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埼玉県「こども留守番禁止条例案」の報道に触れて

児童虐待は、政治や社会のネグレクトだ。
「そこにある」と分かっていながら、ずっと見て見ぬふりをして放置し続けてきた。政治も、社会も。

今回の埼玉県の条例案は、親と子どもに対する政治家からの虐待だ。

親にも、子どもにも、政治家が虐待を始めようとしている。

「条例案の出発点は、車内への子どもの置き去りで犠牲者が出ていることなどへの対策」
とのこと。余りに安直すぎる。
なぜ、置き去りが起こるのか?
どうしたら、その「なぜ」から炙り出された原因を解消し、置き去りを防ぐことができるのか…これを政治は考えなくてはならない。政治家だけでは炙り出しができないのなら、現場や当事者、専門家の話を存分に聞いたらいい。喜んで応えてくれる者は大勢いることだろう。

こんなことも言っている。
「働く方々がいて、だからといって子どもが放置されていいとは私どもは思っていません。例えば学童保育の拡充とか社会全体で子育てができる環境作りが一番必要だ」
そうであるならば、この条例案の前に、生まれた瞬間からの全ての子どもに対して、最低でも朝6時~夜20時の間いつでも、親が子どもを安心して預けられ、かつ、子どもの安心安全も確保でき、長時間子どもが親から離れることになっても親子間での愛着形成が確実にできる環境を整えることが先である。この運用がしっかりできてから条例案を出したなら、まだ話を聞いてみても良いと思える。

児童虐待を防ぐために親を縛り付けることは、全くの逆効果。
親の抱えている問題や不安を解消するための対策をどれだけできるかだ。
親が抱えている不安や悩みを吐き出しやすい環境をどう作っていけるかだ。
そして、子どもに対しても、気軽に吐き出せる場をどう用意することができるかだ。
親をがんじがらめにすることは、親の不安を煽り、ストレスを増やし、生き難さに繋げることにしかならない。そして、その矛先が子どもに向かっていく…こんなこと容易に想像できることだ。

児童虐待を防ぐために必要なことは、親を縛り付けることではなく、逆に緩めやすい環境を整えていくことだと考える。
大きな悩みや不安になるよりも、ずっと前から自分の気持ちを吐き出せる場所が必要だ。それは、家族でも、行政でも、地域でも、支援団体でも、病院でも、どこでも構わない。悩みという程の形になる前に、吐き出せる場所をいくつも持てるようにすること。そうすることで、「悩み」の形ができた時に、すぐにどこかの藁を掴めるようになる。
しかし、現状そのような場所や環境は整えられているのだろうか…。

子どもに対しても同じだ。
子どもが悩みと感じているかどうかなんて関係ない。
子どもが「話してみたいな」「一緒に遊んでみたいな」と思えるような場所がいくつもあり、決して子どもの話を否定しないで聞いてくれる人たちがいる、子どもに選択肢を与えてくれる、そういう場所が必要だ。
親に対してと同じように、子どもを縛り付けることも、子どもの言葉や行動を否定することも、虐待から子どもを守るためには逆効果にしかならない。

大切なことは、寛容さだ。

埼玉県の条例案は、全てにおいて子どもと親を守るために逆行している。
もしも、こんな条例案が成立した日には、ますます児童虐待により苦しむ子ども、延いては命を落とす子どもも増えていくことだろう。

これまでも、虐待被害児に対してネグレクトをし続ける政治に、社会に、強い憤りを抱きながら活動をして来た。
しかし、これから更なる政治家からの虐待が始まろうとしている。

どこまで恐ろしい日本なのだろう。


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