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ネイティブのように英語を使う

皆さん、こんにちは。Tsubasaです。
パースが40℃超えの日が過ぎ、ぐっと涼しくなってきました。夏っ子のわたしとしては夏の終わりはどこにいても寂しい気持ちになります。

最近大学で開催されていた「Japanese Role-Playing Games and Western Medievalism」というセミナーに参加しました。西洋の中世の物語や伝統が日本のRPGにどのように影響を与えたかについて詳しく説明がされ非常に興味深かったです。

そのセミナー後半のQ&Aで参加者から、「何故日本のRPGは日本の中世ではなく、西洋の中世に影響されたのか」という質問がされました。日本本国の歴史を織り交ぜると批判が多いからではないかという意見もありましたが、他の意見の中に、「日本人の西洋文化への憧れ」が関係しているのではないかというものがあり、日本人として考えさせられました。

今回のNoteはそれに関連して、英語教育についてお話ししようと思います。

タイトルにあげましたが、「ネイティブ」が使う英語を目指したことはありますか?もしくはいま現在進行形で目指している方も多いかと思います。

わたしもその1人でした。小さいころはフルハウスやハンナモンタナのアメリカ英語に触れて育ったし、さらに大きくなってからはハリーポッターに出会ってイギリス英語に憧れてきました。こんな風に英語を喋ることができたらどんなにカッコイイかとイギリス系のインフルエンサーの動画ばかり見て、喋り方を真似してきたりしてきました。

そんなわたしがネイティブのように喋ることにこだわらなくなったのはオーストラリアに来てからでした。ネイティブのように喋らないわけではなく、自分のアクセントや言い回しを恥ずかしいと思わなくなったという方が正確かもしれません。
オーストラリアの公用語は英語ですが、その英語の形は1つではありません。そもそもオーストラリア英語も訛っていると言われるくらいだし、それ以外に中国系英語、インド系英語などみんな英語を喋っているけれど、アクセントは多種多様です。それでもお互いコミュニケーションは取り合えるし、仲良くだってなれる。アクセントよりも、目の前の人がどんな考えを持っているのかに興味を持っていてくれると気づいたのです。

もちろんアクセント以前に、基本的な発音(LとRの違いとか、イントネーションとか)は抑えていないとそもそも通じないので、ネイティブの使う英語を真似することは一概に悪いことではないです。ただ、今まで自分が受けてきた日本の教育の中で、ネイティブっぽく発音することが正解で、それ以外は不正解というシステムになっていることに根本的な問題があると考えます。

ネイティブが話す英語も間違っていることがあります。フィリピン人の友達は、英語を流暢に話すしIELTSも8.5のスコアを持っているのですが、彼も時に間違った英語で話します。でも誰も指摘しません。話は通じているし、何よりも彼の話は面白いから。
最近日本語を話すことができるnon-Japaneseも増えていますが、彼らの日本語は完璧ではなくても話している内容は大体分かりますよね。そして彼らの話をもっと聞きたいという気持ちになると思います。私たちが英語を喋るときもきっと同じで、完璧でなくともコミュニケーションは成立します。

ネイティブのように話せないからといって恥ずかしがって黙っているのはもったいない。むしろいっぱい喋って自分が何を考えているのか知ってもらおうというマインドになってから、英語がすらすらと喋れるようになりました。

このNoteでわたしが伝えたいことは、英語の形は一つではないということです。Universal Languageであるからこそ、どんな英語に出会ったとしてもそれを受け入れて自分を表現するできるようにしていきたい。だからいま英語を勉強している人に対しても、英語をしゃべることを恥ずかしいと思わず、勇気を持ってトライしてほしいなと思っています!


International Student Ambassadorの関連でInstagramも更新しています。これから投稿を増やしていくのでよかったら見てみてください!
@tsubasa_sj

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