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ふたりの地獄 【ショートストーリー】

ぱたり、ぱたりと彼女がうちわを動かすたびに、浴衣の衿もとがゆれる。
窓から流れてくる夜風に湯上がりの肌を晒して、彼女は気持ちよさそうに目をほそめた。

「地獄谷って名前の場所、日本にいくつあるのかな」
彼女がふいに言った。

昼間に見た寂しい景色を思いだす。
剥きだしの山肌から噴き上がる、白い蒸気。ぼこりぼこりと不穏な音をあげて湯を滾らせる谷底を、彼女は一心に見ていた。

「長野や神奈川にも、あるはずだよ」
「天国もどこかにある?」

彼女の柔らかな声が風にさらわれて、夜に消えていく。

頭の中の日本地図に天国を探していると、彼女がふふっと笑って言った。
「あるなら一緒に行きたいね」
籐椅子から立ちあがり、彼女は敷かれていた布団に寝そべる。「きて」という言葉を合図に、僕は彼女の腕に潜りこむ。

闇のなかで味わう肌の感触は、柔らかく僕を包む。
地獄に引き摺りこまれてもいい。このままずっと、彼女の体温を感じていたかった。

お読み頂き、ありがとうございました。 読んでくれる方がいるだけで、めっちゃ嬉しいです!