさいよ。ひどい扱いを受け続けて、中身まで欲しいというのは、少し虫が良すぎる、と逆の立場なら思うはずだから。あなたもあなたの作った店も愛しているけれど、私達の関係は……壊れすぎてるわ。」

そうこうしながら、時は過ぎ、色々が形を変えながら、私達もあの手この手で乗り越えようとして、店の経営は続くし、私達は個人としても生きているし、で、主人は歳を重ねた上で、もっと家族に出来た事があったのでは、本当なら一番大切にすべきは家族だったのではないか、店なんてすべきではなかったのではないか、と、悩み始めた。燃え尽き症候群のような日がいつか来るのではないか、そう思っていた展開が見事に的中し、ある程度までいって安定を見せたらこの人は終わってしまうだろう、と思っていた。好きか嫌いか、しか持たない人間にとって、今すべき事、というのは、力配分を考えずに注ぎ過ぎてしまう。今日死ぬわけでもないのに、今日死ぬかもしれない、と思わないと成し遂げられない職業病のような物だ。それは主人の良いところでもあり、悪いところでもある。何でも全力でぶつかる。素直なのだ。そうなってから考えよう、は、物理的な物が対価として転がり込む経営上では有効だが、思想や人の気持ちや心情、等といった宙に浮いてしまう物に対しては無効である。そこを理解していない部分が他者からみて自分勝手に映り込む、自分で招いた事だと言われても仕方なくなる、それが弱くて悪い部分であった。

どうせ俺は……、こんな俺は嫌いだよな、そんな言葉が増えた。全くかっこよくなかった。イライラした。私でさえ16年耐えた事を、私が振り向かないからと言って、私のせいのように言われるのは違う。息苦しかったし、注ぐべきは私ではない。私は常に、主人にとって愛人のような立場でいい、そう思ってやってきたのだ。それに私は、別に癒してくれる人がいる。

そうでなければやってこれなかった。だから何だというのだろう。店に対しても、主人に対しても、子供に対しても、私の責任があり、これは仕事だ。別の場所に愛しい人が存在しているからと言って、私は私のすべき事に手を抜いた事はない。求められれば求められるだけ抱かせたし、二人の時はきちんと妻として振る舞っている。ある日、主人が聞いた。

「なぜ、その人の事をそんなに好きなのか」

私は毎晩、亡くなったあの人に訴えた。姿をかえてもいいからどうか戻ってきて、と。それが届いてしまった。私の好きな人は、あの人が戻ってきたと思わせた。彼を、亡き人の代わりだと思った事はないが、主人は、それは彼にも失礼だろうと言った。

私が亡き人を愛したのは、私が求める愛し方をする人であり、私を女の子にしてくれる人で、いつでも私優先で、私を大切にしてくれたからだ。その香りがよく似ており、そういった事は、理屈ではない。私がこうして欲しいとお願いしなくても、それが用意されていて、まさに、阿吽の呼吸なのだ。二度とそんな相手は現れないだろうと思っていた。それが現れてしまった。生まれ変わりではなくて、脳の作りが非常によく似ているだけだ。以前に聴いたと同じセリフが最新版で届けられる。あの日に忘れた、あの日に失くした、私の気持ちが同時に戻ってきたようで、私はあの日の続きをみている。私が生きていたあの日の続きを生きている。そう思わせられる相手であった。

「そんなに好きなら、そっちに行けばいいのに」
と主人は言う。時が来たらね、と私は言う。なんとなく、そういうと思ってた、お前が揺るがないのはそういう事だろうなと思って、と。

私達夫婦はひとつの仕事を成し遂げる為に色々を犠牲にした。俺だって辛かったんだよ、という主人の気持ちもよくわかる。同時に私も辛かったから。でも、自分が辛いからと言って、必要以上に人を傷つけてもよいかと言われるとそれは違うし、いざ求めてみても、それはどこかそっぽを向いていて、そうしてしまった事は本人の落ち度にある。それがそこに還されただけの話だ。

だから主人は言う。お前が幸せならばそれでいいよ。
ええそうね、私が幸せならば耐えた甲斐もあるという物よ。

私達の仕事はまだまだ続く。顧客を手に入れた限りはそこにその分、惜しみなく愛を注ぐ事。子供達にきちんと私達が残せるものを残してやる事。そうすれば、泣き明かした16年も無駄にならない。見送った16年にしたくないのだ。あなたはいつも魅力的だ、と主人は言う。私は世に添うつもりはない。私は常に私に添うのだ。好きな物は好きだと言うし、恋は好きか嫌いかしか持たないが、愛は好きの側面しかもたない。嫌いな部分も引っ括めて、が愛だ。周りには愛を、私を支えてくれる彼には+恋。
その辺りの区切りがきちんとしている。

お前がその人の事をどれだけ好きなのかもよくわかったし、それに口を出すつもりもないし、似ていると言われたらそれ以上に俺の出来る事はない。ただ良かった、幸せで、としか言えない。でも、二人の時だけは俺だけの物でいてくれないか、今までの事も申し訳ないと思っているし、と主人は言う。

二人の時はあなただけの物だわよ?私は昔からその態勢を崩した事はない、複雑な関係でも、それなりに愛があって、あなたの事を蔑ろにする時は、私が向こうに行く時だわ、と私は言った。

私の書く事をわざわざスクショしては主人に届ける人がいるそうだ。あなたの思っている正義は私にとって正義ではなく、ただそうだと思い込んでいるだけの世の中の風潮で、正しいか正しくないかは、お互いの関係性の上で成り立っているので、余計な風を吹かせて欲しくないと思う。店を思って、考えて、の行為だとしたら、それは主人のやる気を殺いでしまうだろうし、余計な事でしかない。潰したいのであれば、やり方としてそれは、ありだ。ただ、何事も、自分に還る。人の行動にはそれなりに責任が伴うものだから。

私達夫婦は、他人にはわかり得ない事情で成り立っている。
私達の店は、共に歩んできたのでこれからも終わる事がない。あれは私達が作り上げた人生の一部だ。迷いはない。これからも、私達はそうして歩む。人生はたったの一回だ。主人が全てを投げうって捧げた店がこれからもうまく行って欲しいと望むし、私の捧げた時間も報われて欲しいと思う。

人から見て複雑だとしても、私達はシンプルに未来を見据えている。
この先も、歩む。

株式会社 La crie 
ここに来て仕事上、色々とありましたが、今後も頑張ります。


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