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『蝶々と灰色のやらかい悪魔』 35

「いったい、これからどこに行くんですか?」

 気になってそう訊くと、「ナイショ……♡」と、マサキさんは意味深な笑みを浮かべるだけで、何も答えてはくれなかった。

 窓の外を流れる景色が、混雑した片側三車線の国道沿いから、次第に緑溢れる山間の景色へと変わっていく。

 窓を開ければ、前方から流れ込んでくる風に乗って、どこか懐かしさをも感じさせる、爽やかな草いきれが、車内に入り込んでくる。

「田舎のラブホテルって、なんであんな風に、お城みたいなのが多いんですかね?」

 前方に見える怪しげな建物を指し、そう話しかけると、「『バナナとドーナツ』ってっ(笑)。露骨なネーミングするヤツもいるもんだなぁ〜」と、呆れたように吹き出す。

 その失笑に、釣られてわたしも吹き出す。

「何? 入りたいの?」

 揶揄うように、マサキさんが尋ね、

「なんでそうなるんですか!」

 と、わたしが顔を赤らめながら言い返す。

 マサキさんと居ると、不思議と幸せな気分になる。そのせいか、店長から毎回のように忠告されていることがある。

「あっ……」

 そのことを思い出し、思わず、先に声が溢れる。

「え? 何?」

 その声に驚き、マサキさんのハンドルを握る手が、ほんの一瞬、僅かにブレる。

「え? 何? なんか轢いた? おれ……?」

 慌てて後方を振り返るマサキさんに、

「あ、違います! ごめんなさい! いや、ちょっと店長から言われてること思い出して。それで、つい……」

「あ、なんだ……。びっくりしたぁ〜」

 ほっと胸を撫で下ろしたマサキさんが、

「で? 何? その思い出したことって?」

 と、改めて尋ねてくる。

「あ、いや、大したことないんですけど……」

 話すのが得意なほうではないので、そう言って、あらかじめ話のハードルを下げつつ、まるで言い訳でもでもするように切り出した。

「あの、毎回デリで呼ぶとき、お店にコールするじゃないですか?」

「ああ、いつもしてるやつ?」

「そう、それです」

「それがどうしたの?」

「いや、そのコールがですね。マサキさんのときだけ、異常に遅いって、店長からクレームが来てるんですよ」

「なんのこっちゃ?」と言わんばかりに、マサキさんが目を丸くする。

「いや、だから。わたしがマサキさんのことをオキニなのを、店長が勘づいてて、開始のコールを遅くして、少しでもマサキさんと過ごす時間を長くしようと、時間稼ぎしてるんじゃないかって……」

 そこまで言ったところで、やっと意味が通じたらしく、マサキさんが大笑いする。

「あ、ごめんごめん……」

 目に涙を浮かべて謝罪する彼に、今度はわたしが目を丸くする。

「え?」

「いや、ごめん。なんていうか、その……、ななこちゃんが、そんな風に思ってくれてるとは知らなくて……。てっきり他の客と同じように思ってるんだとばかり思ってたから……。いや、なんていうか、正直、驚いたっていうか……、上手く説明できないけど、たとえ営業トークだとしても嬉しいよ……」

 考えてみればマサキさんに直接、オキニであることを伝えたことはなかった。敢えて言わなかったわけではないが、お互いになんとなく相性がイイのくらいは、伝わってるんだとばかり思っていた。

「いや、営業トークなんかじゃないですって!」

 全力で否定し、「てか、他の客と同じと思ってるんだったら、こうやってバッタリ会って急に誘われたからって、ノコノコと着いて行ったりしませんよ……。怖すぎます!」と、つけ足した。

 やはり嬉しいのか、目だけはクールに決めているみたいだが、明からさまに口元だけがニヤついてるのがすぐに判る。

「マサキさん?」

「ん?」

「口がニヤついてますよ」

 そう指摘すると、

「え? そんなことないでしょ」と、さり気なく口元を手で隠し、頑なに認めようとしない。

「やっぱ、ニヤついてますよ!」

 運転中の彼の脇腹に、ちょっかいをかけると、

「バカ! 運転中だぞ!」

 と、やけに嬉しそうに、身をよじらせながら、文句を言う。

 そのとき、「どうせイチャこいてるんでしょ?」と、店長から言われた言葉が、ふと頭のなかで蘇った。

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